第14話ピクニック日和だけど2

 私と蘇芳は白樺の木の陰で馬から降りた。やや丘になっているそこから湖が見渡せる。




「リナ、どうしたの?」


「う、ううん、蘇芳元気になったんだね」




 馬を相当早く走らせても蘇芳はケロリとしているが、馬に乗ることなんて、まず無い時代から来た私は、膝がガクガクでお尻が痛い。帰りもこれかと不安だ。


 降りて木の幹に手を付いていたら、近くにピクニックシートを広げた蘇芳が歩いてきて、いきなり私を抱き上げた。




「うな、またぁ!?」


「リナ軽い」




 機嫌良さそうに言った蘇芳が私を見下ろして目を細める。包帯ではなく、ガーゼが顔半分を覆っていた。


 つい身を小さく縮めるようにして、少しでも体重を軽くしようと無駄な努力をしたが、彼の腕は予想以上に力強く安定していた。「おお、男の人だ」と思っている内にシートまで運ばれ、私をそっと下ろしてくれた。




 首に提げた懐中時計を確認すると、まだ昼には早い時間だったが、背負っていた袋から弁当を取り出した。




「サンドイッチ作ってきたんだよ」


「わあ………………」




 蓋を開けて、中を覗いた彼が、嬉しそうな顔をしたと思ったら項垂れた。




「ど、どうかした?サンドイッチ寄り弁になってた?」


「ごめん…………僕が誘ったのに、リナにご飯用意してもらってる。僕がするべきなのに、思い付かなかったよ」


「え?そんなこと思わなくても」




 私が作ってきたかっただけだ。実は彼とピクニックに行くのは楽しみだった。蘇芳は外を出歩いたことが数えるぐらいしかないはず。そんな彼には景色がどう映るのか、どんな反応をするのか見てみたいと思っていたから。




「それなら今度またピクニックに来た時には、蘇芳がお弁当を用意してね」


「あ………………うん!そうする!」




 パッと顔を上げた蘇芳は納得したらしく、手にしたサンドイッチを口に頬張った。




「美味しい、作り方教えて」


「うん」




 食後に湖の周りを散策してみることにした。私がいた世界のようにレジャー施設があるわけではないが、自然豊かな場所はたくさんあって、のんびりとピクニックをするにはいいかもしれない。




「この花は何て言うの?」


「それはナズナだよ」


「これは?」


「クローバー」




 好奇心で目を輝かせる蘇芳が、目にした草花や虫の名を何度も尋ねた。




「この虫は、てんとう虫」




 捕まえたそれが、立てた人差し指の先端から飛び立った。


 目で追った彼が「僕はまだ何も知らない」と呟く。




 この世界は、私の世界と生態に大差はない。私が当たり前に知っているものが、彼にはどれほど新鮮に映っているのだろう。




 沢山のことを知れば、それが蘇芳の心を豊かに、そして強くしてくれるのではないだろうか。この人は、この先どう生きていくのだろう。




「あ、雨」




 晴れていたのに、弁当を食べ終わる頃に曇り始めた空から、小さな雨粒が落ちてきた。




「冷たい」




 見上げる彼の鼻筋に跳ねた雨粒を見て、慌てて彼の手を引っ張った。




「どこか屋根のある所へ行こう!」




 身体を濡らしたりなんかしたら傷に障る。




「あ、リナ濡れる。風邪引くね」




 気付いた蘇芳が、逆に私を引っ張ってピクニックシートを敷いた場所まで走った。息を切らしながらハンカチを取り出して、彼の髪と顔を拭く。




「大丈夫?痛みは?」




 湿ってしまったガーゼを慎重に拭いていたら、蘇芳がその手を取った。




「蘇芳?」


「リナは、僕の顔怖がらないし嫌がらないね」


「痛そうだとは思うよ…………………ずっと辛かったものね」




「………………嬉しかったんだ」




 蘇芳は、もう目を逸らさなくなった。私に顔を近付けて、じっと見つめる。




「リナが僕を変えてくれた」


「そんなこと…………」




 私の手を柔らかく掴んでいるのに、なぜか縫い止められたような錯覚を覚えた。




「リナ、僕…………リナが好きだ」


「う、うん」


「リナ、そうじゃない。リナが思ってる好きじゃないんだ」




 何を言われたか分からなくて、ぼんやりと彼を見つめることしかできない。




「聞いたんだ、もうすぐリナ、力を無くすんだって。結婚するか元の世界に帰るんだって。ねえ、リナはどうするの?」


「どうって、私、私は…………」


「行かないで、どこにも行かないで」




 グイッと手を引かれて、つまずくようにして蘇芳の懐に閉じ込められた。




「す、すおっ」




 男の人は不思議だ。痩せているとばかりに思っていたのに、閉じ込められた胸は広くて、私をすっぽり包んでしまう。




「ずっと僕といて」




 彼の身体に押し付けられるようにされ、私はゆるゆると手を上げて背中をポンポンと宥めるように叩いた。




 蘇芳は、ようやく物事を知り始めた子供と変わらない。初めて優しくされたから、好きを誤解しているのだろう。




「蘇芳、私もできれば一緒にいたいな」


「り……」


「でもいつかはお別れしなきゃ」




 言った途端、私の肩にある彼の手に力が籠った。




「蘇芳の思ってる好きは、多分違うと思う」


「え…………え?」




 私なんか心底好かれるわけがない。




「それは好きの気持ちじゃないよ。私があなたの心を治療して嬉しかったことを好きだと勘違いしてるんだよ」


「リナ、違う!」


「蘇芳は、色々知り始めたばかりだから、まだ好きが何か分からないと思う」


「……………どうして」




 優しく諭したつもりだったのに、どんどん険悪な雰囲気になってきてしまった。


 そんなつもりはないのに、どうして私は上手く話せないんだろう。




「……………雨が止んだら帰ろっか?」




 話を変えようとしたら、蘇芳が両腕に強く力を込めた。




「……………分からないのは、リナの方だ!」




 今までにない鋭い叫びに驚いたが、彼の抱きしめる力が強くて身動き一つできなかった。






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