第125話
エルアが居なくなってからしばらくした後、どうにか正気を取り戻してくれた親父さんは微かに震える手でティーカップを持ち上げると既に冷めてしまっている紅茶をごくッと飲み干してから何とも痛々しい表情でこっちに視線を向けてきた。
「九条さん、さっきはコイツだなんて言ったりしてすまなかったな……」
「あぁいえ、それについては気にしてないで大丈夫なんですけど……エルア、帰ってきませんね。」
「……そうだな……あぁ、エルア……!」
「……九条さん、失礼を承知でお聞きしたいのですが先程お仲間の方達がお嬢の後を追い掛けてくれましたが大丈夫でしょうか?何でしたらウチの連中も向かわせた方がよろしいのでは……」
「いやぁ、それは止めといた方が良いと思います。そんな事をしたらエルアの感情を更に逆なでする事になりかねませんし……安心して下さい、俺の仲間だったらきっとエルアの事を落ち着けて帰って来てくれますから。」
「……分かりました。差し出がましい事を言って申し訳ございません。」
「いえいえ、エルアを心配しての事って理解してますから。」
「……ありがとうございます。」
スキンヘッドさんの返事を最後に再び重々しい空気がリビングを覆い始めてしまい何とも言えない居心地の悪さを感じて来た俺は、わざと咳払いをすると分かりやすくへこんでいる親父さんの方を見た。
「あの、こんな状況でこんな事を言うのも何なんですけど……お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「……名前?」
「えぇ、俺の名前は知られてみるみたいですけど正式に自己紹介ってまだしてませんでしたよね?ですので……初めまして、九条透と言います。隣に居るのが……」
「あっ、マホです!よろしくお願いします!」
俺とマホが自己紹介を終えると親父さんとスキンヘッドさんは互いに目配せをして数秒制止すると、ゆっくりとこっちに向き直ってきた。
「挨拶が遅れてしまってすまない。俺の名前は『ニック・ディムルド』。ディムルド警備商会ってのを運営してる。こっちに立ってるのは『サブ』、俺の右腕みたいな奴だな。」
「どうも、よろしくお願いします。」
両手を後ろで組みながら丁寧にお辞儀をしてくれたサブさんに軽く頭を下げた後、俺は少しだけ息を吹き返したっぽいエルアさんに更なる質問をしてみる事にした。
「えっと、ニックさんは警備商会を運営していらっしゃるって事ですよね?って事はエルアが泊まっている宿屋を選んだのは……」
「あぁ、九条さんの想像している通りあの宿屋は俺が選んだ。トリアルにある宿屋で最も警備がシッカリした所だったからな。」
「やっぱりそうでしたか……だったらその時に今回の件を聞かされませんでした?」
「……今回の件?」
「えぇ、簡単に言ってしまえば冬期休暇中にエルアが俺に弟子入りするかどうかって事をです。あの宿屋を使わせたのってトリアルに長期滞在するのが分かっていたからですよね?だったら今回の件について説明されているはずじゃ……」
「そ、それは……」
「そもそも言葉遣いが男の子っぽくなったからって連れ戻しに来たって言うのは理由付けとしては少し強引過ぎる気もしますし……気になっていたんだったら、その時にきちんと話し合うべきだったのでは?」
「え、えっと……」
「それとエルアが強くなりたいと思った理由は母親を護りたいからだって以前聞いた覚えがあるんですけど、その事については何か心当たりとか無いんですか?」
「…………」
恐怖心が薄らいできたせいかコレまで気になっていた事が次々と浮かんできたから思わず次々と質問してみたら、ニックさんは気まずそうに後頭部を掻き始めて……
「……まず最初の質問についてだが、俺は今回の件についてはほとんど聞かされてはいない。知っていたのはトリアルに長期滞在したいと言っていた事だけだ。」
「詳しい段取りを決めたのはお嬢と奥方です。親父はその……」
「……まぁ、大体はお察しの通りって感じだ。それで次の質問になるが……エルアを連れ戻しに来たと言ったのは本心だ。しかしその理由は……報告書にエルアが怪我をしたと書いてあったからだ。」
「ほ、報告書……ですか?」
聞き馴染みの無い単語を言われて思わずマホと顔を見合わせていると、サブさんが懐から何枚かの紙束を取り出してそれをテーブルの上に置いた。
恐らく見てみろって事だと解釈して目の前に置かれた紙を手に取った俺は、マホと一緒にそこに書かれている内容に目を通してみたんだが……こ、コレは……!?
