第190話

 雨で人通りが少なくなった街中に出て来た俺達は何処に行くのかを相談した結果、イリスが買いたい本があると言うのでいつも行く本屋にやって来ていた。


「それでイリス、どんな感じの本を買いたいんだ?」


「妄想乙女はおじさん騎士に命を懸ける、というタイトルのライトノベルです。」


「へぇ、イリスもラノベとか読むんだなってうおっ!」


「あの、イリスさんもその本を読んでるんですか!?」


「はい、もしかしてマホさんもですか?」


「そうなんですよ!あっ、私その本が置いてある場所を知ってるので案内しますね!ついて来て下さい!」


「うふふ、それではお願いしますね。」


 勝手に盛り上がって2階に向かったマホとイリスの後姿を呆然と見つめていると、ロイドが隣にやって来て肩をすくめながらこっちを見てきた。


「どうやらイリスは、マホと同じ本を読む同志だったらしいね。」


「あぁ……ったく、急に体を押しのけられたからビックリしたわ。」


「ふふっ、それじゃあ私達も2人の後を追うとしようか。」


「そうだな……って、ソフィはもう階段を上がってんのかよ……」


 いつの間にか移動していたソフィを見て思わずため息を零した俺はロイドと一緒に2階のライトノベルのコーナーに行ったんだが……何か物凄く興奮した様子のマホに満面の笑みで手招きをされる事になった。


「2人共、早くこっちに来てください!」


「分かったから、あんまり大きな声を出すなっての……恥ずかしいだろうが。」


「あ、すみません!でも早く!ほら!」


「おやおや、イリスが同じ本を読んでた事がよっぽど嬉しかったみたいだね。」


「はい!だってこの本、皆さんにお勧めしても読んでくれなかったんですもん!」


「はぁ?………あぁ、イリスが買いたい本ってこれだったのか。」


 マホが目の前に掲げて来たラノベを手に取って軽く本の中を流し読んでみた俺は、見覚えのある文面を目にして数ヶ月前の記憶が蘇ってきていた……その時、両隣からロイドとソフィが俺の手元にあるラノベを覗き込んで来た!?


「ふむ、なるほどこの本だったのか。」


「うん、私も見覚えがある。」


「ほ、本の事を思い出す前にちょっと離れてくれ!流石に近すぎるぞ!」


「おや、これは失礼……ふふっ。」


「なっ!?お、おい、離れろって言ったのに何で腕を絡めて来るんだよ?!」


「すまない、もっとしっかり文面を読まないと思い出せない気がしてね。」


「いや、さっきこの本だったのかって言ってたよな?!」


「うーん、どうだったかな?」


「どうだったかなって……?!」


 コ、コイツ?!俺をからかう為だけに腕を絡めて来やがったな!?だって今、確実に悪戯をする時の表情を浮かべやがったからな!あぁもう!最近は全然そう言う事をしてこなかったから安心してたってのに!


「九条さん、店内では静かにして。」


「せ、正論言いながら腕を絡めて来るんじゃねぇよ!何を考えてんだ?!」


「……私もよく読まないと思い出せない。」


「思い出せない訳が無いだろ!だって見覚えがあるって言ってたじゃねぇか!?」


「……記憶にない。」


「んなバカな!?ちょ、マホ!は、早く何とかしてくれ!………ってマホ?どうしてそんなにむくれてんだ?」


「むぅー!ずるいです!私もおじさんに抱き着きます!」


「何を言ってんだお前ってぐふぅ!?」


 両腕を取られてガードが出来ない状態でマホに思いっきり腹部にタックルをされた俺は、どうしてこうなったのか理解出来ないまま目の前……を…………


「うふふ……うふふふふ…………うふふふふふふふふ…………」


「イ、イリス?イリスさん?何でそんなに笑ってらっしゃるんですか……?」


「うふふ……何故だか今の九条さんを見てると自然と笑みが……うふふふふ……」


「ひぃ?!お、お前ら!俺の命が大事だったら早く離れてくれ!取り返しがつかなくなる前にさぁ!」


 若干泣きそうになりながら小声でそう叫ぶと、最初にロイドが絡めてた腕を解いてその次にソフィとマホが俺から離れていった……それで許されたのか分からないが、イリスから漂っていたどす黒いオーラは少しずつ消えていった………


