第9話 駅猫

「いってらっしゃい」

「おかえりなさい」


 僕の1日は忙しい。

 自由な野良ネコだった頃が懐かしくない?

 もう忘れたよ。


 気付けば、この駅のベンチが僕の家だった。

 駅の中で暮らして、駅の周りでご飯を貰う。


 駅には人が集まってくる。

 都合がいいことに、朝と夜に集まってくる。

 昼間はベンチで眠って夜を待つ。

 ずっと、こうやって過ごしてきた…

 ずっと、こうやって過ぎていく…


「猫だ」

 小さい男の子が、僕を撫でようと手を伸ばす。

(ちょっと面倒くさいけど…)

 眠いのに、面倒くさいけど、とりあえず撫でられておけば、ご飯が貰える。

 撫でやすいようにクイッとアゴを上に向ける。

「んにゃ…」

(頭を撫でるのか…)

 子供は、これだから面倒くさい。

(なんか痛いし…)


「ほら…コレを食べさせてあげるのよ」

 お母さんが、子供にカリカリを渡す。

(うん…それそれ)

「こぼさないでね」

「わかってるよ」

 ヨタヨタと両手にいっぱいのカリカリを持って僕の前に差し出す。

「こぼさないでね」

 お母さんの口真似をして僕にカリカリを差し出す。


(置いといてくれればいいのに…)

(なんか食べにくいし…)

「おいしい?」

(おいしい?)

(おいしい…って…なんだ?)


 食べきれなかったカリカリは、紙の箱に入れて置いて行ってくれた。

「バイバイ…またね」


 オレンジの夕空…子供はお母さんと手を繋いで帰って行った。

 小雨が降って、オレンジ色の雨、オレンジ色の雨の匂い…

(なんだか…少しだけ…今日は寂しいような不思議な気持ちになった…)


 あの子は、たまにやってきて、駅から電車に乗ってどこかに行く…

 夕方になると帰ってきて、お母さんは僕にカリカリをくれる。


 なんだか、あの子を待つようになっていた。


 だけど…しばらく、あの子が来なくなった。

(今日も来ないな…)


 夜になって、お腹が空いた。

 お母さんが、置いて行った紙の箱に、いつも誰かがご飯を置いて行ってくれる。


 だけど…

 あの子がくれるカリカリのほうがいいな…

(おいしい…?カリカリ…)


 なんだか、僕は「おいしい」を知った気がした。


 夏の暑い日…

 セミがうるさく鳴いて…暑くて…お皿のお水もすぐに無くなる。

(僕が飲んだわけでもないのに…)

 とても不思議だ。


 駅の人が、ときどきお水を入れてくれる僕のお皿。

(無くならないうちに飲まないと)


 お水を飲んでいると、あの子がやってきた。

「にゃあ」

 僕は、嬉しくて、あの子を呼んだ。

 でも…今日は1人だ。

 お母さんがいないね。


 あの子は、僕を抱っこして…

 指を口に当てて

「しーっ」

 僕をリュックに押し込んだ。

 なんだろう…暗いし…暑いし…

 僕はモゾモゾと身体を丸めた。


 ガタン…ゴトン…ガタン…ゴトン…

 なんだか揺れる…

 ジーッとチャックが開いて顔を出す

(どこだ…ここ?)


 あの子は僕を抱っこして、隣にチョコンを座らせた。

 不思議だ…

 僕は座っているのに…外が動いている。


 いつも、あの子がお母さんと乗っていく電車という乗り物だ。

 僕は電車に乗っている。

 あの子と一緒に乗っている。


 ガタン…ゴトン…ガタン…ゴトン…

 電車は揺れる。

 あの子もユラユラ…僕もユラユラ…

 窓の外は、流れていくようで、でも、僕が走ったほうが早そうだ。


「あのね…お母さん入院したの、だから今日はお見舞いに行くんだよ」

 あの子は僕を抱っこして、そう言った。

 なんのことだか解らないけど。

 お母さんに会いに行くことだけは解った。


 電車が止まって、あの子は僕をまたリュックに入れた。

「おとなしくしててね」

 また、あの子が指を口に当てて

「しーっ」

 と言った。


 どうもジッとしてなきゃダメらしい。

 なんだかドキドキした。


 電車の中も…違う駅も…知らない街も…

 チラッと覗いた駅は広くて、僕が住んでる駅とは違う。

 人も沢山いる。

 これだけ広ければ、猫も沢山住んでいるに違いない。

 今は、いないみたいだけど。


 病院というところまで、僕は、あの子と一緒に歩いた。

 暑くて…途中でお水を飲んだ。

 なんだか…この街は好きじゃない。

 暑くて…うるさくて…少し怖い。


 病院の近くで僕はまたリュックに入れられた。

「おとなしくしててね」

(しーっ…でしょ)


 病院は変な匂いがした。

 なんだか好きになれない。


 どうやら、お母さんはココにいるらしい。


「あら?」

 お母さんの声がする。

 僕にも見せてよ

「にゃあ」

「えっ?」

 ヒョコッと顔を出すと、お母さんだ。

 なんだか久しぶりだ。

 お母さんのところに行こうとリュックから出ようとしたら、ムギュッとお母さんに押し戻された。

「にゃあ、にゃあ、にゃあ…」


 なんだか、大きな声がして、僕は外に連れて行かれた。

 知らない人と、あの子を待った。

 なんだかつまらない…せっかくお母さんに会えたのに。


 帰りの電車で、あの子が言ってた。

「お父さん、ホントに飼ってもいいの?」

「いいよ、お母さんが退院したらビックリさせてあげよう」


 あの子は、知らない男の人と一緒に電車に乗った。

 僕はリュックの中で「しーっ」だ。


 なんだか今日は疲れた。


 目が覚めると…知らないお部屋で、あの子が笑った。

「今日からずっと一緒だよ」


 よく解らないけど…電車は、僕を知らない所へ運んだようだ。

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