Scene 57. 酩酊と、堕落。

手洗いに向かう為に席を立って、ヴァースは個室を出た。通路に出るとその先から、ラッザリーニの隣に座っていた女が食器を下げ終わって、戻って来たところだった。


足がもつれて、壁に手を着く。女が慌てた様に駆け寄って来た。


「准将さん、大丈夫?」


言いながら、ヴァースの腕に手を乗せる。ヴァースはぼうっとした様に、その顔を見つめた。赤い紅をさした唇から、肩口の大きく開いた服装で露わになった鎖骨に目が行く。


「慣れたつもりだったんだがな。」


自嘲気味に言いながら、身を起こす。


「そうでも無かったらしい。」

「無理はなさらないで。」


ヴァースは腕に置かれた手を、自分の手を重ねて取った。女は少し戸惑って、その手とヴァースの顔を交互に見た。ヴァースは力の抜けた目で、僅かに微笑んでいる。


「士官住居区は……」


ヴァースがまだ酒の熱を帯びた口を開き、女は目を見開いたままその続きを待った。その表情には期待が滲み出ている。


「少し遠いんだ。近くで休めるところはないかな。」

「案内できますわ。」

「助かるよ。ありがとう。」


少しだけ顔を寄せてそう言うと、ヴァースは取った手を軽く握ってから離し、通路の先へと進んで行き、女は目を輝かせてそれを見送った。





出された酒が底を尽きると、ラッザリーニはさっさと帰る準備を始めた。


「もう少し何か召し上がりませんの?」

「はっ、悪いが今日は酒が主役だ。摘み以外は要らんな。せっかくの味が台無しになる。」


もてなしの女の質問を一蹴して、ラッザリーニは渡された将官のジャケットに袖を通した。前の留め具は留めずに、ソファーの端で肘をついて気怠げに座ったままのヴァースを見降ろして、鼻で笑う。


「ふん、前艦長殿がざまぁ無いな。」

「全くだ。」


敵わないと諦めた様に笑って、ヴァースはラッザリーニを見上げた。


「ごゆっくりどうぞ、だ。俺は先に失礼するぜ。」


皮肉たっぷりに言って、ラッザリーニは両脇にいた女達の肩に両手を回すと、個室を出て行った。見送るために、ヴァースの隣にいた女達も一度席を立った。



置き去りにされたヴァースは、遠ざかるラッザリーニと女達の笑い声と足音を聞きながら、暫く空を見つめて動かなかった。息を吐くたびに、まだ残っている酒の余韻が鼻腔にこもる。テーブルの上で、食後に運ばれて来た水のグラスの氷が、カラ、と音を立てた。


程なくして、控えめな足音が一つだけ、また近づいて来た。個室の入り口に、さっき通路で言葉を交わした女が現れた。さっきは着ていなかった上着を身につけている。ヴァースがまだそこに居る事を認めて、駆け寄って来る。ヴァースの肩に手を置くと、優しく囁いた。


「准将さん、ご案内するわ。」

「すまないね。」


女の手を借りて、ヴァースはゆっくりと立ち上がった。女の目を見て密やかに言う。


「良かったのかい。」

「え?」

「彼に誘われたんじゃ無いのかい。」

「あら、ふふ。」


女は笑いながら、ソファーにかけてあったヴァースの上着を手に取って広げる。


「心配ならさらないで大丈夫よ。」


ヴァースを見つめ返して悪戯っぽく言った。


「他の子に任せましたから。」


ヴァースは笑みを返して、その上着の袖に腕を通した。



「こっちよ。」


店の裏口に案内されて、狭い通路に出た。照明は落とされ、人の通りはない。ヴァースは歩きながら、踵の高く不安定な靴を履いている女の腰に手を回してぐいと引き寄せた。女はバランスを崩してよろめき、ヴァースの脇に倒れこむ様に寄りかかって身体を支える。


二人はクスクスと笑いながら、顔と身体を寄せ合って進んだ。

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