Scene 32. 思い出と、老人。

フラー艦長と面会した翌日、ヴァースはまた別の場所を訪れていた。母艦内には、一部の従軍者とその家族、そして条件を満たした母艦出身者に限り、退役した者でも居住が認められている区画がある。人工太陽に照らされ、空を模した天井に囲まれた大きな空間に、まるで地上の様に建物と緑が並び、噴水や滝まであった。ヴァースは私服姿で、その中でも最も豪奢な作りの建物の一つの前に立った。


広い庭への入り口にある高い格子戸に近づくと、その内側に、ヴァースの使っているものと同じ、狐の面をした執事姿のAI用アバターが浮かび上がった。


『ご用件をどうぞ。』


数年前であれば近づくだけで開いた扉だった。今は用がなければ入れてもらえないらしい。


「親父に……ナジル氏に会いに来た。」

『お名前をどうぞ。』

「ジェイスン・トラヴァース・アクレス・ウォーカー。」


格子戸の両脇にある柱から線状の緑の光が放たれ、ヴァースをスキャンする。本人かどうかを認証しているのだ。


『ご予定は伺っておりません。現在、旦那様はお取り込み中です。』


どうやら本人と分かっても、事前に伝えておかなければ入れてはくれないようだ。


(取り込み中と言うことは、誰か来ているのか。)


考えながら、ヴァースは次の手を試すことにした。父親の用が終わるまで、ここで突っ立って待つのは御免だった。


「なら、使用人のイヴァンはいるか。」

『対象者のフルネームをどうぞ。』

「イヴァン・コウリーヴ。」

『ご用件をどうぞ。』

「ジェイスンが来た、とだけ伝えてくれ。」

『かしこまりました。』


アバターの姿が消える。ヴァースは片手をスラックスのポケットに突っ込んで、多少の苛立ちを吐き出すように大きく息を吐いた。こうなる事は予測出来てはいたが、正直面倒だ。かつては住人だった場所への訪れを制限されるのは、存外に不快感を覚えるもののようだった。


ここはヴァースの父親である、ナジル・レイスゴール・アクレス・ウォーカーの屋敷だ。ヴァースが幼少期を過ごした生家でもある。外観は、ヴァースが生まれた頃と今も変わらない、比較的旧式の作りだ。ただ幼い頃の記憶とは違って、庭には僅かな花しか咲いていない。植栽は手入れはされていたが、どちらかと言えば殺風景だった。


腕を組み片方の柱に寄りかかって、庭を眺めながら物思いに耽っていると、意外と早くに正面玄関の扉が開いた。燕尾服姿の見覚えの無い若い男が、小走りに格子戸に向かってやって来る。ヴァースの元にたどり着くと、柱に手を当ててロックを外し、格子戸を開ける。キビキビとした所作で、ヴァースに対して深々と頭を下げた。


「お帰りなさいませ、ジェイスン様。」

「イヴァンはどうした?」


若い男は、下げた頭をぱっと起こしてからヴァースの質問に答えた。


「早急な対応をとの事で、私目が代わりにと仰せつかりました。」

「そうか。」


あいつ、今いくつだったか、とヴァースは馴染みの使用人のことを思い出す。ヴァースの記憶の中では、今でも彼は走り回る自分を追いかけていた頃の姿のままだ。


「どうぞ、ご案内いたします。」


若い男は視線を外さない程度に頭を下げて片手を建物の方にかかげながら言ってから、ヴァースの先に立って玄関の方に歩き出した。分かるから必要ない、と言おうとしたが、最後にここを訪れてから随分経っている。勝手も違うのだろうと思い留まり、ヴァースは黙って庭に足を踏み入れた。



庭を横切り、玄関を潜り、若い使用人に導かれて通路を進むと、その先に、スーツを着た男が姿勢良く立っていた。殆ど白髪の髪をぴったりと後ろに撫で付けているが、カールのかかった髪は後ろでふんわりと広がってしまっている。会話の出来る距離までヴァースが近づくと、深々と頭を下げる。ヴァースは立ち止まって自分から声をかけた。


「久しいな、イヴァン。」

「本当に、ジェイスン様。」

「調子はどうだ?」


笑顔で問われた質問には答えずに、イヴァンと呼ばれた白髪の男は頭を上げる。その顔は少し面食らった様子だった。その間に、若い使用人は一礼して、早歩きで去って行く。イヴァンは軽い咳払いをしてから、また頭を下げて答えた。


