第4話無能だと言われるけれど4

「………………リナ様」


「は、はい、アルマ様。あの、勝手をして申し訳ありません」




 次の日の早朝。


 神官長様から呼び出された私は、彼女の執務室に通された。




 白い石壁と床。それに小窓が一つ。机と椅子に本棚が一つ。とてもシンプルな部屋は、彼女の飾り気のない人柄そのもののようだ。




「責めているのではありません。あなたの行いは悪いことではありません」


「は、はい」




 60をいくらか過ぎた年配の女性神官長アルマ様は、灰色の髪を後ろで纏めて、白地に青い紋様が入ったくるぶしまである神官服を着て座っている。




「私は、あなたを心配しているのです。あなたは物事を簡単に背負い込む子だから、無理をしているのではないのですか?」




 無理…………確かに人一人の面倒を見るのは大変だし、彼の状態を考えれば荷が重すぎた気がする。




「あの、最初は身体の治癒はできないので断って帰ってもらうつもりだったんです。でも、連れの家族の態度があまりに酷くて………可哀想で」


「同情や憐れみですか」




 憂いを浮かべる彼女に、頭を下げる。




「何の相談もせずに引き受けてしまい申し訳ありません」


「今となっては仕方ありません。とにかく彼の状態を確認させて下さい」


「はい」




 席を立つアルマ様と彼のいる部屋へと向かう。




 この神殿は入り口は常に開放されていて、参拝客は神殿内部に自由に入ることができる。


 入り口を通ると左右に通路が分かれていて、男女別に禊用の水場がある。昨夜彼を洗ったのは、男性用の水場だったが、あんな夜遅くに参拝する者は滅多にいないのを私は知っていた。


 水場を抜けると、神を祀る祭壇のある広いホールへと辿り着く。元の世界の教会とほぼ変わらない内装で、日中はステンドグラスの光が注いで神秘的で美しい。


 参拝客は祈りを捧げると横にある細い帰路専用通路から神殿を出るようになる。ホールの祭壇の後ろには、神殿関係者以外立ち入り禁止になっている扉があり、中庭へと出る。その奥が神官達の居住スペースになっている。




 神官は私を含めて五人。全て女性だ。彼女達や神殿の治安を守るヤトさんのような護衛が三人。神殿の環境美化や整備、神官の食事など身の回りの世話に三人で、こじんまりとした所帯となっている。




 神官達の居住スペースは、昔は多い時で二十人ほどいたらしく、今は部屋が余っている状態だ。


 彼は、その一室にいた。




「あ、神官長様、リナ様」




 部屋の扉を細く開けて中を覗くようにしていたのは、世話役のマリーさんだ。




「どうしました?」


「それが、その、朝食を運んだのですが……………」




 恰幅のいい身体を縮こまらせた彼女に、彼が怖いのだと察しが付いた。


 アマナ様は彼女を下がらせると、ノックはせずに部屋に入った。後から続いた私が見たのは、また部屋の隅にいる彼だった。




「ずっとここに?」


「いえ、昨日は一部治癒を施してベッドで眠ってくれたのですが…………」


「何を治癒したの?」




 アマナ様は問いながら、彼の近くへ歩み寄った。




「触れあうことへの拒絶される恐れ…………です」




 頷いたアマナ様が彼の肩に触れたら、ビクッと身体を固くしながらも彼は大人しくしている。




「言葉は判る?そなた名は?」




 観察するようなアマナ様から顔を背けていた彼だったが、傍に来た私に気付くと、部屋の隅から這うようにして私の後ろに隠れた。




「大丈夫よ、怖がらないで」




 ヨシヨシと赤髪を撫でると、彼が緊張を解いたのが感じられた。私の袖を握って放さない彼に庇護欲を掻き立てられる。




「あらあら、懐なついているわね」


「すみません。言葉は判るようなんですが、話さないんです。ですから名前も分からなくて…………」




 アマナ様は小さく眉を寄せたが、すぐにいつもの穏やかな表情で私を見つめた。




「ではこの子を引き取ったあなたが名を付けておあげなさいな」


「え、私はアマナ様に付けてもらおうかと思っていたんです」


「でもこの子は、あなたが付けた方が喜ぶのでは?」


「そう、ですか。それじゃあ………」




 実は昨夜も寝る直前まで考えていた。


 念入りに洗った髪は、ずっと撫でていたいぐらいサラサラで指通りが良くて、その髪色は目が覚めるように鮮烈な赤。


 力強い赤。




「蘇芳すおう……………この人の名前は、蘇芳です」


「スオウ?あなたの世界の名前ですか?」


「はい。意味は、そのまんま赤ですが………変、ですか?」


「いいえ。綺麗な名前ですね」




 そう述べると、微笑んだアルマ様は扉の方に目を向けた。そしてそこにまだマリーがいて、恐々とこちらの様子を見ているのを確認すると、彼女に医者の手配を頼んだ。




「ああ、それからヤトさんに、この子の素性を調べるように伝えて」


「はい」




 パタパタと大きな足音を立ててマリーが部屋から遠ざかって行った。




「アルマ様」


「この様子では、ここから追い出すわけにはまいりませんね。一度引き受けたからには責任を持って保護しましょう。この子には心身共に治療が必要です」




 彼の顔の傷を目にしても気にした様子の無い彼女に、そっと胸を撫で下ろす。アルマ様は、この世界では海のように心の広い方だ。




「しかし彼の心を治すのは、かなりの時間が掛かるでしょう?」


「はい、傷は幾つもありました。一つずつ治療するには時間が必要です」




 私の力は1日一度が限度だ。


 以前、1日に何度も使っていたら精神的に参ってしまって、二週間ほど鬱状態になったのだ。


 他人の傷付いた心を見ることで、自分の心もその傷に引き摺られてしまい、自分のことのように錯覚してしまう。




 自分の精神力の耐えうる回数は、それだけ。


 本当は、直ぐにでも彼を完全に治してあげたいのに、何とも歯痒い。




「無理はなさらないで下さい」


「はい。でも後一年ですし………」


「そうですね。もうそれだけの時間しかないのですね」




 蘇芳の手を引くと、椅子に座らせる。昨日も、あの後私が誘導するとベッドで眠ってくれたのだ。


 少しだけ私に気を許してくれたのかもしれない。




 テーブルに食事のトレーを置けば、彼は意外にもスプーンを使って食べ出した。昨夜軽食のスープを煽って勢い込んで口に運んでいた時は、よっぽど空腹だったからか。




「美味しい、蘇芳?」




 まだ自分のことだと認識できないのか、名を呼んだ私を訝しげにチラリと見上げる。表情が昨日より垣間見えて嬉しい。




「早く元気になってね」




 彼の頭を撫で続ける私を、アルマ様はじっと見つめていた。




 あと一年で、私の墜ちた泉に元の世界へ通じるゲートが開く。


 私は、その時選択しなければならない。




 ゲートをくぐり帰還するか、この世界に留まり代々聖女と婚姻してきたこの国の皇太子と結婚するか。


 どちらにしても、その時に私の聖女の力は喪われる。


 この世界に来た時に備えた力は、元の世界に還る時に逆に無くなるらしい。


 または、誰かに身体を許した時に喪失するという。






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