第4生 香楓

 香楓しゃんふぉんは何かに気がつき始めていた。それは人間であった頃に聞いた紅緋ほんひの神になった経緯や、燕泓えんおうの態度などから推測した結果であった。紅緋はこう言っていた。

「禁池にはかつて美しい神がいた。

 その神とこの国の皇子であった余は、想い合っていた。

 余は、戦の傷が元で命を落とし、神はその悲しみのあまりに力を失い、流転の渦へと身を落とした。

 命を失った余は燕泓によって神にされ、禁池に縛られる事となった。

 余は、愛しい神が転生する姫を待ち続けた――」

 そして自らの経験はどうだろうか。自らも、紅緋と同じような道を辿ってはいまいだろうか。もしかすると、何回も同じ事を繰り返し続けているのかもしれない。


 だが、これは推測の域を出なかった。実際に起きている事に当てはめられるのか、確かめる手段は紅緋の人間となった存在に会うしかない。紅緋の転生した人間にこの為だけに会いたいと思ったわけではない。彼と離れてから逢いたくないと思った事は一度もない。ずっと、待ち続けている。

 香楓は、疑問の解決策としてではなく純粋に、ずっと待ち続けていた。愛しいあの神に逢いたい、ただそれだけだった。

「何者だ?何故この禁池にいる」

 厳しい声が聞こえてきた。香楓は、あぁやっと来た。と思った。ゆっくりと振り向いて彼の存在を確かめる。親愛の込められた視線を向ける。

「妾は、この禁池が神。香楓――

 名は何というのです?皇子」



 皇子の名は倖綸しんるぅんと言う。禁池へは突然無性に行きたくなったのだと言っていた。香楓は既視感を覚えた。自分もかつて同じような事をしなかっただろうか。考え込む神に、皇子は戸惑っていた。

「妾は香楓という。

 この名に覚えは?倖綸」

 神の言葉に尚更皇子は混乱しかけたが、自分の感情を見せるのは愚かな事かと思い隠した。見事な隠し方だった。

「いや……知っているような気はする。

 だが、全く思い出せない」

 その言葉だけで十分だった。香楓は自分の立てた仮説が正しかったのだと理解した。神は皇子に近づいた。

「倖綸……妾と約束をしましょう」

「約束?」

 神は右手を皇子の頬へと伸ばし、壊れ物を扱うかのようにそっと触れた。


「お互い、秘密はなし。

 特に互いの未来に関わる事に関しての秘密を一切禁止します」

 あと、言わないってのもなしよ。と神は念を押した。倖綸はよく分からなかったが、神に対して秘密を作ったりするのは気が引けた。

「分かった。約束をしよう」


 この時以降倖綸は度々この禁池へと訪れてはたわいもない会話をしていった。香楓は皇子が来る度に優しく出迎えた。そうする内に倖綸は香楓へ惹かれていった。皇子は性格こそ丸くなっていたが、紅緋そのものだった。あの剛毛そうな髪の毛や、少し太めの眉まですべて神だった頃と変わらなかった。香楓はこの皇子が以前の神と異なる人物であるように思えない。

 根本は同じだが、周りは変質する。それでも愛し抜いてくれた紅緋の愛の深い事。それを香楓は思い知らされた。香楓は倖綸を紅緋としてではなく、一人の皇子として扱った。次第に紅緋と無意識に比べる事がなくなっていき、倖綸そのものを愛するようになっていった。


「香楓、相談がある」

 突然倖綸がそう言った。香楓には相談されるという事が初めてであるかのように感じた。それもそうだ。今までこの二人は転生してきたが相談をする事だけはなかった。香楓は喜びを感じながら、話の続きを促した。

「余に、目付役らが他国からの姫を娶れと。

 余にはそなたがいれば十分なのだ。どうすれば良い?」

 神はその言葉に、自分のとった結論を言おうとした。神は畏まった言葉を使うのをやめていた。倖綸にやめてくれと言われたのだ。敬語をやめたが、逆に言葉遣いは男のようになってしまった。だが、敬語を使わない人物で女性はほとんど居なかったのだから仕方がない事だといえよう。

