リコエル ✥ 番外編1

 王立院の図書館は摩訶不思議な構造をしている。もう慣れたものだが、初めて立ち入る人間はだれか司書か案内役かをつけておいたほうがいい。この図書館はあの"猫"、もとい学園長が魔改造に魔改造を重ねて完成したというが、無限に続く回廊をやみくもに進めば、冗談ではなく二度と出てこられない可能性がある。


(三番目の書棚を右に折れて、向かって左、書見台のある棚から数えて五番目の……)


 通い詰めるような場合は、このようにしっかり相対的に書棚の位置を覚えておく必要がある。からだ。とはいえ幸いにも、無限にも思われるこの書架は、入るたびに模様替えが行われるような悪辣な新鮮さはないので、記憶力がいい者なら迷わない。


 ちょっとした調べ物のため、ベルカはしばらくその区画に用があった。他に誰もいないので、一人になりたい時にもよく利用する。


「おや、」


 と、そこに人影を見咎めて、思わず声を上げる。これが司書や他の生徒なら特別気にすることもないのだが、それはそれは場違いな人物であった。


「タリファ伯子?」

「これはこれは、」


 上の棚の本を取ろうとしていたのか、手袋を嵌めた片手を挙げたまま、先客はにっこりと笑う。そして目的の書物を引き抜いてからベルカに向き直ると慇懃に礼をした。


「殿下におかれましてはお日柄もよろしく——」


 つかつかと歩み寄って、先客のブーツのつま先を踏みつける。が、すんでのところで躱されてしまった。運動神経は相手の方が優れているのでしょうがない。


「何年前の話だ」


 じろりと睨み上げて低く唸るも、男はなんでもないような顔で肩をすくめる。


「椅子から蹴落とされたところで血の貴さがなくなるわけではありませんから」

「その割には、貴人に対する敬意が微塵も感じられぬが」

「申し訳ありません。卑しい生まれなもので」


 爵位持ちが言うと嫌味にしか聞こえない。しかし、影でそう言われているのは確かだろう。


 タリファ伯爵家は、王権と切っても切れない家だ。とは言うものの、それはタリファの血に王家の血が混ざっていると言う意味ではない。同家は純粋な騎士の家系だ。忠臣としてそれなりに代を重ね、そこそこの権力を持ち、まあまあの財力を持つ。


 六大公爵家麾下の伯爵家を並べた際に頭一つ分長じる家格でありながら卑しい生まれと揶揄されるのには理由がある。

 王家の血は混ざっていないが、王家のを与る家であるからだ。


 例えば、子を産めなくなった妃。例えば、お手つきはあったが通いのない哀れな妃。実家に帰れば粘着な責め苦が待っているであろうものたちを「下賜」という形で受け入れる。


 妃たちの名誉のため、王からの賜り物を独占する家と言えば聞こえはいいが、しかし、女にとっては「墓場」であり、王の寵愛を羨むものからは「掃き溜め」と唾を吐かれる。


 タリファ家は、このために公爵家から伯爵家に降格させられた。権力の偏重を危惧する他の公爵家の溜飲を下げるためだ。


 廃嫡されたとはいえ、王の正子にここまで無礼な口を利いてまだ首がつながっているのは、そういった複雑な背景があるからだ。伯爵家ではあるが発言力は公爵家と遜色ない。そしてベルカが引き取られたロズレイン公爵家は、親王傍系でありながら「寂れた」血筋で、この男の発言に苦言を呈することはできても罰することはできないのだ。


 悦に細められた切れ長の目を見て、狐だな、と思う。

 目の前の男が周囲からの評価を気にするような人間ではないことは確かなので、やはり嫌味だろう。


 タリファ伯子オルグウェン。次男だったか三男だったか、少なくとも嫡子ではない。長男を立て、家を立て、当主の意向に行儀よく従う。玩具を見つけるとそれにかまける悪癖があることと傲慢不遜な言動を除けば、器量良しで女に好かれる。頭は悪くない、むしろひけらかさないだけで十分に優秀だ。


