指先にふれる


「素行以外は問題がないんだがな」


 を進級させるべきかどうか。会議室は紛糾している。

 中間試験の成績は次年度の進級に関わる。他の試験に比べて比重は少ないとはいえ、全くの無関係ではないというところから話が飛んだ。本来は進級が危ぶまれる生徒について話していたはずだったのだが。


「そろそろには、停学なりなんなり重い処分を下すべきだ」


 一理ある。


「彼女の行いは目に余る。王立院の風紀を乱す生徒だ、停学では甘い」


 確かにそうだろう。


「エーレンハウト先生はどう考えていらっしゃるのかな」


「そうですね。少なくとも今する話ではないと。話を戻しても?」


 自分が苛立っているのだと、声を発して気づいた。

 それは横道に逸れた不毛な議論に対してか。

 あるいは彼女のことを槍玉に挙げられたからなのか。

 深く考えれば沼に嵌るような気がして、思考を塞ぐ。


「大方、お前が乗ってくるだろうと思ったんだろうな」


 会議が終わった後、議事録を取っているシヴェリスの隣にヴィットリオが座る。


「でも珍しいな。お前が規則違反を庇うなんて」

「庇ったわけじゃない。君は無意味な議論をするためにここにいるのか?」

「……そうじゃあないが」

「ふさわしい場で議題に上がれば意見も言おう」

「では、彼女を停学に?」

「停学で自身の行いを省みるような生徒なら誰も手を焼いていないだろう? 必要なのはわかりやすい罰を与え続けることではない」


 書類をまとめて立ち上がる。ヴィットリオは座ったままシヴェリスを見上げ、ふぅん、とその瞳を覗き込んだ。


「彼女は“特別”か」


 唐突な問いに、心臓が跳ねる。背中に冷や汗が伝った。


「昔からお前は面倒見の良い方だけど。普段のお前なら他の大勢の生徒の利益を選ぶだろ。だからそこまでこだわる理由があるんだと思って」

「違う」


 開き書けた蓋を閉じる。

 この想いは、誰にも知られてはならない。

 だが、少し強く否定しすぎたか。驚いて見開かれた瞳に、自らの失態を悟る。


「ヴィリー、」

「……」


 立ち去ろうと踵を返すと、ヴィットリオは慌てて立ち上がり、シヴェリスの腕をとった。

 それを、振り払う。


「こんな気持ちは、すぐに捨てる」


 どうってことはない。一度摘んだ芽だ。今度も失敗しない。だからそんな目で見ないでくれ。


 振り返らず、足早に会議室を出た。教員室に戻り議事録を提出して、そのまま研究室に向かう。いつも通りだ。いつもと違うのは、鼓動のざわめきだけ。


 ひとりになりたい。この気持ちを鎮めて、剥がして、捨てる。それだけの静けさと孤独が必要だ。


 なのに。


「あ、」


 研究室の扉を開けると、先客がいた。顔を上げたその人物は、すっかりソファでくつろいでいる。


「……タンタシオン」


 できるだけ感情を殺して、その名を呼ぶ。動揺を悟られぬよう、ため息とともに零した。


「ここは君の城ではない。なぜここに、」

「あんたが呼んだんじゃないの。このラヴリちゃんが素直に応じてあげたんだからもっと喜びなさい」


 ……記憶を辿る。

 そうだ、確か。彼女に手伝いを頼んだのだ。主に授業の出欠記録だが。それで、先日の彼女のはお咎めなしになる。


「ちょっと、大丈夫?」

「……すまない、私としたことが」


 直近の予定すら頭から抜け落ちるほどに動揺していた自分にあきれ返り、額に手を当てて盛大にため息をついた。


「よく来た、タンタシオン。先の非礼を詫びよう」

「いいわよ、気持ち悪い」

「……仕事はこれだ。2回目だから、やり方はわかるだろう? 私は私の仕事を片付けるから終わったら声をかけなさい」


 素っ気無い、いつものやりとり。机の引き出しから出欠簿と束ねた出欠カードを取り出し、差し出す。


 ラヴリはそれを嫌々ながら受け取る——その時軽く、指先が触れた。


「——っ、」


 手袋をはめた手には、体温も感触も伝わらない。だが反射的に手を引っ込めてしまった。それに、一瞬ラヴリの表情が固まる。


「そう。触れるのも嫌?」


 ラヴリは不敵に微笑む。そんなことで傷つくわけがないとでも言うように。

 実際、そうなのだろう。拒絶を、彼女は歯牙にも掛けない。


「……違う。今のは、」


 なにが違うのか。

 咄嗟に否定しようと出かかった言葉を、呑み込む。

 少女と自分との間に境界線を引くことを、望んでいたのはほかでもない自分自身であるはずなのに、今更なにを否定するのか。


 だというのに、突き放すだけのことができない。


(ああ、そうか)


 その理由に、思い至ってしまった。

 気づかなければまだ引き返すことも、捨てることもできたであろう気持ちに、無様にも追い縋るのは。

 彼女が、幼いあの日にシヴェリスが諦めたすべてを持っているから。そのように、眩しく映るから。


「私は」


 言葉を探す。誤解を解き、かつ、根を張り巡らせる欲望の、欠けらも悟られぬ聞こえの良い言葉を。


「君を、羨んでいるのだろう」


 嘘ではない。だが、本心も告げてはいない。


 ラヴリは目を瞬いた後、小首を傾げた。


「意外ね。もっと余裕のある人だと思ってたけど」




 余裕など一分もない、君の前では、何もかも。

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