「妾は、昔人間だった。この国の姫だったのだ。

 姫だった妾は、他国の皇子と祝言を迎えた。

 そのときの妾には……とても大切な方がいた」

 皇子は何も言わずに聞いている。珍しく表情に、感情が浮かんでいる。

「大切な方がいたが、妾は一国の姫である。

 故に、その役目を優先させた。

 その役目を終えたら、彼の元へと馳せ参じようと思ってね」

 懐かしそうに目を細めて語る姿は、皇子は少し胸が痛んだが何も言わなかった。


「しかし、それは叶わなかった。

 余が寿命を全うし、かの神へ会いに行った所……余の愛する神は、我らが転生する為に入るべき流転の渦に落ちた後だったのだ」

 皇子は厭な予感がした。だが、この昔語りを止める事はできない。

「流転の渦に落ちた愛しい神の代わりに、妾が神となった。

 そして、ずっとずっとその神の転生を待ち続けた。

 ――そして、出逢う事ができた。それが倖綸だ」

 倖綸が息を呑んだ。香楓はゆっくりとした動作で彼を見つめる。その瞳に嘘はなかった。

 皇子は「ゆっくり考えてくる」と言って禁池を去って行った。香楓は小さく溜め息を吐いて池に姿を消した。




「香楓、余は決めた。

 正妻はとらない。だが、何人かを後宮に迎える」

 倖綸は神の池へ来るなり言い放った。すると、神が池から出てきて「そう」と一言だけ言った。

 思ったよりも平然な様子の神に皇子は訝しんだが、他にも聞きたい事があった。

「燕泓とは、どういった神だ?

 余は、会えるのならば会ってみたい」

 神は首をかしげながら答えた。

「会って、どうするのだ?」

 あまり乗り気でないような返答に、倖綸は一瞬怯むもその表情を見て落ち着いた。香楓は、倖綸の行動が純粋に分からないから聞き返していた。

「余は、我らが何かを繰り返し続けているような気がするのだ。

 全てではないが、既視感を覚える事がある。

 その正体を知りたい。そして――

 このままでは我らは決して結ばれる事のない運命だ。

 ……どうすればこの運命を変えられるのか、その知恵を借りたいのだ」

 倖綸も香楓と同様に何かがを感じ取っていたようだ。神は、自らの考えを確認する良い機会かもしれないと思った。燕泓に話をしたところ快く受けてくれた。


 かの神は実の所、いい加減にこの二人の関係が厭になっていた。親しんでくれていた自分の創り上げた神が憐れでならない。そして人間でありながら、神に対して敬う前に愛を知った姫が哀しくてならない。この二人は何度繰り返すつもりなのだろうか。そろそろ、このすれ違いを終わらせても良い頃合いであろう。そう思っていた。

 燕泓は二人が解決すれば良いと思っていた。そしてこれからもそう思うだろう。だが、過去に二回ほど彼らを巡り合わせてみたが、うまくはいかなかった。人間の方が死ぬと、神は自分を保てなかったのだ。転生を待っている間の片割れをずっと見ていた。双方共に、相手を強く愛していた。それが枷になっているのか、うまくいかぬ。

 燕泓は、これ以上平常で見守り続ける事ができる程、無感情な神ではなかった。




「して、我が息子よ。何が聞きたい?」

 燕泓のもとへ辿り着いた途端にその言葉が投げかけられた。礼をしてから話し始めようと思っていた倖綸は、驚きのあまり固まってしまう。香楓はくすくすと笑った。

「燕泓様、彼は……覚えてないのですから、からかってはいけませぬ」

「だがなぁ。

 あたしにとってみれば、やはり幾度となく転生しても息子なのだ」

 軽口をたたく様子に倖綸は燕泓の性格を知ったような気がした。だが、そのおかげで平素の状態に戻る事ができた。

「燕泓様、まず……わたしは何人目ですか」

「……結論を急ぐか。まぁ良い。

 お前は三人目だ。

 始まりは蓮葉れんしょう。次は紅緋、そしてお前」

 ゆったりとした口調で答える燕泓は落ち着いていた。倖綸も落ち着いた様子を見せていた。

「では、ここにいる香楓は何人目ですか」

「この姫は、二人目だ。

 始まりが蓮華れんほあ、そしてここにいる香楓」

 香楓は、以前の名が蓮華であると知った。だが何も思い出す事はなかった。それを寂しいとは思わなかった。何も覚えていないからだろうか。


「妾の憶測ですが、その以前の我々は同じ事を繰り返してはいませんでしたか?」

「お前も言うようになったねぇ。

 以前のお前は……臆病で儚かった。

 良いだろう。

 ――その通りだよ、お前たちは同じ過ちを三度みたび繰り返した」


 神と皇子は顔を見合わせた。お互いに信じられないといった顔をしている。

「驚くのはこれからさ。

 一度目は姫が自分の意志を貫けぬ事を知り、自害した。それを嘆いた神は、人間へと転生した。

 二度目は皇子が戦の傷で死に、姫はその衝撃に力を失った。力を失った神は自動的に人間へと転生する。

 三度目は……香楓から聞いただろう。その通りだ」

 香楓の違和感がこれで全て解決した事になる。そして倖綸の聞きたい事は答えられた。

「あたしが言えるのは、お前たちがこの後何になるのかを決めるべきだって事だけ。」

 それ以降、燕泓は口を閉ざしてしまった。これ以上余計な事を言うまいとしている。二人はもう一度顔を見合わせた。今度はもう驚いた顔ではなかった。皇子の決意は決まっていた。香楓には、それが手に取るように分かった。かつての自分がなりたいと思っていたように。

「さて、お前たちは――どうしたい?」

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