第35話 始まりの唄

『運が無いな…』

 まったく今日はツイてない。

 長く生きてりゃ、こんな日もあるさ…。

 野良犬のエサ場だとは知っていた、だが…食わなけりゃ死んじまう…。

 素早く咥えて逃げればいい…そう思った。

 だけど…失敗した。

 思った以上に壁が高かった。

「歳を取った…ってことだな…」


 犬に散々やられた…

 耳が無くなった…音が回るようだ…うまく歩けない…

 距離感も狂っている。


 やっとの思いで寝床に帰った。

 古タイヤの中で眠りに付く。

 痛みで眠っているのか起きているのか…解らない。


 トスッ…

「しまった」

 自分の血の匂い、音を捉えない耳…完全に手遅れだった。

 若い猫がタイヤの縁に立っている。

 脅す様に威嚇している。

 弱っている俺は、此処を出ていくしかなかった。


 若い猫は、年老いた猫の縄張りを奪う…当然のことだ。

「俺だって…」

 そうやって生きてきた。


 いずれは自分の番が…

 当然…なんだ…あの頃には解らなかったが…

 いつだってそうだ。

 自分の番にならないと、解らない。


 年老いるとは、過去を振り返ること…。

 過去の自分を振り返ることで、今の自分を知ること。


 フラフラと俺は何処かに向かって歩いている。

 どこだろう…此処じゃない何処か…

 何処だろう…此処はどこだろう…


 月が浮かんでも…俺のいる場所には月の光は、この路地裏には届かない。

 ゴミ臭い路地を隠れるように俺はフラフラと歩いている。


「何処に行きたいんだろう…」


 フラフラ…フラフラ…足が自然と…何処かに向かっている。

 ハァ…ハァ…ハァ…

 足がガクガクと震える。


 小さな公園…

 水飲み場に残った水を舐める…

 懐かしいような…鉄の味…砂の混ざった水…

 いつか何処かで…誰かと…


「此処で…此処で…」


 グタッと身体から力が抜ける。

 もう身体は動きそうにない…


 懐かしいような…見覚えある場所…

 誰かと此処で…皆と此処で…


 幼い頃…小さい頃…此処で…此処で…


「帰って来たんだ…」


 自然と足は此処へ向かって、俺は自分の辿った道を歩いて帰ってきた。

 記憶を辿るように…細い糸を手繰るように…。


 トクンッ…と胸が跳ねて、痛みがスッと消えた…。


 こうして還っていくんだ…。




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