第27話自分の意思というもの2

数日後、蘇芳の兄である人の訃報が届いた。




 実家に一時戻った蘇芳は、葬儀の手配や公爵位の継承で王宮に挨拶に行ったり、他諸々の手続きで慌ただしく過ごしていたようだが、3日後の夕暮れにひょっこり神殿に現れた。




「蘇芳!」




 部屋を訪れた彼は疲れているようだったが、出迎えた私に相好を崩した。




「リナ、傷はだいぶ良いみたいだね」




 かさぶたになって包帯は取った。まだ目立っている傷を、彼はそっと指でなぞった。




「痛む?」


「ん、大丈夫」




 擽ったくて指から逃れて一歩下がれば、彼は手を下ろして私を見つめた。




「神殿に荷物を取りに来たんだ。少ないけど、置いたままにするのは嫌だから。それから皆に挨拶を」


「そっか」




 これでお別れなんだなと思うと、目の奥が熱くなる。


 蘇芳が塔からも神殿からも出て、本来居るべき所に収まることが喜ばしい。


 でもそうなれば、私たちは距離も身分も気軽に話せるような間柄ではなくなる。




「……………淋しくなるね」




 正直な気持ちが零れた。


 すると、なぜか彼は嬉しそうな顔をする。




「ねえリナ、少し話をしよう」


「う、うん」




 椅子を勧めたが、彼は考える素振りを見せたと思ったら、ベッドに腰掛けた私の隣に座った。ビクッと肩に力を入れる私を横目にして、彼は床に視線を移した。




「リナは、帰りたい気持ちは変わらない?」


「うん」




 過去を打ち明けた彼には、この前帰る意思と共に兄に会ってみたいことを話していた。




「………………僕の心まで覗かせたのに、ここに未練はないの?」


「どういうこと?」


「もう二度と会えなくなるのに、君は僕の気持ちを無視して帰るの?本当に?」




 まただ。蘇芳の言葉は、鋭利な刃物のように私の心を抉じ開けようとする。




「僕がそれを許すとでも?」




 こちらを向いた瞳は静溢な泉のようだが、そこに激しく渦巻くものを私は既に知っていて、身動きが取れない。




「ゆ、許さなければどうするの?」




 怖いのに、彼の言葉が欲しいなんておかしい。もっとその瞳が欲しいなんて。




「リナは、他人に好かれるのも嫌われるのも怖いと言ったね?」




 問いには答えず、蘇芳は淡々と話す。




「でもそれ以上に誰かを好きになることが怖い?」


「あ………」


「好きになっても、叶わないことが怖い?元の世界に帰りたいのは、お兄さんのことだけが理由?」


「わ、たし」




 立ち上がった私の腕を、用意していたように蘇芳が掴む。




「君は傷つきたくて逃げたいと思っているよね。でもそれ以上に捕まえていて欲しいと願っているんじゃないか?帰りたいのも、この世界で誰かを好きになりすぎるのが怖いから、どんどん好きになったら怖いから……………かな?」




 最後の方は自信無さそうに話した蘇芳だったが、私は否定できなかった。むしろ、そうなんだと知った。ようやくはっきりと。




「………………ありがとう。私、自分のことなのに全然分からなかったよ」


「リナ」


「まるで蘇芳が聖女みたい」




 なんだか霧が晴れたような心持ちがして、自然顔が綻んだ。


 これからは思っていたよりも違う生き方ができるかもしれない、そんな自信が湧いてきた。




 照れ臭いのか、赤い髪を無造作に掻いていた蘇芳だったが、やがて立ち上がり、掴んでいた手を私の肩に置き換えた。




「答えて。僕をどう思って…………ううん、僕のこと好き?」


「うん」


「………………よく考えて、好きの意味分かってる?」




 軽い感じに聞こえたのだろう。蘇芳は、また私の答えを疑っている。困ったような表情に、かつての無表情な人形だった面影はない。


 青年らしい豊かな表情、仕草、言動が私の気持ちまで明るくしてくれる。


 ああ、私は救われていたんだ。彼を救いたいと思ってから、実は自分が救われていたのだと気付いた。


 それは蘇芳のめざましい回復だったり、見透かす言葉だったり、逃げ出したくなるほどの熱だった。




「………………ルーファス」




 居場所ってこういうことかな?それは住みかじゃない。ただ、私がほんの少し心を寄せて落ち着けた場所のこと。




 勇気を振り絞ると、彼を両腕で抱きしめた。固く広い背中に腕を回すと最後の別れを告げた。




「大好きだよ」




 皆既月食まで2ヶ月。


 神殿を離れたルーファスと顔を合わせても、今までのような近さは無いだろう。だから良い想い出で終わりたかった。




 彼の言った通りだ。私はこの世界に心を置いてしまうことを恐れて帰るんだ。




「私を生き返らせてくれて、ありがとう」




 腕を緩めて仰ぎ見た蘇芳は、泣きそうに顔を歪めていた。頬を染め、唇を噛みしめている。




「………………元気でね」




 うまく笑えずに、彼が何か言う前にと、やっぱり逃げるように部屋を出た。




 だが、蘇芳を侮っていたと思い知ったのは、程無くしてからだった。




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