第2話無能だと言われるけれど2

「全くあなたは」


「だって放っておけないでしょう」


「すぐ厄介事を引き受けて………」




 ヤトさんのうんざりした視線が辛い。




 二年前にこの世界にやって来てから、頼れる兄貴分なヤトさんには色々お世話になった。


 ある時は猫を拾い一緒に里親を捜したり、またある時は捨て子を見つけて一緒に保護して施設へお願いしたり、そのまたある時は神殿内で産気づいた妊婦さんのお産に一緒に立ち会ったり、それから…………




「おおっ、思い返したら、私聖女らしいことしてる」


「はいはい、もう慣れましたけれどね、ったく、なんで俺がヤローの裸を拝まにゃならんのだ」




 私達は、神殿内にある禊用の水場で彼を洗う為に来ていた。自室にもお風呂はあるが狭いので、このだだっ広い場所を使用する。


 真夜中にランタンの灯りの下で、二人がかりだ。




 腕捲りをして、スカートの裾を結んで準備している私の背後で、ヤトさんが彼を裸に剥いている。


 彼に一人で洗えるかと問うても返事がないし、指示しても動かない為、私達が手伝うことにしたのだ。


 身体が汚いままベッドに寝かせられないから、とにかく綺麗にしたかった。




「ヤトさん、そっちは準備できた?振り向いていい…………ぎゃあ!ちょっ、下、早く隠して!」


「お、待てっと…………いいですよ」




 ヤトさんが彼の腰に慌ててタオルを巻いたのを指の間からチラッと確認して近付く。遠目だから、あまり見ていないよ、うん。




「それじゃあ、ヤトさんは前側をお願い」


「ええぇ…………仕方ないか、リナ様には洗わせられないわな」




 渋々といった顔で、石鹸を泡立てたスポンジで彼の前面を擦り出すヤトさん。


 私は彼の背後に立つと、髪の毛を洗い出した。ヤトさんが、彼越しに私の足の方に目を向けて、顔を赤くして直ぐに視線を反らした。スカート上げすぎちゃったかな?




「泡、目に入ってない?」


「……………………」




 後ろから俯いている顔を窺うが、まるで反応がないし喋らない。もしかして言葉を知らないのだろうか。




「そういえば名前は?」


「あいつ、弟の名前も言わずに帰りやがって」


「まあでも、あのまま連れて帰られるよりは良かったし、名前が分からないなら私が付けるよ」




 あれだけ文句を言っておきながら、保護するとの私の申し出に、弟を捨てるようにして立ち去った兄の、肩の荷が下りたようにホッとした顔を思い出すと、胸焼けするようなもやもやが私の中にわだかまる。




「名も顔も知られないようにして、尚且つ念入りに口止めされるとは、おそらく身分の高い方なのでしょうね。確かに身内に醜い者がいると知れたら困りますから。はあ、でもこれからどうするのです?神官長様はお優しいから怒りはしないでしょうが、この者をここにずっと置いておくわけにはいきませんよ?このような者がいると知られれば神殿の品格を疑われますから」


「…………そう、だね」






 ヤトさんは、この人に同情したというよりは兄の方の態度に腹を立てているようだ。言ってることが酷いことだという自覚はないらしい。




 無意識なのかもしれないが、ずっと彼には極力触りたくないようで、スポンジで洗うものの、片方の手を離して身体を支えようとはしていない。さっき脱がす時も、指で摘まむようにして服を引っ張っていたし、彼を正面から見ようとせず困惑気味に顔を少し反らしている。




 私はそういう世界だと知っていて、ヤトさんの感覚がここではこれでも普通より優しい方だと理解しているので、そっと唇を噛んだ。




 驚かせないように水をそっと掛けて髪の毛の泡を洗い流すと、現れたのは赤毛だった。




「わあ、真っ赤だったんだ」




 目の覚めるような赤い髪。この世界でも少ないのではないだろうか。


 ちなみにヤトさんは焦げ茶色の髪だし、違う世界から来た私は癖の無い真っ直ぐな黒髪が肩甲骨の下まである。




 ヤトさんが、その赤い髪を見て何か気付いたように小さく目を細めた。




「もしかして…………この色合いは」


「何か知ってるの?」


「いえ、はっきりとしたことは……」




 含みのある感じがしたが、問いただす余裕は無かった。とにかく彼を休ませたい気持ちで急いていたし、何か知ったところで私には関係ないことだと思ったから。




 次に背中をスポンジで擦る。


 やはり細い。背は170センチ後半はあるだろうに、骨の浮いた身体は痛ましい。


 直接的な暴力の傷は無いが、本来なら青春を謳歌しているだろう青年が、こんな姿になった背景を思うと、胸がギュッと締め付けられた。




「こんなに痩せて…………」


「ア」




 思わず骨の浮いた肩を指で撫でると、彼が唸って大きく身体を動かした。それから急に腰を浮かして逃げようとした。




「こら待て、まだ洗い終えてないぞ!」


「どうしたの?」




 イヤイヤと首を振る彼の腕を掴むと、余計に目を見開き震え出した。




「触られるのが怖いの?」


「ア、アア」




 掴んでいる腕を見ると、振り払うほどの拒みはない。だが怯えている。




「触られることに慣れていないのでしょう。ああほら、リナ様手をお離し下さい」




 ヤトさんの私を心配するような顔を見て、ゆっくりと手を離す。




 頭の中は疑問でいっぱいだった。


 触られることが怖い?


 自分の身体に誰かが触れるなんて、どうしたらいいか分からずに混乱しているということか。それだけ触れられたことがないということなのか。




 洗い終え、ヤトさんが自分の着古した服を彼に着せて袖を引っ張り部屋に連れて行った。私はその間に片付けをして、厨房を漁った。




 パンとカボチャのスープを盆に載せて部屋に入ると、なぜかベッドではなく彼は部屋の隅に蹲っていた。ヤトさんは困惑して、傍に立って頭を掻いている。




「参ったなあ。ベッドで眠ることもできないのか」


「……………ヤトさん、大丈夫。付き合わせてごめんね、もう休んでいいよ」




 盆をサイドテーブルに置き、彼の前まで行くと座り込んだ。何か言いたげにしていたヤトさんだったが、私の表情を見ると溜め息をついて頷いた。




「分かりました。神官長様には俺から報告しておきます。もし何かあったら直ぐに呼んで下さいよ」


「ありがとう、助かったよ」




 彼を見つめたままの私に、ヤトさんは察すると素直に部屋を出ていった。




「いろんなことが怖いんだね」




 ビタリと引っ付いて蹲る彼に、ソロリと手を伸ばす。




「大丈夫よ」




 長い前髪を分けると、虚ろな水色の瞳が床を見ている。


 明日髪を切って、爪も切って…………やることは沢山ある。


 名前も考えなきゃね。




「まずは……………傷を治さないと」


「ア、ア!」




 髪に触れていた手を、するりと顔の傷に滑らすと、予想通り彼は悲鳴のような声を出した。




「怖がらないで」




 額から瞼、頬から唇まで傷を辿り、トンと軽く心臓の位置に手のひらを押し付けた。その状態のまま目を閉じると、彼の震えと動悸が伝わってきた。




「今楽にしてあげる」




 この人がこれ以上軽んじられないように、見返せるように。


 今までにないぐらい私は真剣だった。


 こんなの許せないと心の奥で憤っていた。




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