第9話磨けば宝石になるけれど5

 痛みと恐怖で悲鳴を上げる子供の顔から血が飛び散る。床を点々と赤が染めていく。




「きゃあああああ!何を、何をなさるのです!!」




 そこへ女性が駆け寄って、子供を慌てて抱き起こした。




「ルーファス!!あああ、何てこと!誰か、誰か医者を!」




 赤く波打つ髪を振り乱した女性が、剣を手にする男を懸命に睨み上げる。




「ご自分が何をしたのか分かっているのですか!あなたは!自分の息子を傷付けたのですよ!?」


「むすこ?レクスが生まれてから12年も経って子ができるなどおかしいではないか。皆が申すように、私の子ではないのだろう?似ているところなどないではないか」




 茶色の髪に灰色の瞳をした男が、身体を左右に揺らしながら足を進める。




「何を言って?!」


「誰の子だ?」




 意識が遠のいたのか、子供は悲鳴から小さく呻くだけになっていた。


 同時に映像は途切れ、会話だけが遠くに聴こえる。




「る、ルーファス!」


「誰の子だ!」


「ルーファス、誰か、誰か!!」


「そなたまでも俺を侮るか!!」




 しばらく互いに一方通行な言葉が飛び交っていた。それが、いきなり短い悲鳴で終わった。




「……………………ひ、ひひ、そなたのせいだ」




 ズリッズリッと、剣を引き摺る音がする。




『蘇芳!ダメ!!』




 過去のことだと分かっているのに、私は鎖を無我夢中で握りしめた。早く消し去らないと、彼が殺されるんじゃないかと思った。




『消えて!!お願い!』




 私の力で、一本の鎖は粉々に千切れて消えた。




『あ』




 僅かな静寂の後、上から光が射した。


 眩しくて目を凝らしながら、まだ細い鎖を巻き付けたままの岩を確認する。




 ピキと音がしたと思ったら、目の前で岩全体に細かいヒビが入り、それが以前のヒビと合わさった。




『割れ、る?』




 岩肌がパラパラと剥がれ、次第に内部まで崩れていった。静かに剥がれ落ちた欠片は砂になって消えていく。


 私は固唾を飲んで、それを見守った。




 岩が完全に消え、中から現れたのは赤く輝く星のような光の塊だった。


 時折強く光ったと思ったら、淡い光へと変わり、まるで脈打つ心臓のようだった。




『……………蘇芳、あなたは強いよ』




 光に見惚みとれながら呟いた。




 きっかけは、太い鎖として表された心の大きな傷を私が消したせいだろう。だが細かい鎖共々岩が砕け散ったのは、彼の心の強さによるものだ。


 彼は、最後に自身の意志で己の心のしがらみを克服したんだ。




 あの映像…………幼い蘇芳の体験した記憶は、見ただけでは分からない部分もあったけれど、彼の兄は蘇芳が『母を殺した』と言っていたから、つまりは同じ赤い髪色だった女性が母だろう。ならば、彼女が蘇芳を庇って死んだということだろうか。


 そして会話から推測するに、二人を殺そうとしたのは…………




『なぜあんなことに』




 考えを巡らせかけて、頭を振る(実体ではなく精神体なので感覚的に)


 あまり余裕はない。今日は二回も聖女の力を使ってしまった。


 考えるのは後からにしないと。




 最後に赤い光を確認しようと手を近付けてみた。




 予想に反して、光には風船のような感触があったが、常に形を変えているようで丸かったり波打っていたり角張っていたりと定かではない。


 ほんのりと暖かくて、不思議な感覚だ。




『頑張ったね、蘇芳』




 声を掛けると、応えるようにふるふると震える光が可愛らしい。ゆっくりと遠ざけた手に、一部細い光が紐状になって縋るように追ってくる。




『現実で、また会おう。ね?』




 言えば、寂しそうに光が戻っていくのを見届けて、意識を浮上させる。




 戻ってきた、そう思う間もなかった。


 覚悟していたが、それは暴力的な勢いで突如私の心に襲いかかってきた。




「いやあああああああ」




 目を開けるや、恐怖で悲鳴を上げて床に倒れた。


 力を使いすぎた副作用。


 絶望、恐怖、痛み、嫌悪、恨み、怒り、悲しみ。


 治療した女性と蘇芳の二人分の心の傷が、私へと返ってくる。




「いたあい!!やめて、助けて!」




 二人が感じた身体の痛みさえ降りかかり、うつ伏せに倒れた身体を強張らせて、涙をボロボロと溢した。




 これほど強い副作用は初めてだった。それほどに酷い心の傷だったということか。


 私が直接経験したわけじゃない。これは疑似体験に過ぎないんだと頭の中で繰り返す。そうでないと気が狂いそうだった。




 誰かが何か叫んでいるが、自分の『痛み』に耐えるので精一杯で耳に入ってこない。




 抱き起こされたのは分かった。


 あまりの苦しさに、我を忘れて相手にしがみついた。




「苦しい、苦しいよ!」




 じっとしていることもできずに身を捩って泣く私を、誰かが強く抱えて固定する。




「助け………」




 腕にチクリと痛みが走った。その痛みだけが本物だと、薄れゆく意識で感じた。


 そして、深い眠りの中でこそ、やっと苦しみから解放されたのを知った。




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