「ま、まさか……本屋で命の危機が訪れるとは………予想外過ぎるだろ……」


「ふむ、それは確かに予想外だね。」


「た、他人事みたいに言いやがって……誰のせいだそうなったと思ってんだ……!」


「……さぁ?」


「ぐっ、白々しすぎるぞ……」


「おじさん、命の危機ってどうしたんですか?」


「……はぁ、お前が俺の腹に顔をうずめてる時に色々あったんだよ。」


「そうなんですか?まぁそれは後で詳しく聞くとして、おじさんはさっきの本の事をしっかり思い出しました?」


「あぁ……俺の趣味には合わなくて断念したってのは思い出したよ。」


「趣味に……ですか?」


 何事も無かったかの様に小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべてるイリスに色々な意味でドキッとした後、俺はその問いに答える事にした。


「何て言うか、俺の中の主人公ってのは性別が男って固定されてんだよ。だからこの本みたいに女の子が主人公ってなると、いまいち気が乗らなくてな。」


「ぶぅ……そう言って本当に読んでくれないんですから。本当に面白いんですよ?」


「いや、ざっと見た時に確かに面白いとは思ったけど……」


「うふふ、本の好みは人それぞれ違いますから仕方ないですよね。」


「そ、そうなんだよ……うん……」


 ヤバい……まともにイリスの目を見て話せない……いや、別に怖い訳じゃねぇよ?ただちょっと……アレだ……今は心臓がバクバクするから見れないってだけだから。


「そういえばイリスさん、この本で印象的なシーンってありますか?」


「うふふ、マホさんはどんな所が印象に残ってるんですか?」


「私はですね、主人公の女の子がおじさん騎士に初めて出会う所です!」


「あぁ、僕もそのシーンは大好きですよ。」


「イリスさんもなんですか!やっぱりあのシーンは最高ですよね!」


「………それってあれか?妄想力が逞しい主人公の女の子が道を歩いてたら悪そうな奴らにぶつかって、そのまま路地裏に連れ込まれて危ない所をおっさん騎士が助けに来てくれたって所の事か?」


「はい!そこで女の子は助けてくれたおじさん騎士に運命を感じるんです!その時の描写がドキドキして本当に大好きなんです!」


「うふふ、マホさんがそう思ってくれて良かったです。母さんもそのシーンには特に力を入れたと言っていましたから。」


「なるほど!そういう事だったんですね!……………え?」


 ……微笑んだままの状態で固まってしまったマホと目が合った直後、俺はイリスが言った言葉を思い返しながら…………え?


「イ、イリス?いま聞き間違いじゃ無ければその……母さんがどうのこうのって……言ったのか?」


「はい、言いましたよ。このライトノベルは母さんが執筆していますから。」


「………えええむぐうううううううううう!!!??!??!」


「お、落ち着けマホ!流石に店内で絶叫はマズイ!」


 大きく開かれたマホの口を手で塞いで絶叫を最小限に抑えた俺は、小声で耳打ちをしながら何度目になるか分からない衝撃的な事実に心の中で物凄く驚いていた!


 ってかマジで何なんだよこの子は!?今日1日でどれだけ俺達をビックリさせたら気が済むんだ?!流石に驚き疲れたんですけど!


「……イリス、本当にこのライトノベルを君のお母様が?」


「はい、そうですよ。表紙と挿絵は父が描いています。」


「……尊敬する。」


「うふふ、ありがとうございます。」


「もがもが…っぷはぁ!あ、あのイリスさん!さっきの話は本当なんですね!」


「えぇ、本当ですよ。」


「そ、それじゃああの……こんな事をお願いするのは厚かましいとは思ったりもするんですけど……サ、サインとかその……」


「良いですよ。」


「え、本当ですか?!」


「はい、勿論ですよ……うふふ。」


「そ、それじゃあお願いします!」


「いやちょっと待て!それは何と言うか色々とマズいんじゃないのか?!」


「黙ってて下さいおじさん!こんなチャンスは二度と無いんですから!」


 有無を言わさぬ迫力のマホと目を合わせた俺は助けを求める為に隣の方を見てみたんだが……そこには顎に手をやって神妙な顔つきのロイドが立っていた?