「申し訳ありません……実は数日ほど前からお嬢や皆様の行動を調べさせてもらっていました。どんなクエストを受けてどんなモンスターと戦ったのか、または買い物をする為に何処の店に行ったのか等々……」
「気分を害してしまったらすまない。だが、俺としては調査をしない訳にはいかなくてな……エルアが師匠として選んだ奴がもしとんでもない変態野郎だった場合、何もしない訳にはいかないならな。」
「な、なるほど……そうだったんですか……」
親父さんとして大事な一人娘が会いに行く野郎がどんな奴なのか知りたいって思う気持ち自体は分からんでもないんだけどさぁ……やっぱり怖いものは怖いとしか言い様が無いんですけども?!ってか、調査結果としては俺は許されたのか!?
「まぁ、報告書を読んでみた限り余計な心配だったらしい。アンタはいきなり現れた娘に対して真面目に戦い方を教え込んでくれていたと書いてあったよ。それだけじゃ無くてお仲間やそこのお嬢さんも親身になってくれていたとな。」
「そ、そうでしたか……」
「えへへ、そう言われちゃうと何だか照れちゃいますね。でも、そんな風に書かれていたのならどうしてエルアさんを連れ戻そうって思う様になったんです?おじさんはちゃんと師匠として振舞える様にそれなりに頑張っていたはずなんですが……」
「それなりって……そこを強くは否定出来ないけどさ……でも確かに、モンスターと戦ったりしながら訓練っぽい事は毎日していたんですが……」
「それだよ!」
「うおっ!」
「ひゃっ!」
「お、親父!2人が驚かれていますから冷静に!」
いきなりテーブルを両手で叩いて勢いよく立ち上がってみせたニックさんと慌ててそれをなだめているサブさんの姿を目の当たりにさせられた俺達は、突然の事に何が何だか分からずにただただ困惑する事しか出来なかった。
「あ、えっとその……それだよと申されましても何が何だか……」
「だからそこに書いてあるだろ!エルアが!顔に!傷を負ったって!」
「は……えぇ?」
興奮冷めやらないニックさんに指先を突きつけられながら手に持った報告書を読み進めていくと、最後の備考欄の所にエルアがモンスターの攻撃を防いだ時に顔に傷を負ったと記載されていて……
「んー?おじさん、コレってもしかして数日前にやったクエストでのやつじゃ……」
「数日前……あぁ!そう言えばそんな事もあったな。でもアレってエルア自身も気が付いてなかったぐらい小さな傷じゃなかったっけか?」
「えぇ、最初に私が気が付いてすぐに傷薬を塗ってあげたら翌日にはもう傷跡も見えないぐらいになっちゃってました。」
「だよな……えっ、まさか……?」
報告書から目を離してゆっくり顔を上げてみると、そこには気まずそうにしながら両目を閉じているサブさんと厳つい顔で怒っていますって感じの表情を浮かべているニックさんがこっちを見ていた。
「どうだ!これで分かっただろう!俺の大切な天使が女の子の命とも言える負傷したという事が!」
「……マジ、ですか……本当にそんな理由で連れ戻しに……?」
「おう!ってかそんな理由ってのはどういう事だ!何か文句でもあるのか!?」
「いや、文句って言うか……ちょっと心配し過ぎなんじゃないかなと思えなくも無いって言いますか……」
「あぁん?!」
「ひぃっ!?す、すいませんすいません!」
「親父……お願いですから九条さんを怯えさせないで下さい。それに正直に言うと、俺もお嬢の事を心配し過ぎだと思います。気持ちは分からんでもないですが、流石に過保護にも程があるかと。」
「けっ、親が大事な一人娘の心配して何が悪いってんだよ!今回エルアが負った傷が浅かったからまだ良かったが、下手打って一生残っちまう様な深い傷が出来ちまった場合どうすんだってんだ……」
俺の意見に賛同してくれたサブさんの言葉を耳にしたニックさんは、ガクッと肩を落とすとそのままうつ向いて口を閉ざしてしまった。
