その2 灰色の思い出 1

『それでもまだ一年の頃は幾らかましだったんです。』


 彼は訥々とつとつとした口調で続けた。


『問題は二年になってからでした・・・・成績もよく、教師の受けもいい、まあいってみればボス的な存在の生徒と同じクラスになったんです。進級した途端に目をつけられましてね。それこそ毎日のようにいじめられてました。』


 俊介はいじめの概要について、長々と語ってくれたが、ここではそれはあまり意味があるとは思えないので省くことにしよう。


『もう、その頃から、学校の授業も、高校受験に照準を合わせたものになってしまっていました。生徒に勉強を教えるというよりも、

「ここは受験に必ず出るから」とか、

「ここくらいは覚えておかないと、最低ランクの学校でも受からないぞ」とか、教師の口調もそんな感じに変わってきていたんです。何かを教えるというより、とにかく業者が作った市販のテストのようなプリントを毎日山のように出されて、やってこないともうほったらかしでした。』


 当たり前だが、いじめの相談なんか埒外らちがいで、ましてや彼のように勉強が出来ない人間など、まともに相手なんかしてくれるわけがない。


 あまりいじめが酷く、しかも授業の内容も分からないものだから、1週間ほど学校をエスケープして、通学路の近くにある雑木林の中の横穴(戦時中に掘られた防空壕ぼうくうごうの跡だった)で、横になって、好きな映画の本を読んで寝ていたことがあった。


 それでも学校は家に連絡もしてこなかった。


 幸い、その生徒とは三年になってクラスが別になったので、以前ほど頻繁にいじめられるということもなくなった。


 その代わり、新たな難問が加わった。


 今度は担任教師である。


 そのクラス担任というのが、小林直子先生である。


『小林は、当時確か30歳半ばくらい、独身で教科は英語が担任でした。』


 進学したばかりの時、彼女は受け持ちの彼らの前ではっきりと、こう宣言した。


(私は努力をしない生徒は嫌いです。努力を怠ったら、容赦なく置いてゆきますからそのつもりで)


 彼女の言葉にウソはなかった。


 彼女はその日、二年で習った問題の小テストをやらせた。


 勿論大半の生徒が解くことが出来たのだが、彼と、他の数名だけが出来なかった。


 その日から直子の『出来の悪い組』を見る目が変わった。


 否、変わったというより、決まったのだ。


 勉強の出来ない人間はほったらかし、


 それでもまだ、幾らかでも努力しようとする者は、多少なりとも目を掛けるようにはなったが、俊介のように、


『努力する気がない』と、見做みなされた生徒は、完全に無視される。 


 前日に授業で教えた箇所は翌日最初に黒板の前に引っ張り出されて解かされる。


 教室の中の40名弱は、必ず指名されるのだが、俊介は、


『どうせ貴方は分からないでしょう。はい次』


 などという、屈辱的な扱いを受けた。


 おまけにいじめはあるで、ますます学校に行くのが嫌になった彼は、行ったり行かなかったりを繰り返すようになった。


 しかし、彼自身にもまったく向上心がなかったわけではない。


 学校に行かない時でも、不登校の子供を支援してくれるフリースクールに通い、何とか追いつこうと必死だった。


 そうしているうちに、彼にも一つの希望が生まれた。


 元々動物が好きだった彼は、ある日、東京の動物園の名物飼育員氏の書いた本に出会い、

『動物園に勤めたい』と思うようになった。


 その本には飼育員になるには『農業高校を出るのが良い』とあったので、彼は県立の有名農業高校への進学を希望した。


 そして進路を決める三者面談の折、彼はその話を担任の小林先生に打ち明けた。


『その時のの目つきと言葉は今でも忘れられません』彼は唇を震わせ、俺の顔を見た。



 











 

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