その8 エピローグは美しく
居室に戻って、彼女はベッドの端に腰かけ、弟の茂氏が着替えやら何やらを渡し、
『他に何かいるものはないか?』とか、
『何か食べるか?』とか訊ねたが、彼女は生返事をしただけで、俊介の方ばかりを見て、何やら話しかけている。
しかしその会話はもっぱら映画のことやら、向こうの生活について
俊介もただ穏やかそうに笑ってそれに
俺はじっと二人の様子を観察していた。
特に俊介がいつ『
まさかこんな施設で真昼間、認知症で足元もおぼつかない老婦人に襲い掛かるなんて真似をするとは思えないが・・・・。
『さあ、先生(職員は直子の事をこう呼んでいるらしい)、そろそろお医者さんの診察ですよ』
そういって、先ほどの介護士が車椅子を押して呼びに来た。
月に一度、医師が施設に来訪して、何人かの入所者の診察をするのだそうで、今日は彼女の順番なのだという。
『残念ね。でも世界で活躍する俳優さんと、これだけお話が出来たのは嬉しかったわ・・・・』
直子は介護士の手を借りながら車椅子に移ると、俊介の顔を見上げながら、心惜しげにまた手を出し、彼の手を握り締めた。
俊介もそっとその手を握り返す。
『なあに、直子先生さえお元気でいらしたら、僕はまたアメリカから逢いに来ますよ』
『本当?』
『本当です。僕はウソはつきません』
俊介はそういうと、アメリカ式に、頬に接吻をしてみせた。
『まあ・・・・』
70代後半の老婦人がピンク色に頬を染めた。
『約束よ。本当に』
『ああ、そうそう、忘れてた』
と、俊介が思い出したように持っていた鞄から何かを取り出そうとする。
俺は一瞬身構えた。
だが、彼が取り出したのは、空手衣姿の自分のポートレートで、続けて取り出したフェルトペンでサインと簡単な言葉を書き添えて彼女に渡した。
『ありがとう。また来てね。きっとよ』
その時の直子の表情は、まるきり初恋の男性に会った少女に戻っていた。
いや、少なくとも俺にはそう見えた。
『今日はどうも有難うございました。』
面会が終わって玄関から外に出た時、茂氏が深々と頭を下げた。
俊介は、
『いや』とだけ答え、にっこりと笑って返した。
その笑顔には何かふっ切れたような、そんな色を感じた。
『どうですか?探偵さん、何もなかったでしょう?』
『まあね』俺は苦笑しながらシナモンスティックを咥えた。
『でも・・・・「渡したい物」って、一体何だったんです?まさかあのブロマイドだったという訳じゃ』
『これですよ』
彼はそう言って、バッグの中から黒い筒の様なものを取り出して俺に手渡した。
よく卒業証書なんかを入れる、あれのことである。
『開けても?』
俺が聞き返すと、彼はまた黙って頷いた。
それは卒業証書だった。
全体にバカでかくバッテンがしてあり、学校名は黒く塗りつぶされており、それだけじゃなく、『
『本当はこれを渡すつもりだったんですがね・・・・でも、もういいんです。破って捨てるか、焼いてしまうか、好きなように処分してください。』
それだけ言うと彼は、
『すみません。仕事がありますから、これで失礼します』といい、また深々と頭を下げた。
俺は東京に帰ると、
これで、今回の俺の仕事は終わりだ。
何もやってないみたいだが、まあいい。 傍らにはちょっとお高いウィスキーがある。
これでまた朝まで呑んだくれることにしよう。
終わり
*)この物語はフィクションです。登場人物、その他全ては、作者の想像の産物であります。
黒い卒業証書 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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