……ニックさんの気持ちは分からなくもない。自分の可愛い娘の顔に傷が残るかもしれないって男親からしたらとんでもなく怖いもんな。
まぁ、これまでずっと独り身だった俺が何様なんだよ話ではあるんだけどもさ……でも、だからと言ってエルアを無理やり連れ戻しに来るのはやっぱりやり過ぎだって思わなくも無い訳で……仕方ない、上手くいくか分からないが……
「すみませんニックさん、実は貴方に見せたい物があるんです。少しだけで良いんでここで待っていてもらえますか。」
「……見せたい物?」
顔を上げてこっちを見てきたニックさんと一瞬だけ視線を交わしてから玄関の方に向かった俺は、そこに残されていた物を持ってリビングに戻って行った。
「コレ、何だか分かりますか?」
「……そ、それは……」
「エルアさんが使っている、武器と盾……」
目の前に置かれた使い込まれた2つの装備品を見つめていたニックさんは、黙ったまま驚きの混じった視線をこっちに向けて来た。
「ご覧になって分かると思いますが凄い傷だらけですよね。どうしてなのか……俺が言わなくても理解出来ますよね?」
「……エルアが日々、真面目に訓練を重ねて来たからか……」
「はい、最初の内は俺達の後ろで防御しているだけだったエルアですが今となっては自分で考えてモンスターを相手に立ち回れる程までに戦闘技術を身に付けました。」
「………」
「まだまだ危なっかしい所があるのは確かですけど、それと同じくらいエルアが成長している事も間違いありません。まぁ、だから心配しなくて大丈夫だなんて無責任に言ったりはしませんが……もう少しだけ、エルアを信じてあげてくれませんか?」
完全なる部外者である俺の言葉が何処まで届いたのか分からないが、ニックさんは幾つも刻み込まれた傷を撫でながら大きくため息を零していた。
「……信じる、か……ははっ、まさか入学祝いに贈ってやった物がこんなになる程に頑張っていたとはな……」
「親父……」
「……えっと、エルアさんから何があったのか聞いていないので何を勝手な事をって思うかもしれませんけども……おじさんもエルアさんの師匠として出来る限りの事はしています!だ、だからその……!」
「……お嬢ちゃん、もうそんな顔をしなくても大丈夫だぞ。」
「えっ?」
真剣な眼差しのマホにニコッと微笑みかけたニックさんはテーブルに両手を付いてスッと立ち上がると、腕を組みながら今度はこっちに視線を送ってきた。
「九条さん!」
「あっ、はい!」
「……娘の事、どうかよろしく頼む。きちんと育ててやってくれ。あの子の……師匠としてな。」
「……はい!」
「ふっ、良い返事だ!」
そう言って右手を差し出して来たニックさんと視線を交わした俺は、一歩前に出てその手を握り返して握手を……あく、しゅを……?
「あ、あのニックさん?ちょっとその、握る力が強い気が……」
「……九条さん、俺はアンタの事を信頼して娘を預ける訳だが……だからと言って、あの子に何をしても良いと言う事ではない……」
「え、えぇ……それは重々承知しててててててっ!」
「俺は師匠だからどんな事を教え込んでも良いだなんて考えを持ったらその時は俺が持っている前線力を投入してアンタの事をえぇい離せサブ!俺の話はまだ終わっちゃいねぇ!」
「お、親父!お願いですから九条さんの手を離して下さい!ここままだと九条さんの手が握り潰れちまいます!」
「あああああああいででででででっ!」
「お、おじさああああん!!!シッカリして下さいおじさあああああん!!!!」
……とまぁ、ちょっとした圧みたいな物を掛けられたものの一応は納得してくれたらしいニックさんはサブさんに引きずられる様にして帰って行くのだった……!
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