「……イリス、さっきの話を聞いて君に聞きたい事があるんだが良いだろうか。」


「はい、どうかしましたか?」


「もしかしてなんだが、イリスが九条さんに運命を感じたのはその本が関係しているんじゃないのか?」


「……は、ど、どういう事だ?」


「さっきその本に書かれている内容を聞かせて貰ったが、九条さんとイリスに起きた状況にそっくりだろ?」


「ま、まぁ……確かにそう思うが……」


「それにその本はイリスのお母様が執筆している本だ。その影響を受けたからこそ、イリスは九条さんに運命を感じて自分のモノにしたいと思ったんじゃないのかい?」


 ……ロイドの言葉を聞いてイリスが静かに微笑んでいる姿を見た瞬間、俺は本屋で何を聞かされているんだろうかという気持ちになっていたとさ。


「……うふふ、ロイドさんの言う通りですよ。」


「え、それじゃあ本当に?」


「はい、正確には本の影響では無く両親の影響ですけどね。」


「……両親の?」


「そうです。僕の母さんは常日頃、運命の相手を見つけたら絶対に逃さず必ず自分のモノにしなさいと言っていたんです。自分もそうして父さんを捕まえて幸せになる事が出来たからと。」


 イリスのお母さん!?アンタ自分の息子に何を吹き込んでるんですか?!ってか、マジでふざけんなよ!もうちょっとマシな事を教えとけよな!


「そ、そうなんですか…‥何と言うか……色々と凄い方みたいですね。」


「うふふ……そして僕の父さんは、運命の相手を見つけた時は紹介してくれ。全力で祝福するからと言ってくれてました。」


 いや、お父さんは絶対に今回の事には祝福してくれないと思うぞ!?だって自分の息子の運命の相手がおっさんってどう考えてもダメ過ぎるだろ!?


「なるほど、イリスを信頼しているんだね。」


「うん、良いお父さんだと思う。」


「うふふ、ありがとうございます。」


 何故か良い雰囲気で話してるロイドとソフィとイリスを見て額に手を当てた俺は、心の中でため息を零しながらこれが突破口にならないか試してみる事にした。


「あー……イリス、その運命の事に関してなんだが少し良いか?」


「はい、どうかしましたか?」


「そのだな………イリスの母親が言ってた運命の相手っていうのは多分、将来を誓う相手の事だと思うんだが?」


「うふふ、僕もそうだと思いますよ。」


「そ、そうか………えーっとじゃあアレだ、この本と同じ状況っぽい時に助けに来た俺に運命を感じるんじゃなくて、本当に好きになった相手に運命を感じて自分のモノにする様に努力した方が良いと思うぞ。」


「うーん、それはちょっと難しいかもしれません。」


「は、は?なんでだ?だってイリスが本当に好きだと思う様な相手を見つければ良いだけの話だぞ?」


「うふふ。実はですね、僕は人を好きになるって気持ちがどういった物なのか分からないんですよ。」


「え、よく分からないって……1回はぐらいあるだろ?人を好きになった事がさ。」


「いいえ、ありませんよ。」


「………マジで?」


「はい。王立学園に入学してから様々な人とお付き合いした事がありますけど、それでも僕には相手を心から好きになるという感情はよく分かりませんでした。」


「……ぐっ!」


「おじさん、悔しがってないで空気を読んでください。」


「九条さん、私も特定の誰かと付き合った事は無いから安心してくれ。」


「私も無い。」


「やかましい!お前らとは立ってる土俵が違うんだよ!ってそんな事より、イリスが恋愛感情とかを抱いた事が無いってのは理解した。だったら俺なんかに構ってないでそういう事が思える様な相手を探した方が良いんじゃないか?」


「うふふ、大丈夫ですよ九条さん。もう見つけましたから。」


「いやだか……ら……?」


 え、なんで?どうしてそんなうっとりした目で俺を見つめて来るんだ?何だ?俺は別に何も言ってないぞ?どういう事なの?


「うふふ……こんな気持ち初めてなんですよ……九条さんを見つめると胸がドキドキしてきて、僕以外の人と仲良くしてるのを見るのが辛いって思うのは………」


「は、へ?」


「これがどういう感情なのか分かりませんが……少なくとも今、九条さん以上に僕のモノにしたいと思える相手はいませんよぉ……うふふ……うふふふ………」


「おやおや、これはこれは………」


「………警戒体勢に移行する。」


「お、おじさん……」


「もう、俺にどうしろってんだよぉ………」


 恍惚と微笑むイリスを興味深そうに見つめるロイドと警戒心を露わにするソフィ、そして背後に隠れたマホと様々なライトノベルを視界に入れた俺は再び本屋の一角で何をしているんだろうかという気持ちになるのだった………

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