✥ Possessive

 楽しそうな話し声が聞こえる。

 その光景を目にしたとき、自分でも驚くほどの衝撃を受けて。

 ただ、少し気を許していた(ように思う)人が、他の人と楽しげに会話をしているのを見て、子供じみや寂寥感を抱いてしまって。

 試験期間だから、研究棟は立ち入り禁止だから、とかいろんな理由をつけてなんとなく足が遠のいてしまって、そのまま。もう1ヶ月くらい経っている気がする。


「誰かを独り占めにしたいと思ったことって、ある?」


 訊ねると、目の前の少女の白い髪が揺れる。長い前髪から覗く青い瞳は緊張に揺れて、視線はじっと机の上の紅茶の水面に注がれていた。

 和やかな会話というよりは尋問でもしているかのような雰囲気だが——ことの発端は十分前に遡る。

 試験をなんとかやり過ごしたい学生によって食堂や図書館が占拠され、『先生』の研究室もこの時期は避けておくほうが無難であろうと考えた結果、五号館のカフェへと足を伸ばした。そこも案の定混んでいたのだが、(一方的に)見知った顔を見つけて相席を頼んだ次第である。

 ルネリィ=アルテレシア。人一倍怖がりで繊細。扱いに気をつけなさいと言われ、以後頭の片隅に留めておいた。本来ならそれくらいの印象しかないが、最近になって彼女に関する『噂』を耳にしていたせいか、その姿を見つけた時、ふと興味で声をかけたのだ。

 いわく、怯えているのは『演技』だとか。

 いわく、あのエーレンハウトの妹だとか。

 いわく、とある教師と『懇意』にしているだとか。


 噂というものは好き勝手に撒かれるものだ。自分の目で確かめなければ本質は見えない。とはいえ……質問はもう少し選ぶべきだったか、と沈黙の間に無音のため息をつく。

 初対面の相手からそんなことを言われて警戒しない相手などいない。現に、彼女は動揺して押し黙ってしまっている。失敗であるし、さっさと謝ったほうが吉だ。

「ああ、いや、ごめん。不躾だった。今初めて会った人に聞く内容じゃなかったね。あんまりこういうことを聞くことができる友達がいなくて」

 言い訳がましくなってしまったが、こういう時は素直なほうがいい。ルネリィはようやく顔を上げて、不思議そうにエルフィルドを見た。

「先輩は、いつもたくさんの人たちに囲まれていて……友達が多そうに見えるのですが」

「えっと、あれは……」

 友達、というよりは、ファン、というか。

 慕ってくれているのは分かるが、あまり自分のことを話そうと思える距離にいる子たちではない。彼ら彼女らが求めているのは、王子様であるエルフィルドであって、思い悩み俯いているエルフィルドではない。

「先輩は、贅沢な悩みをお持ちです」

「……返す言葉もないな」

 意外とはっきり物を言う。その上その通りなのだから他人をよく見ていると思う。羨ましいような、非難がましい色を乗せた言葉は、思いの外心に刺さった。

「私だから、聞いたんですか?」

「そうだね。……気を悪くしないで欲しいのだけど、君にはいろいろな噂があるから。けれど噂は噂だ。確かめてみたいと思って」

 青い瞳が探るようにじっとエルフィルドの瞳を見つめた。そしておもむろに席を立つ。場所を移したいらしい。たしかにこんな込み入った話、他人に聞かれたくはない。


 カフェを出て中庭へと向かう道すがら、周囲は静かな物だった。連れている子が彼女だからなのか、皆遠巻きに様子を窺うだけで話しかけてはこない。腫れ物を扱うみたいに。

「いつも『こう』なのかい」

「一人でいるときは、そうですね」

 若干含みのある言葉を咀嚼する。彼女の声はどこまでも透明で、拾い切れるだけの感情が載っていない。

「質問を質問で返すようで、恐縮なのですが。……先輩には、独り占めしたい人がいるんですか」

「そう見える?」

「思うところがなければ、他人に聞くようなことでもない……と思います」

「なるほど。うーん、そうだな……」

 空いているベンチに座り、腕を組んで考える。

「正直よく分からない。今までそういうことを考えたことはなかったし、僕の身分では相応しくなかったから」

 みんなのものでいるということは、誰のものにもならないということだ。そういうところに安心している子たちは多いし、そういう役割が求められているとおもっている。

 家庭内においてもそうだ。継嗣として義母が求めるものに、エルフィルドの個人的な感情は邪魔なものとして扱われる。

「そんな顔をするくらいなら、全部投げ出してしまっていいと思います」

「む、」

 言われて、背筋を伸ばして表情を引き締める。役者には向いていませんね、と続けられて、肩を落とした。

「君は存外にもはっきりとものを言う」

「失礼だとは思っているのですが……その」

 ルネリィは気まずそうに口元を押さえた。普段はそういうことを言うタイプでないことは、なんとなく感じ取れた。

「隣の芝は青い、というし」

 お互いに抱いている感情の正体についてそう結論づけると、いくらか空気が柔らかくなった。

「先輩はもう卒業、ですよね」

「そうだね」

「その人と、会う機会は持てそうですか」

「難しいな」

 家を継いで結婚すれば、自由な身振りはますます難しくなる。顔を出す先は学院ではなく貴族の館や宮廷になるだろうし、疎遠になるだろう。

「私は先輩のようには割り切れなくて」

 白い手が膝の上で拳を作る。

「私だけを見ていてほしいって、思ってしまうんです」

 透明な声に初めて感情が載ったように思えた。

「君は結構、大胆で、勇敢だね」

「先輩は意外と臆病ですね」

「うん」

 予鈴が鳴った。ルネリィはこのあと授業があるらしく、一言二言言葉を交わして足早に去っていく。自分も本来なら『彼』の授業が入っているのだが、なんとなく動く気になれずに、しばらくそのままでいた。

 あの、楽しそうに話していた子は、自分が学院を去った後でも、そんな時間が過ごせる。彼と。


 いいな、とぽつり、呟きが漏れた。

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