無能聖女は、醜い獣から逃げまくる
ゆいみら
第1話無能だと言われるけれど
「…………………モ……………イ……」
その男は私を一目見るなり、ボソボソと聞き取れないほど小さな声で何かを言うと回れ右をした。
「な、待て!おいお前、この者を早く止めぬか!」
男の兄と名乗った人が私に怒鳴るが、私には止める筋合いはない。
だって来たのはそっちだし。
私が聞こえない振りをして、肘を付いて窓の宵闇へとボヘーと視線を送るのを見て、彼は舌打ちをして扉を開けようとする男の肩を掴もうとして………止めた。
忌々しげに手を引っ込めた彼は、背中を向ける弟に怒鳴った。
「よく勝手が言えたものだ!そんな醜い姿に成り下がっても生かしてもらっている恩も忘れて!」
「……………………」
弟に掛ける言葉にしては、あんまりな言葉だ。
眉を顰めて彼らに視線を向ければ、弟の方は扉の前で立ち止まって兄から浴びせられる罵声を黙って受けている。
「このような者でも、信じがたいが血の繋がりがあるのを認めているというのに。人目を忍んでここまで連れて来た私の身にもなれ!」
どうして黙ったままなのか。いや、なんとなくはわかるのだ。
罵られる男は、ランタンの薄灯りの中でも歪な姿が見てとれた。
兄の年齢からしてまだ若いだろうに、背中を丸めて歩く様子は歳を重ねた者のようだ。それに脛まである上掛けに隠されているが、その体が痩せ細っているのは背骨の浮きで分かった。
深く被ったフードの下には、先ほど診る為に一瞬だけ晒した顔。
瞳は薄い水色。髪の色は茶色のようだが汚れていて分からない。
そう汚れている。
何とも言えない体臭は、何日も風呂に入っていないのだろう。
兄の態度からして、入浴自体も制限されているのかもしれない。
おそらく彼は隠されて生かされているのだ。
なぜって、この世界では醜さが罪だから。
彼の顔には、長い前髪に隠しきれない傷があった。額から左側の瞼を通り唇の際まで。
やや斜めに、顔を縦に切り裂いた傷は刀傷だろうか。目が無事だったのは幸いだが、ざっくりと抉れた大きな傷は無惨としか言いようがない。
いつの傷だろう。
チラッとしか見ていないが、傷口の肉の盛り上がりや引きつった感じから古い傷のようだった。それもあまり手当てがされていないのか、パックリと開いた状態で自然治癒したような傷だ。
彼の兄は、真夜中にいきなり訪れるなり「こいつを治せ」としか言わなかったので詳しいことは分からないが、彼が今までどんな扱いを受けていたかは、目の前で煩く喚く兄の方を見ていたら分かるというものだ。
「お前もお前だ!聖女の分際で何もせぬのか!」
「へ?私?」
さっきまで弟に「生きている価値もない」「やはりあの時死んでくれていたら」「お前は我が家の恥だ」等とありとあらゆる人格否定を述べていた男は、いきなり私へと口撃してきた。
とんだ飛び火だ。
「神殿から聖女認定された女だと聞いて、わざわざ出向いた挙げ句、傷は治せないだと?それでよく聖女など名乗っておるな!」
「え、は?」
名乗ってはいないよ。聖女だと神殿サイドが公言してるだけだよ。私は只慎ましくのんびり過ごしたいだけだからね。
「ふん、聖女の力を大袈裟に吹聴して銭を取るとは、詐欺だな!」
「詐欺では………私の力は」
説明するの難しいんだよね。
それに善意の寄付金で成り立っている神殿は、金額を提示したりしない。
私の力は、ほぼ無料。ボランティアだ。
どう切り出そうかと思っていたら、いきなり扉が外へと開かれた。
「リナ様!」
私の護衛であるヤトさんが、部屋に飛び込んできた。
「来客がある時は呼んでください!」
「だって寝てただろうから悪いなー、と」
「何のための護衛ですか」
寝癖を付けたままのヤトさんが、煩い男に顔を向ける。
「夜中にいきなりいらっしゃった上に、大声で騒ぎ立てるとは失礼でしょう?」
「何を偉そうに!私が誰だと…………いやいい」
気付いたように鍔の広い帽子を深く被り直し顔を隠すようにした男は自分が誰であるか知られたくないようだ。
まだ何か言いたげにしていたが、水色の瞳で私を睨むと最後に小さく「役立たず」と捨て台詞を吐いた。
「何てことを!」
「ヤトさん、いいから」
ヤトさんが食って掛かるのを手で制しながら、私は扉の近くに佇む弟の方を見ていた。
「何ぼやぼやしてる!早く行け!」
さっきは引き留めようとした癖に、兄が顎をしゃくって追い立てようとしているのを目にすると、思わず口を開いてしまった。
「待ってください、その人をどうする気ですか?」
「は?お前には関係ないだろう」
触れるのも穢らわしいのか、兄は弟から距離を空けたまま。
「リナ様」
止めておけという含みを込めてヤトさんが私を呼ぶが、だってねえ…………これ普通なら警察沙汰だよ?あの人虐待されてるんだよ?
何で人のいいヤトさんまで私に困ったような顔をするのかな?何も思わないの?
私から見たら、彼らの感覚の方が異常に見えてしまう。
「その人を………また閉じ込めるんですか?食事もろくにあげていないですよね?お風呂だって…………」
「だから何だと言うのだ?私の勝手だ、口を出すな」
このまま行かせたらどうなる?
フードの奥から覗く目が、微かに私を見た。そしてすぐに諦めたように目を逸らしてしまった。
ああ、この人……………自分のことすらどうでもよくなってる。
それが分かってしまった。
だから、私は椅子から立ち上がり、大股で歩くと兄弟の間に割って入った。
「この人は神殿で保護します」
「何だと!?」
「私が治療しますから」
「さっきは無理だと言っただろう?!」
ビクッと彼は身体を揺らした。兄の声にではなく、私が彼の袖を掴んだせいらしい。
「…………体の傷は治せません。けれど他の傷なら治せます」
無能だとよく言われる。
異世界から度々墜ちてくる人間は、この世界で治癒能力を開花させる為に『聖女』と呼ばれる。
過去数人がやって来たが、全て女性だった為に男性の呼び名はない。
私はその中でも特殊な力を持つ。それは目に見えない力。
体の傷は治せない。
でも、どんな人間の心も治癒できる。
私は心を治す聖女。
ある意味、姑息な力だと思っている。
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