春楡の邂逅〈後〉
「……あれ、」
保健医に事情を話して処置を任せた後、ルネリィは誰もいない部室へと足を運んでいた。教科書を読んで時間を潰し、放課の鐘が鳴ると帰り支度をする。そこでようやく、生徒手帳がどこにもないことに気がついた。
どこかで落としたのか。思い当たるのは、鞄の中身をぶちまけた薬草園だ。今から向かうにしても、すでに陽は大きく傾いて、探すのには苦労するだろう。
あるいは、誰かが見つけて届けてくれているかも。
期待を胸に、遺失物窓口に向かう。しかしそれらしいものは届いてはいないということだった。
生徒手帳は構内への出入りに必要なものだ。窓口で仮の手帳を発行してもらう。
「すぐに見つかると思いますよ。他の落し物と違って住所が書かれていますから、おうちに届いているかもしれませんね」
「はい……」
今日はついていないと重い足取りで帰宅し、だれか人が訪ねてこなかったか、生徒手帳をなくしてしまったと父に告げた。
「お客さんの中にルネリィを訪ねてきた人はいなかったよ。まあ、そのうち見つかるさ」
あるいは、あの銀髪の青年か、保健医ならば見つけたかもしれない。失せ物を探しているというしょうもない理由で人に会うのはやはり気がひけるのだが、手帳がなければ王立院の生徒であることを証明できない。
せめてなくしたものが髪留めや筆記用具といった類のものならさっさと諦めもついたのだが。
翌日、半分諦めて薬草園へと足を運ぶ。だれにも拾われず落ちているという可能性もあるからだ。
しかし、今日はやけに中庭が賑わっている。
「なんだろう……?」
「あ、ルネリィ」
大勢の人の気配に及び腰になっていると、後ろから声をかけられる。肩を強張らせて振り返ると、そこにはひとの良さそうな笑顔を浮かべた白衣の男が立っていた。
レイモンド・アイドリー・プラタナス。通称「
それなりに気心の知れた相手とわかりルネリィがほっと息をつくと、リップはくしゃりとルネリィの頭を撫でる。
「ルネリィもお茶会に参加するの?」
「おちゃ……?」
「紫陽花茶会。新入生歓迎会だね。上級生が下級生にお茶会の作法を教えるんだよ。ルネリィは2年生だからまだ、教わる側かな。そうだ、アリアドネ先生と一緒にお茶しようか。もう少ししたら来るから」
アリアドネもリップと同じく、ルネリィの面倒を見てくれている教師だ。あれよあれよという間にテーブルに案内され、茶菓子と紅茶が美しくセッティングされた席に座らされる。
「あ、あの、先生」
私、忘れ物を探しに来たんです。そう言おうとしたが、ルネリィのか細い声はリップを囲んだ生徒たちの声にかき消されてしまう。相変わらずの人気だ。
ひとまずリップが戻ってきた時にすぐにお茶が飲めるよう、ルネリィはポットの中身を確認する。用意されている茶葉はカモミールのようだ。
他の茶葉も確認すると、主要なフレーバーのほかはハーブで揃えられている。花飾りもハーブフラワーだ。薬草に興味関心のあるルネリィのためにリップがこの席を選んだことを悟り、ルネリィは自然と頬を綻ばせる。
「お、ここはハーブティのコーナーなのか」
そこへ、弾んだ声がかけられた。
聞いたことのある声に顔を上げる。陽光を反射した銀髪が煌めいた。金色の瞳がぱちりと瞬いてルネリィを見る。
「君は——」
「薬草を生で食べていたひと」
思わずルネリィが呟くと、青年はうっと言葉を詰まらせた。
「そ、そうなんだが……せめて名前で……」
「す、すみません」
毒素にやられている時の感覚を思い出したらしい、胸元を押さえ渋い顔をする青年に、ルネリィは慌てて謝る。青年は咳払いをして場を仕切り直すと、胸ポケットから取り出したものをルネリィに差し出した。
「でも、会えてよかった。これはお前のだろう、えーと……ルネリィ・アルテレシア」
それは、ルネリィの生徒手帳だった。目を瞬くルネリィに、青年は続ける。
「俺はリッター・オルデン。教師だ。助けてくれてありがとう、ルネリィ」
金色の目が優しげに細められる。
不思議と、恐怖は感じなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます