第7話磨けば宝石になるけれど3
「まさか聖女様に、治療を頼まれるとは思いませんでした」
「はは」
白い眉毛と髭がフサフサの医者に言われて、微妙な愛想笑いで返す。私の専門分野は違うんです、と内心訴えるが、毎回毎回いちいち説明するのも面倒くさくなっているのだ。
「どうですか?」
「ふむ……………」
蘇芳の顔の傷を至近距離で診ている医者の目が厳しい。
「この間申しました通り、刃物による傷であることは確かです。しかしこの傷を負った時に、きちんと治療がされていないようですな。化膿して、おかしな具合に癒着し肉が盛り上がってしまっています。幼少時の怪我でしょうが、家族はどうしていたのか。はなっから治らないと見放したとしか思えません」
大人しく椅子に座っている蘇芳だが、傷をじっと診られることが辛いようだ。目を閉じて、膝で拳を作って緊張している。
彼が醜くなったから、傷が残ると判ったから家族は見捨てたのだろうか?
そう考えると腹立たしさを越えて悲しい。先日、彼の心を覗いた時に感じた彼自身の痛みを、私はまだ覚えていて引き摺っている。
「大丈夫?」
「う、ん」
年齢よりも幼い言葉遣いだが、会話が成立するようになった。言葉を発するようになり、私が本を読んであげたり、神官長として忙しい務めの合間を縫いながら、アマナ様が文字や単語の意味を教えると、彼は数日で自分のものにしていった。
「怪我、はずかしい」
「そんなこと…………それは蘇芳のせいじゃないでしょ」
「でも」
私達のやり取りを黙って見ていた医者が、咳払いをして手桶の水で手を清めると退出する。
私が見送ろうと後に続くと、廊下に出たところで医者は振り返った。
「明日手術をしましょう」
「え?」
「癒着した部分を切り離し改めて縫合します。さすがに完全とまではいかなくても、傷痕を今よりは目立たなくさせることはできるでしょう」
「そうなんですか!」
思わず声が弾んでしまう。
「あ、でも麻酔は」
「麻酔?ああ、痛覚抑制剤ですか。手術中、意識はありますが感覚は麻痺します。痛みは感じないでしょう」
「意識はあるんですね…………」
傷が薄くなって、蘇芳が気にせず顔を上げて堂々としていられるなら、これほど嬉しいことはない。
「……………………ぜひお願いします」
深々とお辞儀をして医者を見送った。だが、一つ不安がある。
蘇芳は刃物が怖い。私はまだそれを『治療』できていない。
二回目の治療をしてから何日も経っているが、毎日立て続けに一般の参拝者から治療の依頼があって、蘇芳に手が回らないでいる。私の聖女の力は1日一回が限度なのだ。
そして、今日は既に力を使っている。
「ねえ蘇芳、お医者様がね、あなたの怪我を治してくれるって」
「え、なに?」
「傷が無くなるわけじゃないけど、今よりも薄く目立たなくしてくれるそうだよ」
「え」
もう諦めていたのだろう。彼は意外そうな顔をして、傷を手で隠す。
「どう…………方法、どうやるの?」
「痛みはないよ、少しだけ傷の余分な部分を取るだけ」
「あ……………き、切るの?」
理解が早い蘇芳は、案の定身体を震わせて不安と恐怖で顔をひきつらせる。
「大丈夫、怖がらないで。私が明日必ず蘇芳の心を治癒するから、そうしたら大して怖くなくなるから」
私が彼でも怖いものは怖い。だが少なくとも刃物に対する過敏なほどの恐怖が取り除けたらマシだろう。
「わ、わかった」
彼は我慢強い。ぎゅっと目を瞑りながらも頷いてくれた。
*************************
絹を切り裂くような悲鳴が聴こえて、私は目を覚ました。神殿の中庭辺りからのようだ。
まだ薄暗い、早朝のようだ。ガヤガヤと男女の声が騒がしくて、私は急いでベッドから起きると着替えて部屋を飛び出した。
「だから今日はダメなんです!予約をお取りください!」
祭壇の扉を出て中庭に続く廊下で、ヤトさんと他の護衛達が誰かと押し問答になっていた。
「ヤトさん!」
「あ、リナ様申し訳ありません。この者が今日あなたの治療をどうしても受けたいと言われて」
見ると、年配の女性が娘らしい女性の肩を支えて泣いていた。
「お願いします。この子を助けてください」
若い女性の方は、震えて表情を無くしている。視線は定まらず何かに怯えているようだ。先程の悲鳴は彼女のものだろう。
「……………娘さんですか?」
「はい、早く治療して欲しいんです。そうでないと、きっとこの子は死んでしまいます!」
「心の傷だけで死んだりはしないだろ。さあ帰」
「分かりました」
護衛の一人の言葉を遮るようにして、私は若い女性の手を取った。
経験上分かる。彼女は重症だ。
「いいんですか?今日はあいつの治療を優先するのでは?」
「放っとけないです」
ヤトさんが私に伺うのに曖昧に頷いて言えば、困ったような顔をされた。それから今しがた発言した部下を叱責してくれた。
「馬鹿、心が傷つくと死ぬこともあるんだよ」
そうだ、人は見えない部分を軽視しがちだ。本当は見えないからこそ気を付けていないといけないのに。心が死にかけている人は、それで生きていると言えるのか。
『おまえなんて生まなきゃ良かった』
ズグリ、と私の心が痛んだ。気を抜けばフラッシュバックする冷たい視線、残酷な日常、泣いていた私。忘れたい光景。
放っとけない。
痛いから、苦しいから、判るから。
「大丈夫、今楽にしてあげる」
女性に手を差し伸べて、自分に言い聞かせるように呟いた。
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