「勿体無いお言葉でございます。」

「はは、迎えに出たのがお前でなくて少し心配したよ。元気そうじゃないか。」


機嫌良さげに言いながら、ヴァースは通路を進んで、すれ違いざまにイヴァンの肩にポンと手を置いて、力を込めて揺すった。そのまま久しぶりの実家の中を眺めながら、通路の先にゆっくり進む。イヴァンはヴァースの斜め後ろを歩きながら答えた。


「一刻も早くお迎えせねばと、若い者に頼んだ次第です。」

「助かったよ。親父は?誰か来ているのか?」

「サンドヴァー中将がお越しです。」


(あいつは昇進無しか。無理もない、大将の地位にはあいつらがいる。)


「旦那様には既にお越しである旨お伝えしております。通せと仰っておりました。」

「流石、気が効くな。親父は二階か?」


ヴァースは一階の応接間を覗いてから聞いた。父親どころか、人が使っていた気配すら感じられないようだった。


「書斎においでです。」

「わかった。」

「お飲み物は。」

「任せるよ。」

「畏まりました。」


イヴァンは立ち止まってまた一礼する。ヴァースはイヴァンを残して二階に向かった。



ヴァースは以前の記憶と比べて、家の中の雰囲気が随分変わったと感じていた。以前はもっと物が多かった気がする。壁や棚に飾られている装飾品はあったが、どこか寂しい雰囲気だ。


無理もない、とヴァースは思う。この豪邸に、住人はたったひとりと、あとは使用人達だ。



たった一階分でエレベーターを使うのは逆に面倒臭くて、ヴァースは階段を選んだ。また認証で引っかかったりしたら面倒に思われて、避けた部分もある。階段を登りながら、横の壁を見てヴァースは気づく。


(そうか、母の飾っていた装飾品が無いのか。)


以前はそこに、母の手作りのキルトが飾ってあった筈だ。思い返せば、庭の花は母が世話をしていた。今殺風景なのは当たり前だ。応接間や通路にも、母は花を飾っていた。それは随分昔であるはずなのに、家の中は急に静かになったように感じる。キルトは、父が片付けさせたのだろうか。



階段を上がり切ると、二階の書斎の入り口の手前には、部屋の外を向いて一人の使用人が立っていた。ヴァースを最初に案内した使用人よりは年上のようだったが、やはり知らない顔だった。使用人は階段を上がってきたヴァースに気づいて一礼をすると、ヴァースが書斎に入りやすいように、扉の反対側へと移動した。部屋の扉は開いている。


ヴァースは一度足を止めてから、ゆっくりと書斎の入り口に近づいた。そして、開いている扉の前に立つ。



書斎の中にいた、二人の人間がこちらを見ていた。


「これはこれは。」


先に口を開いたのは、先日ヴァースが来ていたものと同じ軍服を着た、壮年の男だった。帽子を後ろ手に持って、書斎のデスクの横に立っている。横を向いていたのを、ヴァースの方に向き直って言う。


「歴代の艦長二人がお揃いとは。いやはや壮観だ。」


両手をひろげて、少し芝居ぶった言い方だった。



ドミニク・ブレイク・サンドヴァー・クエスト。ヴァースと任務で行動を共にしたこともある、士官の一人だった。


「中々お目にかかれる光景じゃない。全く幸運だ。」


言いながら、サンドヴァーはヴァースに歩み寄り、握手を求めて来た。


「よくお戻りで、第58代マザー・グリーン艦長!!」

「お久しぶりです、サンドヴァー中将。」


ヴァースは笑みを作って、握手に答えた。サンドヴァーはヴァースが差し出した手を取って大袈裟なほど力強く振る。空いている方の手で、ヴァースの握手している手の上腕をばんばん、と何度も叩くと、そのままヴァースの横に回り背に手を回して、室内へと導いた。


「よしてくれ!敬語なんて。いやはや、戻って来たと聞いて、いやぁ良かったよ。何よりだ!なぁ、56代目!」


サンドヴァーはヴァースの肩にばん、と手を置いて、部屋の中にいるもう一人の人物に語りかけた。




その視線の先には、豪奢な浮遊椅子に座って、力無くかろうじてぶら下がっているような瞼の奥から、刺すような冷たい目でヴァースを睨みつけている一人の老人がいた。


ナジル・レイスゴール・アクレス・ジュディス。


ヴァースの父親。



四年ぶりの、父と子の再会だった。

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