第29話 染み入り消えぬ咳の影

 ゴホッ…ゴホッ…

『今日も咳している…』

 いつもの散歩道、誰の家かは知らないが、いつの頃からか、あの部屋で寝ている男がいる。

 そして今日も咳をしている。

『長くはないのだろう…』


 俺は、庭でアクビをして、夕方までココで過ごす。

 たまにエサを貰えるし、カメには新鮮な水が張ってある。

 大きな桜の木の根元で俺は眠る。


 いつの頃からか、あの男が住みついて、あの男の咳で俺は昼寝から起こされるようになった。


 あの男は、たまにフラフラと立ち上がり、刀を抜いている。

 懐かしそうに刀を眺めて、手入れして、また横になる。

 時々、振っていたりもしたが、医者に怒られては取り上げられていた。


 薬は嫌いらしく、医者の見ていないところで、庭に捨てたりしていた。

『まぁ、あの男がどうなろうと、知ったことでもないが…』

 いつからか、この男の咳が気にならなくなっていた。


 ゴホッ…ゴホッ…


 今日も男は咳き込んでいる。

 天気のいい日だったのを覚えている。


 俺がいつものように桜の木の下で眠ろうとすると、男が刀を持って縁側へ出てきた。

 フラフラとした足取りで、俺の方へ歩いてくる。

『なんだ?』

 スラッ…

 滑るような静かな音、キンッと冷えついたような空気を纏った刀の切っ先が俺に向けられる。

『なんか…怖い…』

 いつもの男、だけど…いつもおと違う空気。

 ユラッと身体が左右に振れる。

 シュンッ…

 俺の真横を刀がすり抜ける。

 俺はとっさに木に登った。

『なんだ…俺を突き刺す気だったのか?』

 男はニコリと俺を見て笑った。

 その瞬間、俺が登った木の枝がストッと落ちる。

 俺は、何がなんだか解らないまま、男の手の中へ落ちた。


「いつも私を見ていたクロ猫…この沖田が最後に斬ったのが猫じゃ…近藤さんに笑われます…」


 俺をソッと地面に降ろすと、刀がガランッと男の手から滑り落ちる。

 ゴブッ…


 男は大量の血を吐いて…倒れた。

(土方さん…一緒に戦えなくて…すいません)


『おい?』

 血を吐いて倒れた男の傍で鳴いてみる。


「どうした? 沖田くん」

 医者が慌てて走り寄って男は布団へ寝かされた。


 それっきり…男を見なくなった。

 静かな庭に戻ったけれど、時々、あの咳が懐かしくなる。

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