第8話磨けば宝石になるけれど4

「リナ様、こちらでお休み下さい。さあ」




 お世話役の女性二人に支えられ、私は自室のベッドに寝かせられた。


 開け放たれたドアの外から、ヤトさんが怒ったような顔をして私を見ていた。




「今日は、もうあいつの治療はやめてくださいよ」


「………………はい」


「無理をしましたね。あなたなら、そんなふうになることは予想ついたはずです。辛いなら途中で辞めても良かったのに」


「……………ごめん、なさい」




 モソモソと頭から布団を被ると、私は声を絞り出した。




「リナ様、あなたはどうして……………」


「少しだけ、一人にして下さい」




 震えが止まらない私に気付いたのだろう。ヤトさんは口を閉じてしまった。


 しばらく迷うようにそこにいる気配がしたが、やがて「早く元気になって下さい」と言い、複数の足音が遠ざかっていった。




「気持ち、悪い」




 口許を押さえて、酷い嫌悪感に身震いする。




 女性の『死にたいほどの絶望』は何とか治療した。だが彼女は長い間治療し続けなければならない。


 心を覗いた時に見た映像は、恐ろしくて悪夢のようだった。




「うっ」




 手足を押さえつけられて逃げられない。野卑な笑い声、暗闇に浮かぶ下品な笑み。


 複数の男。


 屈辱、嫌悪、恐怖、痛み、絶望。




「う、ぐっ、げほっ」




 身を起こして、吐き気に咳き込むようにするが、胃からは何も出なかった。代わりに涙が止まらない。




 彼女は、知らない男達から辱しめを受けたのだ。


 私自身が経験したわけではないが、彼女の心の傷に同調した私の精神的ダメージはかなり重い。


 ヤトさんの言うとおり、中断することもできた。だけど彼女の苦しみを知って、どうして見放すことができるだろうか。




「リナ!」




 いつの間にか部屋に入って来ていた蘇芳が、えづいている私に驚いたようで名を叫んだ。




「リナ!どうしたの!?」




 ただならぬ雰囲気を感じて来てくれたのだろうか。慌てたように彼が私の肩に触れた。




「ひっ………!!」




 彼女の心が見せた、おぞましい感覚が脳裏によぎり、反射的に蘇芳の手を払ってしまった。




「り」


「あ……………ああ」




 蘇芳が呆然と固まる姿に、余計に混乱してきた。私が彼を傷付けてしまうなんて。




「ご、ごめんね。今私いつもと違うから」




 目を反らし、自分の身体を両腕で抱き震えを抑える。


 どうしよう、折角元気になってきたところだった蘇芳を再び苦しめてしまったに違いない。


 沈黙が流れたが、彼はまだベッド脇に佇んでいた。




「怖い、の?」




 やがて口を開いたのは彼の方だった。




「怖がらないで、リナ」




 キョロキョロと周りを見て、蘇芳は床に座り込んで私を見上げた。一定の距離を保ち私に配慮しようとするのが分かり、また零れる涙を手で拭った。




「心配してくれて、ありがとう」


「うん、ヤトさんから聞いた。リナ頑張った。僕が怖い時、リナいてくれた。だから僕、リナといる」


「……………………蘇芳」




 真摯な眼差しで辿々しく言葉を紡ぐ彼を見た。水色の瞳を瞬きして、どうしたら私を慰めることができるか考えているようだった。


 ああ、この人は自分以外を気遣えるほどになったんだ。


 そう思うと、心が暖かくなってきた。




「触る、怖い?だったら、触らない。でもリナといる」


「うん、うん」


「元気になって」


「うん」




 ぐすぐすと泣く私を見て、頭を撫でようとする手を、また下げて、眉尻も下げて困ったような彼に、私はちゃんと慰められている。


 そして蘇芳の、こんなふうに優しい心を垣間見ることが私の喜びに繋がることにも気付いていた。




「ねえ蘇芳、傷が目立たなくなったら嬉しい?」


「うん、嬉しいよ。でも…………怖い、な」


「そうだよね…………………」




 昼を過ぎたら医者が来る。


 我慢強い蘇芳は、怖くても手術に耐えるだろう。でもあまりにも恐怖を感じたら、またトラウマになるかもしれない。




 吐き気が幾分落ち着いて、私はベッドを這って彼に近付いた。見慣れた不安そうな表情の蘇芳が、私を見上げている。




「リナ?」




 深呼吸をして、彼の胸に手を付いた。




「私、蘇芳の笑った顔が見たいな」


「り、リナ」




 そうして今一度心に潜る。




 まだ大小の鎖が絡み付いているが、岩肌はかなり見えてきている。ヒビが縦横無尽にはいっているから、次で砕けるだろう。


 鎖の中でも、目立つ大きさの一本を掴んだ。




『これを消せば!』




 触れた途端に、映像が流れ込んできた。




 剣を振りかぶった男が、焦点の合わない目をして叫んでいた。




『死ねえ!!』




 何が起こったか理解することもないまま、視界がバッと赤く染まる。




『きゃあ、あああああ!!』




 顔を押さえることもなく悲鳴を上げて床に転んだのは、歩き出して間もないような、あまりに幼い蘇芳だった。






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