Scene 12. 実家と、外出。
翌日、朝から山盛りの小包がドローンで届けられ、シャワー室を1時間も占領し、その2倍を自室で身なりのセットにかけた上、ランチは殆ど喉を通らなかったものだから、家族のものは当然、皆ミィヤに何が起ころうとしているのか感づいていた。
「下着は新しいのおろしたのかしら?」
と、叔母にこれ以上ないほどカジュアルに聞かれ、ミィヤは食後のお茶を盛大に吹き出した。顎からダラダラ滴る琥珀色の液体が、防水加工が当たり前だとはいえ、今朝初めて袖を通した服にしみないようにミィヤは立ち上がる。隣でホログラムスクリーンに映されたニュースのチャンネルを、専用の指輪をはめた指でテーブルをタップすることで変えていた叔父が無言でナプキンを手渡してくれたので、それで口を押さえながら声を上げる。
「お、叔母さん!?」
「当たり前だろ母さん。」
聞くまでも無いだろうが、とでも言いたげに叔父が言い、ミィヤはギョッとする。
「今朝色々届いてたから、大丈夫なんじゃねぇ?」
と、反対側に座っていた年下の従兄弟であるケントがお茶を啜りながら言う。
「あら、でもちゃんとコーディネート出来てる?もしアレなら私の貸す?」
とは、年上の従姉妹であるエリアナだ。
「大丈夫です!!」
とミィヤは力強く言い、椅子に座りなおすが、
「みぃちゃんデートするのぉー?」
と、3歳になるエリアナの娘のサヴァナに聞かれた瞬間にカップを取り落とし、椅子から転げ落ちそうになりながらすんでのところでカップを受け止める。ミィヤ以外は皆、特に反応せずにお茶を啜っている。
「ち、ちょっとお友達と出かけるだけだよー?」
と、座り直しながら3歳児に返すが、
「みぃちゃんおけしょうしないのぉー?」
と、今度は聞かれてしまい、ミィヤはガックリとテーブルに突っ伏した。一応薄ーくしてはいるのだが。
「ままはねぇー、デートのときはおけしょうするのぉー。」
と、サヴァナが続け、
「あ、あたし良い色のリップ持ってる!」
「あら、あたしも新色持ってるわ。若い子でもつけられると思うのだけど。」
と、エリアナと叔母がいそいそと自室に向かおうとしたので、
「いいです!大丈夫です!持ってます!!」
とミィヤは必死に2人を止めた。
「そーお?」
と、不満気にエリアナと叔母は椅子に座り直す。しかしハッとした叔母は、テーブルの向かいから手で口元を囲い、明らかに周りに聞こえてしまう囁き声で聞いてきた。
「みぃちゃん!ゴムは持ったの?」
「行ってきます!!!!」
と言って、耐えられなくなったミィヤは椅子にかけてあった上着を掴んでテーブルを後にした。背後で、
「母さんそういうのは男に任せときゃ良いんだよ。」
「あら、でも今時女の子も……」
という叔父と叔母の会話が聞こえたが、ミィヤは今聞いたことは忘れる事にする。おそらくケントとエリアナも加わって、今はどうだとか自分の時はどうだったとか、避妊具についての議論が展開されるのだろうが、取り敢えず今は聞きたく無い。持ってないけど知らない。知らないったら知らない。
考えてみれば、私の周りはマイペースな人ばかりだ。と、ミィヤは呆れてしまった。昨晩の作戦会議を率いてくれた2人もそうだ。もしかしたら、自分がそういう人を引きつける体質なのだろうか。それとも自分がそういう人を選んでいるのだろうか?
もちろん、類は友を呼ぶ、と言う言葉は、ミィヤの頭にはこの時これっぽっちも浮かんでいなかった。
約束の時間にはまだ早かったが、家の中にいて家族の会話を聞いているのは居心地が悪かった。ミィヤは急いで外に出て、敷地内のドライブウェイに出る。大きく深呼吸をした。天気は良くて、日差しが暑いくらいだった。敷地が広い上、両側は林に囲まれているので、隣の家は見えない。木々の根元に植えられた花が鮮やかだ。芝生が眩しいくらいに輝いている。随分郊外なので、通りには車の往来は少ない。チチチ、と、鳥の声が響く。
動きやすい格好を、という事だったので、リディは骨太な体格を少し気にしていたミィヤに、丈が長めのカーディガンと柔らかな素材のパンツのコーディネートを選んでくれた。ゆったりとしたカーディガンはボタンの無いタイプのもので、滑らかなラインでミィヤの体を包み込んでいた。
『せんぱいの隣に立っても見劣りしないコーデにしたからね!ミィヤのボディタイプにも合ってるからカンペキよ!!』
と、リディは昨晩自信満々に言ってくれたが、財布には随分痛い投資となった。それでもファッションに疎いミィヤは、これがそれだけかける価値がある事を信じるしか無い。適当に済ませて後で後悔するよりは、出来ることはやった方が気分的だけでも随分マシな筈だ。
落ち着かなくて、ポケットに手をいれて、通りに向かって少し歩き始める。ふと、手に硬い感触があった。円柱状のスティック。そうだ、とミィヤは思い出す。
ミィヤは踵を返してドライブウェイを少し戻ると、そこに停めてあったケントの初めての自家用車の横で屈み込み、窓を覗き込んだ。明るい陽の光を受けて、窓は鏡のようにピカピカだ。ミィヤは窓に映る自分を見ながら前髪を直し、ポケットからさっきのスティックを取り出す。リディが選んでくれた口紅だった。
