その7 復讐 2
《ルビを入力…》『小林さんですね・・・・』
『姉さん・・・・相変わらずだな』
職員と茂が顔を見合わせて苦笑いをしたが、俊介はその甲高い声を聞くと、ちょっと不快そうな表情を見せた。
『こちらです。どうぞ』
そこは食堂兼ホールといったところで、広いスペースに、何脚か椅子とテーブルが置かれている。
そこに車いすに乗っていたり、椅子に座っていたりと、老人たちは思い思いに過ごしているようだった。
甲高い声は相変わらず聞こえている。
小林直子は南側の窓際の日当たりのよい席に腰かけて、目の前に座っているエプロンを掛けた中年女性(後で聞いたところ、地区の婦人会から来ているボランティアだそうだ)の女性を向かいに座らせて、テーブルの上に置いた英語の絵本を前に、何かをレクチャーしているのだ。
彼女はクリーム色のレースのカーディガンを羽織り、下には茶色に白い花を散らした半袖のワンピース姿だった。
頭髪はもう殆ど真っ白だったが、肌は色白で皺もそれほど多くない。
一見しただけではとても『そんな病気』とは思えないだろう。
絵本だから書かれているのはごく簡単な言葉なのだが、彼女はそれを
だが、彼女は同じところを何度も同じ調子で訳し、しかもそれが間違いだらけとというのは、俺が聞いていても良くわかる。
最初に俺がここを訪れた時も、彼女は同じことをしていた。やはりボランティアの女性を前に、英語の絵本を読ませて、発音や訳の間違いを指摘していた。
『姉さん、こんにちは、この人は・・・・』
茂氏が挨拶をし、俺も軽く頭を下げた。
そして初対面の本田俊介氏を紹介しようとした時、
俊介氏が突然絵本の英文を読んで見せたのである。
イントネーションは滑らかで、典型的なアメリカン・イングリッシュで、簡単な文章だとはいえ、ちらりと横目で見ただけだというのに、見事なものである。
今までこちらの方に、まったく関心を示さなかった彼女が、俊介の顔を見上げて、そして急に
『あなた、とても英語がお上手ね。素晴らしいわ。どこで習われたの?』
『中学時代に基礎を教えて下さった先生が素晴らしかったからですよ』
俊介は軽く微笑んでそう答えた。
『姉さん、この人、知らないかな?本田俊介さん』
弟の茂氏が紹介をしたが、彼女は名前を聞いても、特別表情を変えたりはしなかった。
むしろ、向かいに座っていたボランティアの中年女性の方が、本田俊介を目の当たりにして驚いた様子だった。
『実は僕、弟さんのちょっとした友人でしてね。どうしても一度お姉さんをお見舞いしてあげて欲しいって頼まれたものですから』
『ああ、そう、貴方だったの?』
直子の表情がそこでぱっと明るくなった。
直子も昔から映画が好きだったらしく、そのことだけは理解しているようだったが、しかし本田俊介がかつての教え子で、自分とは曰く因縁があるということそのものは、もうさっぱり頭の中から抜けきっている・・・・少なくとも俺にはそう思えた。
周囲には、たちまち人垣が出来た。
何しろハリウッドで名を成した国際派スターの突然のご入来である。
映画好きの入所者ばかりでなく、職員達迄やってきて、握手を求めるわ、サインを乞うわといった有様になった。
彼はそんな騒ぎに全く動じることなく、気さくに握手やサインに応じていた。
騒ぎが沈静化して、茂氏が、
『ここじゃ何だから』と、彼女の手を握り、居室に連れて行こうとすると、
『あ、僕が』
本田俊介が手を出し、代わりに自分が彼女を支えるようにして歩き出した。
一瞬、俺は身構えたが、彼はにこやかに直子の手を優しく握り、肩を抱くようにしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます