第15話求婚されてるけれど

「…………はい、取ったよ。痛みはないかい?」


「ないです」




 医者にガーゼを剥がされて、蘇芳は傷痕を指で確かめた。消毒薬を浸した脱脂綿をピンセットで摘まみ、医者がそこを清める。




「ふむ、皮膚も閉じてる。経過も良いし、これで終わりですな」


「ありがとう、ございます」




 何度も傷痕に触れ、鏡を見た蘇芳は信じられないような驚いたような顔で礼を言った。




 扉から遠慮がちに顔だけ見せた私も、そんな彼の傷痕をじっと見てしまう。




 あんなに酷かった傷は、そこだけ白い筋のように肌色が僅かに異なり、微かなひきつれがあるだけだった。




「変かな?」




 医者を部屋の外まで見送り、彼の方に振り向くと、不安そうに聞いてくるので首を振る。




「凄く良くなったね。蘇芳カッコいい」


「か、カッコいい?」




 まさか、と言った感じで自分の顔を鏡でまじまじと眺めている。それが何だか面白くて、私は彼を眺めていた。




「ねえリナ、触って」


「え」


「リナに触って欲しい………………嫌じゃないなら」


「そんなことない、嫌じゃないよ」




 慌てて否定して、椅子に座る彼に近付くと、蘇芳の唇の際が心なし上がったように見えた。




 指で傷痕に触れると、彼は私を見上げて、じっとしている。


 つつっと、なぞれば、周りよりも滑らかだが凹凸はない。


 鼻筋が通り、目元は涼やかで、どう見てもイケメンだ。こんな薄い傷痕なら、彼の整った顔の前には何の主張もなされない。




「………………蘇芳、綺麗」


「そう?本当なら嬉しいな」


「本当だよ」




 手のひらを彼の頬に当てて撫でると、蘇芳はスリスリと押し付けるようにしてきた。




 あのピクニックの帰り、お互い嫌な雰囲気で無言になってしまった。その日は話しかけるのも気後れしてしまった私だが、蘇芳は、またすぐにいつも通りの態度で接してくれた。




 私なんかより蘇芳の方が大人なのかもしれない。




「リナ」




 でも、それから私を見る彼の目が怖くなってしまった。今だって私の手に頬を押し付けたまま、じっと射抜くように見つめている。


 まるで私の心の中を探っているかのようで落ち着かなくて、つい目を逸らしてしまう。




「ねえ、僕を見て」


「う、うん」




 あの時私の言葉に怒っていたようだったのに、彼はそのことを忘れたのだろうか。




 戸惑う私を見て、蘇芳が形のいい唇を開いた。




「リナ、僕をどんなふうに好き?」


「い、いきなりどうしたの?」


「どのくらい好き?」




 私が手を下ろすと、目だけでそれを追った。




「僕がここにいてって言ったら、いてくれるぐらいは好き?」


「蘇芳」




 手を私に伸ばしかけて、考える素振りを見せた彼が手を下ろして、代わりに一歩私に歩み寄る。


 とても近い。互いの息遣いが聞こえる程だ。




「あまり時間がない。だから早く選んで。僕はリナにどこへも行って欲しくない」


「すお………」




 水色の瞳が私を見下ろして、少しだけ目を細める。ゾワリと言い知れぬものが背を流れた。




「逃がさないから」


「ルーファス!」




 弾かれたように名を呼んだ。


 怖いと、はっきり思った。こんなふうに言われたことも、こんなふうに目を向けられたこともないから、どうしたらいいか判らない。蘇芳がなぜこうなったのか判らない。




「……………やめて」




 彼は私を腕で捕まえているわけではない。何もしていない。それなのに、捕まりそうで怖いだなんて訳が分からない。




「もう一度……………」




 しばしの沈黙の後、蘇芳が軽く袖を引っ張った。




「え?」


「もう一度、名前呼んで?」




 打って変わって柔らかい声音に、目を上げると、彼の嬉しそうな表情が見えた。




「『蘇芳』もいいけど、本当の名前、リナに呼んで欲しい」


「あ…………」




 口元に手を置いてから、ゆっくり口を動かした。私は少々混乱していたのだろう。どう反応したらいいか分からなくて、彼の言われた通りに行動してしまっている。




「ルーファス?」




 ふわり、と彼が目を細めて唇を上げた。




 笑った!


 ちゃんとした笑顔は初めてだ。




 彼の笑顔に見入っていたら、扉をノックされた。




「リナ様いらっしゃいますか?!」


「は、はい!?」




 神官の一人が部屋に入って来て、後にヤトさんが続いた。




「皇太子殿下がお着きです。直ぐにお越しを」


「ライオネル様!」




 聞くなり私は部屋を飛び出した。




 こちらへと金髪の男性が歩いて来ていて、私を見るなり両手を広げた。




「おいで、仔猫ちゃん」




 お兄ちゃん!と心の中で叫び、その胸に飛び込んだ。




「久し振りだね、ごめんよ淋しかったかい?」


「ライオネル様」




 ちゅ、と額にキスされて優しく微笑まれると、自分が幼児になったみたいに思えてくる。


 ギュウッとしがみついていると、ヨシヨシと髪を撫でられた。




 ドサッと後ろから物音がして、顔だけ向けたら、蘇芳が床に手と膝を付いて私達を見ていた。


 目を見開き唇を噛む姿に既視感を覚えた。




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