第29話自由になったと思ったけれど2

「お前……………!」




 ライオネル様の抑えた声音に我に返った。


 なぜそういうことになっているのか、頭が混乱している。




「ま…………」




 待ってと制止する前に、既に私の手を半ば無理やり握った蘇芳が顔を近付けると囁いた。




「騒がないで、皆見ている」




 ざわめきは波のように大きくなり、困惑と疑惑と好奇の視線が貼り付いてきていて、私が言葉を呑み込むと、それでいいとばかりに蘇芳の唇が私の手の甲に押し当てられた。


 ライオネル様も蘇芳を紹介した手前、事を荒立てるのは良くないと思ったらしい。




「このような場で、よくもぬけぬけと言う。流れからして私がお前にリナを下賜したかのように皆には映るだろうに」




 周りに聞こえないように呟くに留まっていたが、気付いたように「そうか…………」と忌々しげに蘇芳を見やる。




「この場を利用したのか。皆を証人に、発言が無かったことにならぬように」


「婚約を破棄した時点で、あなたには関係無いことだ。これで失礼致します」




 蘇芳は、ライオネル様を見もしないで言い捨てるや私の手を引っ張った。




「来て」




 人々のざわめきが次第に大きくなり、居たたまれなくなった私は彼の誘いに乗ってしまった。




「リナ!」




 咎めるようにライオネル様が追いかけようとして、主役の立場であるのを思い出したのか、苛立たしげな様子でそこに踏みとどまっていた。


 近衛兵は、蘇芳を止めることを躊躇しているようで、困惑気味に私達を目で追いかけるだけだ。


 その様子に、仮にも身分ある者が公の場で宣言したことに、一定の効力が発生していることを知った。




「蘇芳、どういうこと?」




 ホールを抜けて王宮から出たすぐそこに、紋章の入った豪奢な馬車が一台横付けされていた。


 さすがに焦って問えば、振り返った蘇芳は、いきなり私の腰を両手で掴んで持ち上げると、地面から数段高い馬車の中へと押し込んだ。




「きゃあ!な、何するの!?」




 勢い余って座席に尻餅を付いたようになった。身を起こした時には、後から乗り込んだ彼が馬車の扉を閉めていた。




「出せ」




 内窓から御者に命じると、そこもスライド式の戸を閉めてしまった。


 ガタンと馬車が動き出して、私は彼の用意周到さに呆気に取られてしまった。




 向かい側に座った蘇芳は、横にある小窓から夜景に目を向けて沈黙していたが、やがて「ごめん」と溢した。




「どうして、こんなことを?」




 公爵家の馬車に乗せられたということは、私はこのまま蘇芳の屋敷に連れて行かれるのだろう。ヤトさん達は、どうしているだろう。




「あんなことを言ったりして……………」


「撤回はしない。でも、直ぐにどうこうするつもりはないよ」




 ゆっくりとこちらを向いた彼には、後悔も迷いも微塵も感じられない。窓枠に肘をつき、いたって冷静な様子に私の方が目を逸らす番だった。




「ただ私…………僕の傍にいてくれたらいい。どんなに嫌がろうが、2ヶ月は君を自由にはしないから」


「私を、元の世界に帰さないつもりなの?」


「そうだよ」


「どうして?」




 愚問だとは思った。けれど、ライオネル様は私を止めなかったのに、なぜ蘇芳はこうまでして私を止めようとするのか、それが知りたかった。


 彼の言葉の熱と重みを、知りたかったのだと思う。




「………………僕がこの数ヶ月忙しくしていたのは、なぜだと思う?兄の跡を引き継ぐ為だけじゃない。権力、武力、発言力…………力をつけて、自分の目的を果たすためだ。それには王家や神殿が下手に口出し出来ないほど強くなければならない。全ては君を逃がさないため」




 身を乗り出した蘇芳が壁に片手をつき、私の頬に手を添えて目を逸らせないようにする。こちらを見下ろす水色の瞳には強い意思が宿り、それが今まで隠されていたことにようやく気付いた。




「……………す、おう」


「リナ……………僕の気持ちなんて、君には理解できないかもしれない。でも僕は自分の気持ちが分かる。多分、君が聖女の力を使って僕の心に入り込んだ時から、君の存在は僕の心に留まり、こびりついて剥がれない。だから、君が元の世界に帰って二度と会えないのは耐えられないし、他の男と結ばれるなんて絶対に許せない」




 頬に当てた手を滑らせて、蘇芳が私の肩を自分の方へと引いた。


 揺れて不安定な馬車の中、よろめくように彼の胸へと抱き込まれた。




「………………どんな言葉なら君に伝わるだろう? ねえリナ…………僕は君が必要なんだ。リナも僕を好きだと言ったよね?この気持ちが愛とか恋だと思うんだ」




 彼の声は、まるで幼子を諭すようで淡々と落ち着いていた。それなのに、強く速い鼓動が私にまで伝わってきて、私は何も言えなくて、ただ身を委ねていた。




 蘇芳の強くて怖い気持ちが、彼の言うとおり、そんな美しい単語で表せるものなのだろうか。




「…………………リナ」




 ぎゅっと抱きしめられて、服の上からも熱い体温に、ふと似たような単語が頭に浮かんだ。




 これは『愛』ではなく『執着』ではないだろうか。






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