 だからこそ、この男がこんなところにいることには意味がある。


「あまり熱烈な目で見られると困ります」


 今度は足を踏んづけてやった。


「ご機嫌がよろしくないようで」

「誰のせいだと思っている」


 自分と同じ色の瞳を睨め付けて、その手から書物を奪い取ってやった。


「……魔女狩りの歴史に興味が?」


 男がここにいる意味を探ろうと、手にした書物の題目をなぞり、ぱらぱらとページをめくる。


 タリファ家から魔女が出たことはない。そんな事実があれば恩賜の対象にはならない。もしくは、隠蔽されていたがそれを裏付けるものがあったか。しかしその場合は内々に処理するだろうから、このような場所で記録を漁る必要はない。


 内容は、処刑された魔女の名前と、罪状、処刑方法、場所と日時、簡潔な人間関係、それくらいだ。読本というよりは史料なので、味気がない。


「ランバルド家の魔女について調べていまして」

「ランバルド家?」


 記憶を辿る。伯爵家の中でも中級の家柄だ。臣としては良くも悪くも目立つところはない。というのも、目立つ前に代が変わるからだ。


「不思議に思いませんか? かの家のものはやたらと早死にするのです」

「そのような血もあろう」


 例えば、血が濃いとか。近親婚を繰り返せば体は弱くなると聞いたことがある。ちちがそうのたまってやたら妃を集めるのをそばで見てきた。


殿、先程から気になっているのですが、そのような言葉遣いでは怪しまれますよ」


 む、と口を引き結ぶ。


「……血の濃さでないとしたら、なに?」

「魔女が関わっているのではないかと」

「同家に叛意、もしくは瑕疵ありということか?」


 結論を急ぐベルカを、男はじっと見つめる。ベルカは咳払いをひとつして、鬱陶しそうに髪を払った。


「そもそも、なぜわざわざランバルド家のことを……」

「婿入りするので」

「なるほど婿に……婿?」


 素直に驚いた。タリファ家の男児が、嫁を取るのではなく婿に行くとは前例のないことではなかろうか。普通、貴族の長男以外は自立して家を出て行くのが基本だが、タリファ家の場合は行き場のない女を抱えてやらねばならないので家に残る。特に今代は囲われている妃の多いことだ。わざわざ男手を外に出す理由が見当たらない。


「あちらの方からどうしても、と」

「惚れ込んだわけではないのか」

「……」


 少しかわいそうに思った。いや、大いに同情した。この男に「面白い」と評された相手は徹底的に玩具にされるのだ。暴力を振るう人間ではないが、保証できるのはそれくらいだ。


「ただの勝気で反抗的な相手なら興味も湧きませんが、あれは手負いの獣です。小さな体でよくもまあ懸命に足掻く。全くいじらしくてしょうがない。何度手折っても、まるで屈服しない。組み敷いているのはこちらなのに、高みから慈悲を与えられているような気分になります。あれはなんなんでしょうね、高潔さとでもいうのでしょうか。ああいうのはやり込めてものにしたくなるというものです」


 訂正しよう。惚れ込んでいる。しかも、重症だ。本人は気づいているのだろうか。


「話を戻してくれる?」


 男のうっとりとした表情をこれ以上見ていたくない。いくら顔立ちが整っていても、だ。気力を吸われたような気分で言うと、男は案外素直に従った。


「ランバルド家に、国を揺るがすような企みがあるわけではありません。それどころではないでしょう。生まれる子が次々死ぬような状況では、力のつけようもない」

「呪いか何かのよう……だね」

「そう思って調べています」


 男はベルカから本を受け取ると、書見台の上に置いた。


「年代からしてこのあたりに記述があるはず……ほら」


 男が指差した箇所を覗き込む。ラウラローナという名前が確認できた。ランバルド伯爵夫人の肩書きに、目を瞬く。


「身内から魔女が?」

「平凡な花屋の娘ならば、身内ではないでしょう」


 残酷な言葉だが、珍しいことではない。当人同士が好き合っていても、血統主義は夫人を排除しにかかっただろう。日付を見れば二百年も昔、恋愛の自由が今ほど浸透していなかった時代だ。


