昼下がり


 彼女は薬屋を営んでいた。棲み家の周りに自生する薬草や菌類など、彼女はその多くを熟知していた。何をどう調合すればどんな症状に効くのか、彼女より詳しい者はいなかった。そんな彼女の周りには、彼女を慕う生き物が、植物が、自然と集っていた。彼らにとって気候なぞ関係はない。季節などどうでもよい。かれらにとってありとあらゆる諸条件は、彼女に勝ることがなかった。


 からんからん


 と、クリオネの形をした錫製の鐘がなり、彼女に来訪者を告げる。

 ――はーい

 そう返事をして彼女はドアを開けた。

 そこには、なんとも可愛らしい様子で、彼女の胸ほどの高さしかない馴染みの女の子がもじもじと立っている。

 ――お婆さんの御薬よね?

 女の子は大きく、うんっとうなずいた。

 ――ちょっと待っててね。

 踵を返し大きな大きな薬棚を当たる。

 下段には端から端まで、分厚い小難しげな本がぎっちりと詰まっており、上段にいくに連れて瓶詰めされた何かの標本や薬が入った瓶が目につくようになる。

 彼女は手慣れた様子で、小瓶を二、三ほど手に取り、すぐ後ろの、様々な器具や機械が散在する作業台に置いた。

 一つ目の小瓶を開ける。微かに蒼い、紫がかった煙が立ち上る。時折スパンコールのような輝きを放つその煙は、くゆりくゆらと揺れながら短髪の少年の形を模した。少年はおずおずと上目遣いで彼女に頭を差し出す。

 ――今日もお願いね

 彼女が少年の頭にキスをする。――や否や、少年の輝きが強まり、ふるふると震えだす。今日も喜びを隠しきれず、打ち震えていた少年はその華奢な手を伸ばし、空の試験管に彼と同じ色の液体――時折キラリと光る夏の星空を思わせる――を指先からポトポトと落とし、恥ずかしそうにそそくさと小瓶の中へ消えていった。

 ふふっと小さく笑った彼女は次の小瓶を開ける。吐き気を催すほどの甘ったるい匂いが溢れ出した。小瓶の中では下草を思わせる翠色の粘性の液体の中を、紐状の生物がひくひくと泳ぎまわっている。彼女は小さな桐のスプーンを使い、緑色のドロリとしたバター状の塊を掬うと、試験管の中に落とし込んだ。

 ピキピキワシャワシャと騒がしい音を立て、二つの液体が反応を起こす。くるくるとかき回すと、紫がかった蒼と翠が螺旋を巻いて混ざり合い、鮮やかな碧色に変化した。

 暖炉へ向かった彼女は、試験管をかざし火に向かって笑いかける。

 火はその熱く器用な舌を伸ばし、試験管の底をチロリとひと舐めした。


 ころんころん


 ――はーい

 急いで試験管を紙袋に詰めた彼女は玄関に向かった。

 ドアを開けると、すらりと背の高い長髪の青年が、縮こまってしまった女の子の頭をなでながら、彼女を待っていた。

 ――まだ熱いから気をつけて持って帰ってね

 女の子は小声でありがとうと言い、慌てて走り去った。

 彼女は少し強めの語気で青年に話しかける。

 ――お久しぶりです、春の風さん

 そう呼ばれた青年は、特に悪びれる様子もなくポリポリと頭をかき、すきま風のような声でヒュウヒュウと言う。

「僕はこれから春一番になります、その前にご挨拶をと思いまして。これはほんの手土産です。」

 そういって彼がずいっと差し出したランタンの中には、雪のように白く幻想的で、されどどこか気まぐれな感じを思わせるアザミのような綿毛がいくつも舞っている。

「風の種です。ここはいい場所ですから、けばきっと強く優しい風となって、あなたの頬を撫でるでしょう。それでは。」

 先より少し太くなった声の彼は一陣のつむじ風となり、彼女のうららかな赤毛とスカートをひるがえし、吹き去っていった。

 彼女は自身の毛と同じ色に顔を染めながら叱り声を上げるも、すでにどこ吹く風である。

 しばらく彼方を睨んでいた彼女は、ふっと我にかえる。

 ――もう春か…

彼女は思い出したように今一度、彼方に向かってガンを飛ばすと、蔦の這うドアを力の限りにバタンと閉め部屋へ戻った。

 野原は、木々は、山々は、空は、それを暖かく見守り、自らもペールトーン調の橙色に染まり始める。


 日は傾き、夜が息づき始めていた。


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