Scene 8. 友人と、上官。

ミィヤはいつも着ているジーンズとジャケットを身につけて寮を出た。熱いシャワーを浴びて、久しぶりの私服に袖を通して外に出て、ミィヤは既に随分と清々しい気持ちになっていた。眠ったのはたった数時間だったが、食事の後にたっぷりの睡眠が取れると思えば辛くはなかった。さっきから空腹でお腹がうるさい。PMJでは何が食べれたっけ。と、ミィヤは久しぶりにあのカオス以外の事に思いを巡らした。



と、ここまでは良かった。


数分後、ミィヤはうんざりした様子で山盛りのバターシュリンプをつついていた。うんざりしている理由は、既に沢山訪れていた空士候補生達の所為で品切れか多く、メニューの選択肢が少なかったからではない。


どん、と、バターシュリンプのボウルの前に空のビールジョッキが降りてくる。


「だからっ、何だって隊長は隊長なんかやってたんだよ!」


どん、とまた別の空ジョッキが降りてきた。


「だから、それは言ってただろうが!」


あーだこーだと、そろそろ酔いの回ってきたメンバーの間の終わらない議論はもちろん、ヴァース元隊長の事に関してだった。どうして私は考えつかなかったのだろう、とミィヤは後悔している。必ずしも皆んなが、ヴァースのことで考え疲れてリフレッシュしたいわけではないと言う事を。



「何でなんだ!何で最初から言ってくれなかったんだぁ!あの人は!」


一番話し足らないのは、朝礼でヴァースの正体に一番最初に気づいたロブソンのようだ。やけになったように酒を煽って、何故なんだ、どうしてなんだと繰り返して、周りにも食ってかかっていたが、今度は突っ伏して愚痴を言い出した。


「ちくしょおおおおっ!俺ファンだったのにいいいい!!言ってくれればぁっ!最初から分かってればぁっ!」

「言うわけあるかよ、お前みたいなのがいるんだから。」

「なんだとおおお!?」


ロブソンに冷たく返したのはマイクだ。彼もやはりミィヤ達とは訓練校入学時代からの付き合いで、黒髪に切れ長の黒い目の、大人びた印象の青年だ。ロブソンと違って、まだ酔いはそれほど回っていないようだった。


「考えてもみろよ。バレたら大騒ぎになるだろうが。お前みたいな熱狂的なファンがいたら、訓練にもなりゃしないし。」

「なんだとおおお!?俺はなぁ、隊長の言うことならなぁ、ちゃんと聞くんだからなぁ?」

「ハイハイわかったよ。」


呂律が回らなくなりかけているロブソンが今度は絡んで来そうなので、マイクは説得は諦める事にした。


「くそおおおおっ、わかってればぁぁぁっ、わかってればあぁぁぁぁっ!わかってればもっとぉぉぉっ!」


どうやら憧れの前艦長と、そうとは知らずに行動を共にしていたことが悔やんでも悔やみ切れないようである。



当時の若きマザー・グリーン艦長のことは、知らないものはいなかった。


士官である頃から眼を見張るような活躍を見せ、太陽系外での数々の任務を成功に導き、歴代最年少で艦長の座に就いたジェイスン・T・アクレス前艦長。その名前は、空中船艇軍内のみならず、各国にまで轟いていた。おまけにそのルックスから軍人のみならず一般市民からの、特に女性からの指示も厚かった。


しかしその若き空挺軍の王は、着任一年で忽然と姿を消してしまったのである。軍はアクレス艦長の退任と新しい艦長の着任を発表しただけで、詳細は公表しなかった。様々な憶測が流れたが、噂は噂のままで、それから既に四年の月日が流れていた。


それが急に、一般公募の空士訓練校の引率なんてやってるんだから、誰も気がつくはずがない。確かに髪型は変わっていて、顎髭は無くなっていたし、艦長を勤めていた時よりも多少痩せてはいたが、誰も元艦長が訓練部隊の隊長なんかやってると思う訳がないのだ。



「ヴァースって呼べっつったのも、あれ名前に気付かないようにするためだろーなー。」


椅子の背もたれに背中を預けて、両手を頭の後ろで組んで言ったのはビーだ。


「トレヴァースって、ファーストネームっぽく使ってたけどあれセカンドネームだろ。覚えてるやつもいると思ったんじゃん?そのまま使うと。」

「ああ、成る程。」


と、マイクが合点がいったと言うように返す。


「じゃあウォーカーってのは偽名?」

「違う!!」


どん、と、既に一杯飲み干して追加したジョッキをまたテーブルに叩きつけて、ロブソンが叫んだ。


「アクレス艦長のフルネームは!!ジェイスン・トレヴァース・アクレス・ウォーカー!!偽名なんかじゃない!!ああ、俺が気づいていればぁぁぁぁっ。」


それだけ言うと、今度は机に突っ伏して泣き始めた。


「うっるせえなぁ。マイク、もうジョッキ取っちまえよ。」

「ほら、飲みすぎだぞお前本当に。」


苛立ったビーの提案を採用して、マイクはロブソンの手から半分になったジョッキを取り上げると、テーブルの反対側のなるべく遠くにそれを押しやった。


その奥では、リディがテーブルに寄りかかって喋る見慣れぬ男性と談笑しており、その隣では同じ防護船にいた男子2人が、機嫌悪そうにチビチビとグラスを傾けていた。男子2人はミィヤたちとそれほど仲が良いわけではなかったが、リディ目当てで打ち上げに加わったは良いものの、当のリディはPMJにたまたまいた男性にナンパされてしまってまんざらでもなさそうにしている、という構図だった。全く気の毒だった。



「そう言えば、名前の最後に『W』付いてたかもな。ニュースとかで。」

「そうだね。確か『J・T・アクレス・W』って出てたね。」

「な。」

「どうして俺はぁぁぁっ。」


ビーとマイクが穏やかに話す横で、ロブソンはまだ嘆いていた。マイクは呆れた、というようなため息をしてからロブソンの肩に手を回し力強く揺さぶった。ロブソンを諭すように語りかけ始める。


「なぁロブソン、今更文句言ってもしょうがないだろう?気づいてなかったとは言え、一緒にいて、率いてもらってた事には変わりはないじゃないか。お前気づいていないときだって、ヴァース隊長慕ってただろう。それで良いじゃないか。」

「馬鹿言え!気づいているのといないのじゃあ大違いなんだよ!!」


ロブソンは優しく諭すマイクの胸ぐらを引っ掴むと、立ち上がって叫び出した。


「艦長はぁ!アクレス艦長はなぁ!!」


ロブソンは、ミィヤが加わる前に既に一回り話している前艦長の武勇伝を再度繰り返すところだった。



しかしここで止めが入った。


ぽん、と、ロブソンとマイクの肩を、がっしりとした手が掴んだ。聞き覚えのある低い声が割って入る。


「ようお前ら。何の騒ぎだ。」

「!!」


ギョッとしたロブソンが見上げれば、そこには金髪を刈り上げた、長身の美丈夫が微笑みを浮かべて立っていた。


延々と話題の中心となっていた張本人、ジェイスン・トレヴァース・アクレス・ウォーカー、その人だった。

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