「……いやちょっと待て、前提が」


 どうにも引っかかる。頤に指を引っ掛け、しばし思考にふけった。


?」


 ……ああ、本当に残酷なことだ。

 伯爵の目に留まり、純朴な娘が信じた愛はとんだ茶番劇だったのだ。


「この魔女を処断してから、ランバルドの血統にはが生じます」

「早死にと言っていたね」

「はい。三つを数えれば幸運、長く生きても二十三十。今代は永らえているようですが、それでも翌の春は迎えられないだろうと。ただ」

「ただ?」

「娘に関しては健体であるようでした」


 大きな病気もなく、文武ともに優れた成績を残している、と男は続けた。


「おそらく、半分しか血を分けていないからでしょうね」

「妾腹ということ?」

「はい。


 そんな言い回しをするのは、「知らされていない」からなのだろう。調べはついているが、突っ込むのは野暮ということだ。


「庶子を嫡子とすることは、罪ではないけれど……」

「血統主義の家からは軽んじられて、肩身は狭くなるでしょう」

「それで、タリファの血の出番というわけか。大きな賭けに出たものだね」


 悪くはないが、綱渡りだろう。それほどまでに逼迫した状況であるとも言える。


 家が一つ潰れるということは、雇われていた人間たちが路頭に迷うということだ。伯爵家ともなれば没落が及ぼす影響は大きい。先細りの家であっても、養っているものたちがいる。


「本人はどう思っているのかな」


 今更、「こういうことは本人の意思が大切」などと言うつもりはない。この男には通用しないし、貴族とはそういうものだ。男は何か思い出したのか、喉の奥でくつくつと笑う。


「自分を愛する人と結ばれると言っていましたよ」

「それは、また……」


 この男の嗜虐心と征服欲を大いに煽ったに違いない。関わりのない娘だが、心の中で手を合わせた。


「かわいいでしょう」

「愛してやると言うつもりはないの?」

「なぜ?」


 にこにこと笑みを浮かべたまま、男は首を傾げた。自分と同じ色の髪が揺れる。ここで「なぜか」という問いが間髪なく出てくるところに、この男の欠陥があると思うのだが。


「伯爵夫人は、おっとに裏切られて、魔女になった」


 聞き分けのない子供を誘導するように、ベルカは言葉を選ぶ。


「同じ悲劇を繰り返したくないとその娘が望んでいるなら、婚約者として、協力してやったらどうなの?」

「そこまでの義理はありませんね」


 素直に娘を愛することはできないし、かといって他の男にとられるのも癪ということか。


 子供だな、と思う。

 同時に、そこまで執着するのに何故気づかないんだ、と思う。


 本を閉じた。それを、返却棚に置く。この短時間の間にやたら疲れた気がする。


「貴方様こそ、魔女狩りの歴史に興味がおありなのですか」


 水を向けられ、口を開きかけて、やめた。この男に無駄な情報を渡してやる気はない。


「単に通りかかっただけだよ」

「このような味気ない書架に?」

「課題だ」

「なるほど」


 それで、納得はしてくれたらしい。簡潔に挨拶をして、脇をすり抜けていく。すれ違いざま、耳元に囁きを吹き込まれた。


「あまり出しゃばっては首と胴が離れますよ」


 それは、男の領分を侵した、という話ではない。

 魔女狩りの歴史は禁忌でこそないが、底なしの闇であることには違いない。廃嫡の王子でさえ首を刎ねられるようなものが、眠っているかもしれない。


「……誰が刎ねるのだろうな」


 首筋をさする。

 それも含めて、深入りすべきではない領域なのだろう。

 重苦しい沈黙にささやかな恐怖を覚えて、ベルカもまた書架を後にした。調べ物は、また次の機会でもいいだろう。

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