Scene 74. 解放と、発動。
「もう終わりか?全力で来て構わんぞ?」
こちらが息を整えている間に、余裕の表情でそう言われて、ミィヤは心の中だけで食ってかかる。
(全力ですって?最初っからそのつもりでやってるわよ!!)
楽しそうにジリジリと間合いを詰められ、ミィヤは構えを取り直した。うかうかしていたら間違いなくあっという間に一本取られてしまう。ルールは向こうが三本取るまでに一本取ればこちらの勝ち。まだ一本も取られていないが、それは向こうが遊んでいるからだ。
(馬鹿にして!!)
苛立ちは相変わらず湧いて来たが、動き続けていたのと、いくつかの蹴りと全力の突きがガードの上からでも当たったので、ミィヤの溜まっていた鬱憤は幾らかは発散されていた。その為か、少しの冷静さを取り戻したミィヤは、感情に任せた攻撃から、いつもの勝つためのやり方に切り替えることが出来たのだ。
踏み込んで、フェイントを繰り返して隙を伺う。大振りの攻撃は控えて、撃つべきタイミングを見計らう。ヴァースは後退しながらも、その一つ一つを見落とすことなく、的確に反応して来た。ガードを崩して直接のダメージをねじ込むためのコンビネーションは、一打一打を確実にいなされる。時折、向こうからも打って来ようとするフェイントで、攻撃を防がれる。
そうやって攻防を続けるうちに、ミィヤは不思議な感覚を覚え始めた。
それはまるで、丁寧に紡がれる会話の様だ。
ミィヤの身体の動き、指一本の伸縮ですら、ヴァースは認知し、それに意味を見出している様だった。その事が何故か、少しずつミィヤの精神の平穏を取り戻すと共に、この場に不要な雑念を取り払って行く。
相手が思いを寄せる異性であること、その温もりを恋しいと思い、大切にするべき存在であること、そして尊敬する指導者であり、敬うべき上官であるという事実すら、だんだんと脳裏から薄れて行く。目の前に立つのは、ただただ自分が全力を賭して捻り伏せるべき対象となる。
試合に向かう時の、敵を攻略して生き延びようとする本能がもたらす、ありとあらゆる手段を一瞬で思い浮かべ、最適な一手を選び抜くための興奮だけが、徐々に身体を満たして行く。
ミィヤは戸惑いすら感じ始めていた。
なんだこれ?
それは随分と、シンプルな世界だった。
シンプルで、居心地が良い。
目の前に有るのは、美しく鍛え抜かれた身体と、その支配を主張する鮮やかなアースカラーの瞳。
自分のありとあらゆる器官は、それを出し抜くためにある。
ある瞬間、ミィヤはふつりと、そこに立つ目的以外の全てを手放した。
–––あ。
–––大丈夫だ。
どうしてなのか、この時ミィヤを満たしたのは、感じたことの無い安堵だった。
–––この人、全力出して大丈夫だ。
パァン!!!と、眼前でガードしていた拳を弾かれ、ヴァースは仰け反った。
「!?」
–––見えなかった?
起こっていることを信じられない困惑のまま、強烈な危機感に駆られ身体を咄嗟に捩る。鋭い蹴りが、胸元を掠めていった。
「……っ!!」
瞬時に湧いて来た冷や汗が背を伝う。
–––……なんだ?
ヴァースは意識して、自分の中にある戦闘用の「ギア」の様なものを切り替えた。そうすることで、感覚はより鋭敏になり、身体の反応はより精密になる。より「危険な」状況に、対応が可能となる。そうして目の前にいる、自分を惹きつけてやまない存在に全ての知覚を集中させて……
鳩尾を狙った蹴りが、両腕のガードの上から叩きつけられた。
「ぐっ……」
微かな呻きを漏らして、ヴァースは眉根を寄せた。
–––攻撃が読めない。
「おおっ!来た来たっ!!スイッチ入ったんじゃね!?」
金網の外から、ほぼ文字通り金網に食らいついてはしゃぎ始めたのはロブソンだ。
「うっしゃあ行けぇミィヤ!!そのまま一本取っちまえーーーーっ!!」
そして先輩に一杯奢ってもらうぞ!とは言わなかったが、興奮して激励を贈る私欲まみれのロブソンをよそに、隣のマイクは唸りを漏らして黙り込んだ。
「あれ」を発動する時のミィヤは、後が不安だ。今まで何度かしか見た事がないけど、事後はいつでも情緒不安定だった。自分が何をしたか、よく分かっていない。混乱していると言うか、暫くは放心状態だ。いつでも見ていて心許無くなる。大丈夫だろうか……。
しかし流石だなぁ、と、マイクは同時に、今回のミィヤの対戦相手に素直に感心する。
僕らやほかの対戦相手でも、「あれ」を発動させたのはいつも、ほんの一瞬だけだったのに。
いつのまにか、ヴァースは絶え間無く繰り出される攻撃を受け止めるのに必死になっていた。
同時に、状況を理解しようと忙しく思考を巡らせた。
何が起こっているんだ?さっきまで読めていた動きが読めない。次の動きを意図した瞬間に起こる僅かな身体の緊張が伝わってこない。それどころか、感情すら……ついさっきまで、ありありと苛立ちが感じられたっていうのに……。
ふと、上段蹴りで顔面を狙って来たミィヤと視線がぶつかる。
「!!」
それを打ち払いながら、ヴァースは驚愕した。
その目は一切の迷い無く、澄み切っていた。
感情など、存在しないかの様に。
–––この子は誰だ?
ヴァースは、対戦を始める前の、初々しい反応をしていたミィヤを思い出して困惑する。そして思い当たる。
–––彼女が隠していたのは「これ」か。
意図的にやっているのか?だとしたらまるで……
目の前の相手よりは随分と豊富な人生経験の中から、目の当たりにしている現象と酷似したある事例を思い出しかけた時、
ヴァースの耳に、少し遠くから微かな電子機器の処理音が届いた。
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