Scene 31. 小さい子と、思い出。

サヴァナを抱いて心底ホッとしていると、ふと、サヴァナがちいさな指で制服の襟のボタンを弄っているのに気がついた。ミィヤは身体を離して、触られているボタンとサヴァナの顔を見比べる。サヴァナは金色のボタンをじっと見つめていた。


「エヘヘ、綺麗でしょう?」


微笑んで言って、左右に体重移動しながらサヴァナを優しく揺すってやる。


「みぃちゃん、デートするの?」

「ふふ、違うよ。これはおしごとのおようふくなの。」


お洒落をしているのだと思ったらしいサヴァナが可愛くて、ミィヤは笑って言った。あながち間違ってない気もするけど、とは、心の隅に留め置いた。大好きだったマザー・グリーンに行くのはそうだけど、あの場所にはあのひともいる。この格好はお洒落に違いないのかもしれない。


「おしごと?」

「そうだよ。おそらの高いところに行くの。」

「おそら?」

「そう。」


思いついて、被っていた帽子をサヴァナの頭に乗せてやる。当然のごとく大き過ぎて、サヴァナの顔半分まで隠してしまう。前が見えなくなったサヴァナは、またコロコロと笑った。今度は帽子がずり落ちて、サヴァナの顔どころか上半身が殆ど隠れてしまった。帽子の後ろから甲高い笑い声が響き、やがてサヴァナが両手で帽子を退けて、悪戯っぽい笑みが現れる。笑った目が合って、二人はそのまま暫く、帽子越しにいないないばぁをして遊んだ。


楽しさを全身で遠慮なく現すサヴァナは大笑いしながら仰け反って、しまいにはミィヤの腕に足だけ引っかかった状態でひっくり返って笑い始めた。帽子は床に落ちる。



「おそら!!」


笑うのをやめたサヴァナが急に叫んだ。ミィヤが見ると、窓の外を指差している。このところずっと天気が良くて、緑の林の上には青い空が広がっていた。


それを見たミィヤの脳裏に、何故か夜空のイメージが映り、ミィヤははっとした。幼い子供と、それを抱く自分。ミィヤは窓の外を見つめたまま、サヴァナを元の位置に抱き直した。




(おいで、時間だ。)



遠い記憶から、優しい、低い声が蘇る。自分を抱える大きな手と逞しい腕。暖かい胸。



ミィヤは静かに、正面の扉に向かった。サヴァナを抱いたまま、靴を履き替えて外に出る。天気がいいから、薄着のままのサヴァナも寒くは無い。サヴァナは指をくわえたまま、自分を抱えているミィヤの顔をじっと見つめていた。


ミィヤは玄関外のテラスに立ち、さっきの窓の外に回り込んだ。ふわりとした風が髪を揺らす。サヴァナの髪はまだ濡れていて、先に乾いた表面の髪だけが風に舞い、顔の輪郭に張り付く様に広がった。


「ほら、見えた。」


立ち止まって、ミィヤは空を見上げて指を指す。その方向には、遠く白く霞んだマザー・グリーンが浮かんでいた。


「あれがマザー・グリーンだよ。」

「まざー?」

「そう。みぃちゃんは、あそこに行くの。」

「くるまでいくの?」

「車に乗ったあと、大きなお船に乗るのよ。」



マザー・グリーンを一緒に見上げて聞いてくるサヴァナに応えてやりながら、ミィヤは蘇ってくる自分の記憶を辿った。


(ほら、見えるか?あれがマザー・グリーンだ。)

(おじちゃんはあそこにいくの?)

(そうだ。)

(みぃもいける?)

(頑張ればな。)


遠い昔、眠ってしまった幼い自分をゆり起こして外に連れ出して、緑に光り輝くマザー・グリーンを見せてくれたひと。


顔も名前も覚えていない。ここだったのか、違う場所だったのかすら分からない。でも間違いなく、自分に夢をくれたひと。



マザー・グリーンに行けば、もしかしたらすれ違うのかもしれない。でもきっと、自分も向こうもお互いだとは気づかないだろう。それでも、もし会えるならありがとうと伝えたかった。


少し切なくなって、ミィヤはぽかんと空を見上げたままのサヴァナを強く抱きしめた。




「みぃちゃーん。」


呼ばれて玄関の方を見ると、ケントが床に落としたままだったはずの帽子を持って顔を出していた。


「みんなで記念撮影しようってさ。あと、さぁちゃんは服。」

「はーい。」


ミィヤは気持ちよく返事をして、もう一度だけ空を見上げてから、室内に向かった。

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