Section 2. 地上にて。

Scene 7. 信託と、帰宅。

ミィヤは防護船の着陸と搬出の際のことは、最早覚えてすらいなかった。何をどう作業したのか、ほとんど記憶にない。訓練校の寮に辿り着いたのだから、吐き気を覚えるような眠気の中、何とかこなしたに違いない。移動の際のバスの中では、殆ど眠っていた。隣にいたビーが起こしてくれなかったら、乗り過ごしていたかもしれない。


寮の自室に辿り着くと、ミィヤは身の回りのものを入れていたボストンバッグを通路で放り出し、着替えもせずにベットに倒れんだ。朝礼でヴァースが言っていた言葉を少し思い出そうとしたが、意識を留めておく力はもう尽きて、ミィヤは気を失うように眠りに落ちた。


◆◆◆


皆が敬愛するヴァース訓練部隊長は、アクレス前艦長だった。



マザー・グリーンの前代の長。空中船艇軍の前王。まだ状況を呑み込めていない者も居る中、針の落ちる音も聞こえそうなほど静かになった訓練員達の前で、ヴァースはまた静かに語り始めた。


「四年前に艦長の座を退いた後、私は軍を去り、戻るつもりは全く無かった。」


え、と皆虚を突かれた。


「残念ながら、私が退任に至った経緯を諸君に話すことはできない。だが結局のところ、私は負けたのだと思っている。


そんな私に、貢献出来ることなどもう無いと思っていた。もう私が軍にいる意味は無いと……二度と軍に戻ることは無いと思っていた。


そんな折、現副隊長であるホーク上級曹長にお声がけいただいた。『私の船に乗ってみないか』と。」


ちら、とヴァースはホークを一瞥し、皆はそれに習った。ホークは穏やかに、綺麗に揃えられた、白毛の混じった顎髭を撫でている。


「『訓練生を一度見てみるといい』『外から来るもの達が、どんな思いでここに来るのか見てみろ』とも、ホーク氏は仰っていた。『自分自身のために、働いてみろ』とも……


正直、この船を引き受けた後も、母艦への復任は断り続けていた。この引率は一度きりで、継続するつもりもないと。


しかし諸君の直向きさに、私は随分と影響を受けることになった。」


訓練員達の足元を見て話していたヴァースは、視線を上げる。訓練員一人一人の目を見るように、室内を見渡した。


「私は、諸君が見るマザー・グリーンの姿こそが、そのあるべき姿だと思っている。そうであって欲しいと、私も思っている。私は今後、その姿がその通りであるように尽力すると約束しよう。どうか信じて欲しい。」


ミィヤだけで無く、訓練員達の多くがヴァースの言葉を上手く理解出来ずにいた。考えを変えた?自分達の影響で?自分達の何がそうさせた?マザー・グリーンのあるべき姿?約束?


だがその言葉が、ヴァース隊長、いや、アクレス前艦長の心からの、誠意のこもった言葉である事は皆ひしひしと感じていた。前艦長は、私達に何かを託そうとしている。皆それを受け止めたくて、瞬きを忘れてヴァースを見つめ、その言葉に全神経を集中させた。


「そして、諸君は自分達が、未来を変えられる力を持っていることをどうか忘れないでいてくれ。


希望は、きっと何度も打ち砕かれるだろう。


しかし、何度でも立ち上がってくれ。


私は、諸君一人一人の力を信じている。」



6ヶ月と言う短期間を共にした訓練員とその隊長は、もう一度だけ見つめあった。


腹の底からの、部屋中を震わせるような力強い声で、ヴァースは叫んだ。


「敬礼!!」


ざ、と、一糸乱れぬ所作で、訓練員達は号令に従った。倒れたままだったロブソンも慌てて立ち上がる。ヴァースは自らも敬礼し、皆に最後の言葉をかけた。


「諸君の健闘を祈る。以上だ。」


敬礼のままの訓練員達に見送られて、ヴァースと上官達は集会所を後にした。




解散の号令がかかり、皆がざわめき始めて少し経った頃、ビーが呆けたままのミィヤの肩を掴んで言った。


「ミィヤ、あんた……物凄いの捕まえたね……」


朝礼前までの混乱を忘れていたミィヤは、あ、そう言えば、と色々思い出し、急に気が遠くなったのだった。


◆◆◆


ピピピッ、という機械音で、ミィヤは寮室のベットの上で目を覚ました。久しぶりに地上で見た太陽はすでに沈んでいて、電気の付いていない部屋の中は暗い。窓の外に、街灯の光が見える。


ミィヤが身を起こすと、部屋の電気が自動でゆっくりと着いた。目をこすりながら、まだはっきりとしない意識に覚醒は強要せずに、状況をゆっくりと思い出す。そうだ、地上に帰ってきたんだ。訓練が終わって、搬出して……


壮大な混乱を思い出しかけて、ミィヤはうんざりしてまたベットに倒れこんだ。色々向き合うには、まだ頭の中が重い。泥に邪魔されているように、思考が働かない。


倒れこんだまま、ベットの枠を指でトットトトッ、と叩く。その音のパターンに反応して、横になったままのミィヤの目の前に小さなスクリーンが現れる。寮室の室内管理システムに組み込んであるAIの情報板だ。声で起動しても良かったが、喋るのもめんどくさかった。ミィヤは枕を引き寄せて呻きながら抱きしめると、そのまま指で情報板をナビゲートする。


長い間開けていた部屋に、異常は無かったようだ。本日の通知が一件ある。ビーからのメッセージだ。開封には音声認証が必要だ。


「開封。」


と、ミィヤは寝起きのくぐもった声で言う。ピ、と機械音がして、メッセージが開封される。


『ゴゴ6ジ8フン: ビジョップ・ブリッジス、ヨリ』


滑らかな機械音声の後に、ビーの声が続く。


『PMJで飲んでるぞー。』


とだけだった。


時刻表示に目をやると、着信から5分も経っていなかった。そうか、この音で私は起きたのか。



PMJは、訓練員寮の近くにある古風なパブだ。お世辞にも体に良さそうとは言えないにしろ、未だに自動調理ではない手料理を振る舞ってくれる上、古いタイプのピアノが置かれ、音楽家達がよく集まってセッションをしていたりする。恐らく、今日訓練を終えた者達の中で仲の良いメンバーが集まって飲んでいるのだろう。合流するべきか、ミィヤは少し考えた。


ミィヤはまだ眠かった。盛り上がって楽しむ気分でもない。しかしお腹は空いている。このまま部屋に残っていた保存食材で済ませても良かったが、久しぶりに出来たての料理を食べるのも悪くない。それに、きっと1人でいても、色々またぐるぐる考えてしまうに違い無かった。木の置けない仲間と騒いで、気分転換するのもいいかもしれない。


外出のメリットが勝って、ミィヤはのそのそとシャワー室に向かって行ったのだった。

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