リディは昨晩、ビーが先に寝落ちてしまってからも、髪のセットからメイクの仕方まで細かく指導してくれた。ミィヤはリディの指導と昨晩の練習を思い出しながら口紅のキャップを外す。
『服はナチュラルな色だから、強い色のリップで少し色味を足すの。このコーデじゃくっきり塗ったら駄目よ。最初は真ん中だけ少しつけて、指でぼかして・・・』
練習した通りに、口紅の先を上下の唇の真ん中あたりにペタペタと押すようにつけて、薬指で全体にぼかした。普段メイクをしないと、これだけでも濃すぎる気がする。不安で仕方がなかったが、これがリディの指導そのままの状態だ。彼女のセンスを信用するしかない。
指についてしまった口紅をどうするべきか迷う。新調したハンカチを早速汚したくなかったし、家の中にチリ紙を取りに戻るのも気が引けた。仕方がないので、濃い色だったジャケットの裏地で拭ってしまう。もう一度鏡を見て、前髪を整える。
ざ、と音がして、ミィヤは弾けるように通りの方を振り向いた。
三歩先に、銀色の無輪ジェットに跨ったヴァースがいた。無輪ジェットは速度を上げなければ音は静かだ。ヴァースが地面に足を着けるまで、ミィヤは身なりのチェックに夢中で気がつかなかったのだ。ヘルメットの隙間から見える目が、じっとこちらを見ている。
ミィヤは慌てて口紅のキャップを閉めて直立する。ヴァースはジェットに跨ったまま、ヘルメットを外した。見慣れた、しかし相変わらずとんでもなく整った顔が現れる。
「……よ。」
「……こんにちは。」
ヴァースはその後ミィヤをじっと見て、しばらく何も言わなかった。ジーンズに、PMJで見たジャケット。ミィヤは目も合わせられず、何も言えない。ヴァースが呟く。
「……いい天気だな……」
「はい……」
チチチ、と、また鳥が鳴く。
やがて背後の家の中から小さく悲鳴が聞こえて来て、2人は我に帰る。
「きゃーっ!!ちょっとやばく無い!?まじイケメン!」
「うおおやったじゃんみぃちゃん!」
「あらぁー、素敵じゃなーい。」
「ちょっと年上過ぎやしないか?」
「みぃちゃーん。」
窓越しに、しかしはっきりと聞こえる5人の声。全員が窓にべったり張り付いてこちらを見ているのが脳裏に浮かんで、ミィヤはあえて振り向かなかった。既にそれが見えているヴァースは、窓越しの5人に向かって、ヘルメットを持っていない方の手を上げて微笑んで見せる。男子2人がそれを返し、女子2人は笑顔でヒラヒラと手を振る。女性に抱かれている小さな子供も、女性の真似をしてぎこちなく手を振ってみせた。
「あの、行きましょう。」
「そうだな。」
居心地の悪くなったミィヤの促しにヴァースは同意して、シートの下からもう一つのヘルメットを取り出し、ミィヤに渡した。
あ、動きやすい格好って、この為か。と、ミィヤは気づく。確かにスカートではジェットに気兼ねなく乗ることは難しい。
ミィヤはヴァースに手伝われてヘルメットを被る。これじゃ、髪をセットしたの意味無かったな、と、頭の片隅で思うが、そんな事はもうどうでも良かった。手袋をしたヴァースの手が首に触れる。
「苦しくないか?」
「大丈夫です。」
ヴァースはミィヤの目を覗き込んで、まつげにかかっていた髪を指で端に寄せてやる。ミィヤはされるがままになって目を瞬く。
「よし。」
満足げに言い、ヴァースはミィヤのヘルメットのスクリーンを閉めてから、自分もヘルメットを被った。
『聞こえてるか?』
と、耳元で聞こえて、一瞬ミィヤは心臓が飛び出るほど驚いた。ヘルメットの無線を通して聞こえるヴァースの声だ。
ヘルメットに通信機能が付いているのなんて当たり前だが、普段ジェットに乗らないミィヤは虚を突かれてしまった。
『はい。』
と、何とか返事をする。ヴァースの声が、機械越しにしろ耳元で聞こえるのは落ち着かない。向こうも同じだと思うと、息をするのも緊張するくらいだった。
『よし、行こう。』
当然のごとく、ミィヤはジェットの後ろに促された。
えっと、どうしよう。
ミィヤは戸惑った。乗ったはいいが、手を何処に置いたものか。
安全のためには運転手に捕まるべきなのだろうが、いや、無理でしょ抱きつくとか。心臓壊れる!と思ってしまう。ミィヤは片手で座席の後ろを掴むことにして、もう片手で申し訳なさそうに、ヴァースのジャケットの裾を掴んだ。
ヴァースは裾を掴まれて後ろを向く。少し考えるような間を置いてから、呟いた。
『それじゃ危なっかしいな。』
ヴァースは裾を摘んでいたミィヤの片手を掴んで、グイと引き寄せた。
ミィヤのヘルメットと上半身が、とさ、とヴァースの背中にぶつかる。
『しっかり掴まってろよ?』
と、言って、ヴァースは自分の腹にミィヤの手を置き、ぽん、と自分の手を重ねた。
あ、無理。
と、だけしか、ミィヤは考えらないまま、
ヴァースはジェットのアクセルを踏み、銀色のジェットは進み出した。
今日一日、私の心臓もつかな。
と、ヴァースの背中にしがみついたミィヤは思い、
この人も、私の引きつけたマイペースな人の一人なのかな。
とも思ったが、それは全然嫌なことでは無くて、最後には、
だったらそんな自分に生まれて、
私はなんて幸せなんだろう。
と、ミィヤはヴァースの背中で思っていた。
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