黄昏に潜む
きっかけは、なんてことはない、一枚のチラシだった。
「王都散策同好会……?」
新学期。部活動勧誘に賑わう放課後、風に飛ばされてきた紙を拾い、エルフィルドはしばし考えた。
点数稼ぎなら、学生自治会や大会出場経験のある部活で名声を得るなどした方がいい。エルフィルドが掲げる目標は、ちょっとやそっとの努力では達成されないものだ。事実、エルフィルドはそうしてきた。おかげで前年度は次席の成績で締めくくることができたのだ。
だから、今年もそのように過ごすのだと思っていた。そのチラシを見るまでは。
「いいんじゃないかな、最後の一年なんだし」
後ろからひょっこり顔を出してそう嘯くのは、幼馴染みのサンディアだ。エルフィルドの過去を知り、その家庭事情を理解している数少ない友人の一人である。
「王子様をやめる時間があっても誰も咎めないと思う」
今まで頑張ってきたご褒美だよ、とサンディアは笑った。
王立院に入学し、多くの生徒と交わる中で、エルフィルドは大きく成長した。がむしゃらに親の愛を得ようと走ってきたその間、エルフィルド自身の「こうありたい」という望みを聞き届けてくれた皆の存在が、エルフィルドの自立心を育て上げた。
本当は、年頃の娘として振る舞いたい。
そう扱ってくれるみんなのことを、大切にしたい。
「俺は、エルフィに後悔して欲しくないな」
「……ありがとう、サンディア。君はいつも優しいね」
エルフィルドが最後の学生生活に選んだのは、求められる自分ではなく、こうありたい自分の姿だった。
エルフィルドが学生自治会を辞した噂はすぐに広まり、最高学年ということでなし崩し的に同好会のリーダーとなったことも話題になった。今年からは顧問の教員もついて、準部活としての活動を認められた。
そんな王都探索同好会の活動内容は——
「今日はこのお店を調査しようと思う」
放課後、王都にある話題の店や場所を巡って記録し、月に一回観光マップを発行すること。
堅苦しいことは何ひとつなく、調査とはいうものの、要はメンバーと楽しく時間を過ごすことが主旨である。
「このお店……今若い女の子たちを中心に話題になっている紅茶とケーキのお店ですわね」
「まあ。それは楽しみね」
真っ先に反応したのはメンバーのエスプリトと顧問のエレオノーラだ。それに、小さく頷く。
「でも、男の子も入りやすい雰囲気なんだとか。多少人数が多くても受け入れてくれるし、学生も歓迎してくれるらしい。もちろん、席はすでに取ってあるよ」
噂の喫茶店に入れるということで、皆嬉しそうに声を上げる。どんなメニューがあるだとか、店主へのインタビュー内容を確認したりだとかしたあとで、ぞろぞろと歩き出す。
「今日はありがとうございます、」
エスプリトを先頭に列なして歩くメンバーの最後尾で、エルフィルドはブルーノのつぶやきを聞く。
アルヴィラッツに赴任したばかりのルーン魔術の教師は、あまり表情が読めない。肩に乗っている2匹のヤマネが彼の感情を伝えてくれる。同好会の活動に興味があると言って急遽同行することになった彼は、楽しそうな生徒たちの様子に満足げだ。
「いえ、先生をお誘いできてぼくも嬉しいです。……あ、そうだ」
しぃっと唇に人差し指を寄せて、エルフィルドはブルーノの手を引いて、静かに列を離れた。
「どこへ?」
「高台が近くにあるんです。先生にお見せしたいものがあって……大丈夫、お店で合流できるよう近道も把握しています」
戸惑うブルーノに、エルフィルドは悪戯っぽく笑った。エスプリトやエレオノーラなら察してくれるだろう。それは、新しいメンバーが同好会に入ると、エルフィルドが決まって案内する場所だった。
その高台からは王都を一望できる。この時間は、水平線に沈む太陽と、暮れなずむ王都の姿を見られる貴重ないっときなのだ。
「見てください! 綺麗でしょう?」
斜陽の中に飛び込む。普段なら澄ました顔のエルフィルドだが、この時間は彼の——彼女の時間だ。ブルーノを振り返るのは満面の笑みで、頬は夕暮れを映して色づく。
普段とは全く違うエルフィルドの様子にブルーノは驚きつつも、続いて高台からその景色を見た。
輝く波間を背景に灯る人々の営みの光と、夕日が交錯し、なんとも幻想的な雰囲気を醸している。ほう、とブルーノは息をついた。
「"暁の都"は朝が真骨頂と聞いていましたが、夕暮れの景色もとても美しいんですね」
「そうでしょう。先生にこの街のこと、もっと知っていただきたくて」
柵に手をかけ、しばし景色に見入る。遠いさざなみが耳に届くようだ。
「忘れないで欲しくて」
その一言は、少し寂しさを帯びていた。
最後の学生生活。王立院をどう卒業するかで、エルフィルドの命運は決まる。ランバルド家の女主人の要求をこなせなければ、エルフィルドは生きる後ろ盾を失う。要求を満たせば、ランバルド家の嫡男として厳しい教育が待っている。この景色を目にすることは、ほとんどなくなるだろう。
だからこの一瞬の感動を、たくさんの人と分かち合いたかった。
サンディアが背中を押してくれなければ、そんな思いも抱かなかっただろう。
夕日に映し出された影が濃く伸びる。
それは光の中にありながら、エルフィルドにささやかな恐怖を与えるのだった。
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