第26話私の意思というもの
王宮を訪れるのは久し振りだった。
いつもの神官服ではなく水色のドレスを着て、髪も上げた私が歩いていると、通りすがりの人達が驚いたように見てきた。
「ヤトさん、この格好、変だったかな?」
「まさか。リナ様似合ってるますよ。ちっ、勿体無いことをした」
護衛として付き添うヤトさんが、最後の辺りはぶつぶつと呟く。
「聖女として有名なあなたが、急に王宮を訪れたのですから、皆驚いているだけですよ。それに可愛いから…………」
「ええ?」
空耳だろうか?
私が可愛いわけない。可愛ければ、母親に何日も放置されて忘れられたりなんか………………
パシッ、と自分の頬を両の手の平で叩く。あさっての方を見ていたヤトさんが、びっくりしてこちらを向いた。
いけない、また疑って逃げようとしている。
「ヤトさん、えっと…………あ、ありがとう」
まずは相手の言葉を素直に受け止めてみる。自分の居場所なんて偉そうに言ったけれど、どうすればいいかなんて最初は分からない。でも壁を作ってしまうことを止めれば、分かる気がした。
とても怖いけど、私は自分の意思を少しずつ表していこうと思っている。
「リ、リナ様」
どんどん顔が赤くなるヤトさんが可笑しい。笑いを噛み殺して彼を見ていたら、この人やライオネル様に、自分の兄の優しかった部分を重ねていたのだなと、ふと思った。
侍女に案内されて執務室の扉をノックする。声がして通されると、ライオネル様は一人で机に向かい書類をしたためていたが、私の入室にペンを置いた。
「リナが来てくれるのは珍しいね」
「お忙しいところ、申し訳ありません」
ライオネル様が、ヤトさんに目で退出を促す。
「ヤトさん、大丈夫だから」
先日のことがあってから警戒を強くしているヤトさんは、心配そうで直ぐには動こうとしない。私が何度か「大丈夫だから」を繰り返すと、渋々といった様子で出ていった。
「怪我は痛むかい?」
「まだ少し…………でもだいぶ良くなりました」
「そうか」
まだ包帯を巻いているが、傷の治りは良い。ただ痕は残るかもしれない。
「おいで」
いつものように膝に私を乗せようと、手を差し伸べるライオネル様に、私は首を振り一歩下がった。
すると、ライオネル様の顔から笑みが消えた。
「リナ……………」
「殿下、婚約を……………解消してください」
勇気を振り絞り、何とか口に出せた。
「なぜ?」
一拍置いて、ライオネル様の乾いた声が返ってきて、恐る恐る彼を見る。
椅子に凭れて深く座り、彼は眉尻を下げて苦い表情をしていた。
「元の世界に帰ります」
告げれば、目を瞬いた。
「帰る?私はてっきり他に好きな男ができたのだと思ったが」
「え?」
「いや………………でもそうか、私はフラれたのか」
「申し訳ありません」
しばらく額に手を置き、じっとしていたライオネル様だったが、ふいに立ち上がると私に歩み寄った。
「分かった。辛いが私には君の愛は得られないようだな。本当は君を手放したくないが、心の無い結婚は意味がない」
「ご、ごめんなさい」
「いい、知っていたよ。君の私への好きが男女の好きではないことぐらい」
悲しそうな彼に、私は嫌われたと思い、震えそうになる手を胸の前で握りしめた。
嫌われることが、ひどく怖い。一人になることが怖い。私は自分が選んだというのに、こればかりは抑えることが難しい。
ちゅ、と唇に何か触れて、私は固まった。
「な、なにを?!」
「最後に、リナとの想い出をもらった」
隙を突いたライオネル様が、悪戯が成功したかのように笑う。
「来週の私の誕生パーティーには来てくれるか?その時に、婚約解消の発表をしよう」
「…………………………………は、い」
(現実に)初めての唇を奪われて、私は衝撃から戻れずに、返事をするのも精一杯だった。
「それにしても元の世界に帰るとなれば、フラれたのは俺だけじゃないということだな。フン、あいつどんな顔をするだろうな。良い気味だ」
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カタン、とペンが軽やかな音を立てて地面を転がった。
「え」
ハラリと、左手から書類が舞い落ちる。
最近の蘇芳は、実家の仕事を寝たきりの兄に代わり引き継いでいて、とても忙しいようだ。
今日も神殿に使いの者が来ていて、朝から書類整理に追われている。ついでに公爵家お抱えの騎士達が神殿の警備の強化に当たるという物々しい雰囲気の中、蘇芳は茫然自失といった様子で私の言葉を聞いた。
「いま、な、なんて?」
「うん?だからライオネル様との婚約を解消したの」
「ちが、それは良い。むしろざまぁ……………ではなくて、その前」
「え?元の世界に帰ることにしたの」
「…………………………………」
ガクリと膝をつき、蘇芳は「…………くっ」と呻いた。
「蘇芳?」
「……………何で、どうして、一体なぜだ?」
ぶつぶつと呟く彼を、不思議に見ていたら、いきなり肩を掴まれた。
「リナ、誰か忘れてない?!」
「え?誰か?」
何のことだろう?
考える私に、目を見張っていた蘇芳だったが「そうか、そっちがその気なら……」と呟くと、ゆっくりと唇に弧を描いた。
「手段は、選んでいられないな」
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