Section 13. 軍上層部にて。

Scene 76. 回想と、イザナイ。

ヴァースはリングのある旧トレーニング室を施錠すると、三人とは別れ、ジム・ヴェガスには戻らずにそのまま士官住居区の自宅に向かった。


トレーニングウエアに着替える前に着ていた制服は、ジムから艦内配送システムを使ってクリーニングに出してしまったので、取りに行く必要は無い。いずれ自宅に届けられるはずだ。自宅で冷たいシャワーを浴び、保管してあった軽食で腹を満たすと、制服に着替えて特別区画の執務室に向かう。


「おかえりなさいませ。」

「ああ。」


自動扉が開くと、左側の自分のデスクに座るディーリーが出迎えてくれた。その向かいにはソファーとテーブルがあり、簡易な応接間になっている。正面に進めばまた扉があり、ヴァースは片手を壁の認証スキャナにかざし、その扉を潜った。


執務室本室にもやはりソファーとテーブルの応接セットがあり、奥には仮眠室も備え付けられている。ヴァースは左手再奥にある浮遊椅子に腰掛けた。椅子が起動して床から浮き上がると同時に、すぐ隣にあった金属製の支柱から、同素材のデスクと、ホログラムのスクリーンがいくつも展開される。


一つの画面端の通知に目をやれば、先ほどの視察の報告書が、ディーリーから既に上がってきていた。後はヴァースの決裁後、提出するのみである。


ヴァースは流石だな、と頭の片隅で感嘆を零し、一方でどうしてこんなに有能な彼女が、こうもすんなりと自分の秘書に充てがわれたのか、と少し不思議に思っていた。––– それは彼女の美貌故に、配属された先々で周りが仕事にならず、親戚でもあるフラー艦長が配慮したが為、だったのだが、ヴァースには知る由もなかった。




通知の一つが、フラーからの通話依頼である事に気付く。通信状況を見れば、「通話可」の表記。直ぐに掛け直す。間をおかずに、通話が繋がった。


『よーう、先代。』

「……御機嫌よう、フラー艦長。」


相変わらず孫に話しかけるような調子で応えたフラーに、ヴァースは思わずこめかみを押さえて肘をついた。


『何じゃ、やる気の無い声して。』

「その敬称は、今後は如何なものかと……」

『何も間違っちゃおらんだろうが。』

「それはそうですが……今は、貴方の部下なのですから。」


確かにヴァースは、短期間ながらも先代の艦長を務め、フラーにその座を譲った身である。しかし、空挺軍に再入隊したヴァースにとって、元帥、つまり最高権威者である母艦艦長のフラーは上官となる。先代、などと呼んでは、その上下関係に誤った認識をされかねない。他の者達に示しがつかないでしょう、と、ヴァースは諭すように言った。


「この後の会議で、間違ってもその呼び方をしないで下さいよ。」

『細かい奴じゃのう。まぁええ。そんで、アクレス准将よ、』

「はい。」


フラーが大人しく敬称を改めてくれたことに安堵して、ヴァースは応えた。


『幾人か、会議の出席者が代理人を出してきたんじゃが、何か心当たりあるかえ。』

「……さぁ、どうでしょう。」


ヴァースは背もたれに寄りかかり、肘掛に腕を預ける。口元には意味有りげな笑みが浮かんでいたが、当然フラーには見えない。


『お前さんが出席すると分かった途端、じゃからのう。よっぽどお前さんと会いたく無いのか……それともどうしても会いたい奴らに代わったのか。』


後者は可能性が低いだろうな、とヴァースは考えたが、口にはしなかった。


『それか……』


フラーは、ほんの少しだけ間を空けてから続けた。


『動ける状態じゃあ無いのか……』


ヴァースは、今度はふ、と、声に出して笑ってから応えた。


「自己管理がなっていないとは、部門長の器としては心配ですね。」

『ほっほ、全くじゃな。』

「まぁ、身体のことは何とも言えませんから。余り目くじらを立てても可哀想でしょう。ただ……」

『うむ?』

「……艦長が出席する会議に這ってでも来ないのであれば、その者は軍に対するその程度の忠誠心しか持ち合わせていない、と……」


ヴァースは、軽い溜息を吐きながら続けた。


「そう考えてしまわざるを得ませんね。」

『ほっほ、怖い怖い。』


通信プログラムの向こう側で、フラーは愉快そうに笑う。


「怖いだなんて、心外ですね。単なる意見ですよ。」

『ほっほ、そうじゃろうなぁ。』

「それで、会議ですが、私は今回は出席するだけで良いのですよね?」

『ああ、構わん。顔出しだと思っておってくれ。』

「わかりました。」


会話を終えて、通話を切る直前にヴァースは一つ付け加えた。


「ああそうだ、フラー殿。」

『うむ?』

「もし到着が遅れたら、始めていてくださいね。なにぶん歩き回るのが久し振りですから。迷ってしまうかもしれない。しかし必ず参りますので。」


◆◆◆


ヴァースはディーリーに、「視察の日程調整の催促を、改めて各部署に、音声通話で伝えておいてくれ」と言い置いて、会議には同行せずに執務室で作業を続けて貰うよう頼んだ。時間通りに指定の会議室に向かう。



通路を歩きながら、ぼんやりと思う。随分時間は経っている。冷たいシャワーも浴びた。



それでもまだ、身体の火照りが治らない。




数時間前に、彼女がこの腕の中にいた。


全力で、拳と足を叩きつけてきた。




その事実を思い起こすだけで、身体が熱を持つ。自然と、口の端が上がりそうになる。



澄んだ琥珀色の瞳が潤み、自分を見つめていた。今日1日だけで、様々な色を見せたそれ。戸惑い、焦り、憤怒、苛立ち、驚き、そして……至近距離で覗き込んだそれに見えたのは、自分の中に湧いていたものと同じだっただろうか。



知らずため息が出て、誰とも無く呟きが溢れる。


「……あと二回か……」


地上で二人きりで会った時のあの言質が無ければ、自分はあの時まず間違い無く……




暴走仕掛けた思考に気付いて、慌てて逸らす。そう、そうだ。他に、気になることもあったのだ。




まず彼女の対戦中のあの切り替わりよう。


自分はあれを知っている。あれは、危ういものだ。彼女自身、解って制御しているようでは無かった。


いずれ、手解きをした方がいいかも知れない。あれをあのままにしておいては、彼女は自身を傷つけかねない。さて、どうやってこのことに関して言及したものか。もう少し親しい仲になってからにするべきか。



それともう一つ……




と、ヴァースの思考に、そこで邪魔が入った。


特別区画内の通路のT字路に差し掛かった時、右の通路から人影が現れる。


手を伸ばせば届く間合いに突如として入った、艦内整備員の制服と帽子を身につけた技術空士。その手元で鈍く銀色に光る刃の切っ先が、ヴァースの懐に向けられていた。

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