第5話 送り猫

 ガラスの向こう、アタシの知らない向こう側。

 小さな部屋、向こうの人がアタシに手を振る。

 最初は怖かった、でも向こう側からアタシは触れないと知ると、怖くなくなった。

 いつもアタシの事を見ている女の子がいる。

 何日かして…アタシは、その子に抱っこされていた。

 もう何日かして、アタシは、小さな部屋から、その子の家で暮らすことになった。


 その子は、『ガッコ』という場所へ毎日のように出かけていく。

 アタシは、塀の上を隅まで歩いて、その子を見送る。


『チューガク』『コーコー』という所に毎日のように出かけては戻ってきた。

 不思議なことを繰り返す子だ。

 アタシは、あの子見送ると、家に戻ってお昼寝する。

 ご飯を食べて、夕方になるとアタシはまた、塀の上で、あの子を待つ。

 向こうから歩いてくる、あの子が見えると、アタシは、つい鳴いてしまう。

 嬉しいのか…なんなのか解らないけど、あの子が帰ってくると、なんだかホッとする。

 不思議な気持ちになる。

 毎日のようにやってきて、ガラスの向こうで手を振って帰っていった、あの子は今もアタシの所へ毎日、帰ってくる。

 あの頃もそうだった、あの子が来ると嬉しくて、あの子が帰ると寂しくて、いつからか夕方は、あの子が来るのを待っていた。

 だから、あの子に抱っこされた時は嬉しかった。

 今でも、一緒に家に入って抱っこされると嬉しい。

 アタシは毎日、嬉しい。


 あの子は家から毎日、『カイシャ』という所に行く。

『オーエル』になったのだと嬉しそうに話していた。

 アタシには、『ガッコ』も『カイシャ』も、『コーコー』も『オーエル』も何だか解らない。

 毎日のように塀の上から見送って、暗くなったら塀の上で待っているだけ、何も変わらない。


 あの子は『オヨメ』にいくらしい。

 嬉しそうで…でも悲しそうで…

 アタシには何だか解らないけど、もう塀の上で待ってなくてもいいのだと、あの子は言う。

 よく解らないけれど、今度、見送ったら…どうなるのだろう?


 アタシはよく解らないまま、あの子を塀の上から見送った。

 あの子は、アタシをギュッと抱いて、

「また、夏に来るからね」

 そう言った。

 アタシにはよく解らないけど…また来るの意味が解らないけど、少し悲しくなった。


 あれから、何度か、塀の上で待ってみたけど、あの子は帰って来なかった。

 たまに帰らない日は、前にもあったけど、何日も帰らないことは無かったのに…


 アタシはピンポーンが鳴ると、玄関へ走る。

 あの子が帰って来たんじゃないか?


 今日も、あの子は帰って来ない。

 いつ帰ってくるのだろう?

 少し心配になる。


 お母さんがアタシに言った。

「明日、あの子が帰ってくるよ」


 随分、長いこと『オヨメ』に行ったきりだった。

『オヨメ』とは遠い所なのだろうか?

 アタシにはよく解らないけれど、明日は塀の上で待っていよう。

 あの子が見えたら「ニャーン」と鳴こう。


 朝から待つのは初めてだ。

 あの子が見えたら「ニャーン」と鳴こう。


 ほら…あの子が見えた。

 アタシは大きく

「ニャーン」と鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る