第6話 精霊術(物理)


「私は、シルフィア=ローゼリア。ローゼリア王国の第三王女です」


 少女が自らの名を告げる。

 山賊たちの言葉から薄々予想はしていたが、どうやら彼女は正真正銘のお姫様らしい。一茶は傍で倒れている馬車を見た。輓獣の馬は既に息絶えているが、白い毛並みが美しく上等なものであることが分かる。馬車もただの移動手段にしては豪奢で頑強な造りをしており、特別な車体であることが窺えた。


「この度は助けていただき、本当にありがとうございます。外交の帰りに、突如指名手配中の山賊から襲撃を受け、もう駄目かと思っていたところです。……あの、宜しければ精霊様のお名前も教えて頂けないでしょうか。先程の戦いぶりや、こうして意思疎通を円滑に行えることから、さぞ格式の高い精霊様とお見受けいたしますが……」


「いや、だから人間だって」


「またまた、ご冗談を。精霊を素手で倒せる人間なんて、いるわけがありません」


 一茶の発言を冗談と受け取ったのか、シルフィアはクスリと微笑んだ。

 この誤解は簡単には解けそうにない。一茶は先に名乗ることにする。


「俺は藤村一茶だ」


「フジムライッサ様……不思議なお名前ですね」


「一茶でいいよ。友達も皆、そう呼んでいたし」


「わかりました、イッサ様。では私のことも、シルフィとお呼びください。私も友人からはそう呼ばれていますので」


「……王女様を愛称で呼んでもいいのか?」


「私たち人間は、精霊に庇護される身です。敬うことはあっても、敬われることはありません」


 誤解を解きたいのは山々だが、それよりも一茶はまず自分の疑問を解消したいと思った。精霊とは何なのか。魔法がないという事実は本当なのか。異世界に来てから積もりに積もった疑問を、少女にぶつけることにする。


「シルフィ。実はその精霊というものについて、色々と話を聞きたいんだが……」


「精霊様が、精霊についてお聞きになるんですか?」


「……もういいよ、それで」


 キョトンとした様子で首を傾げるシルフィアに、一茶は色んな意味で諦めた。


「精霊とは、意思を持つ神秘です。私たち人間は、その精霊と契約することによって、精霊術を行使できる……即ち、精霊術師になることができます」


「さっき、シルフィが使ったのも精霊術だと言っていたな」


「はい。先程召喚したのは、私が契約を結んだ精霊、《天騎使ヴァルキュリア》です。……精霊術とは、契約を結んだ精霊と共に戦う術です。精霊を呼び出す《召喚》や、精霊を元の世界に戻す《還送》などが代表的ですね」


「元の世界? 精霊は、この世界にはいないのか?」


「はい。通常、精霊は精霊界と呼ばれる、こことは異なる世界で過ごしており、人間に呼び出されない限りこの世界に来ることはできません。しかしイッサ様のような一部の上位精霊は、自力でこの世界にやって来ることが可能です」


「成る程。……まあ俺は人間なんだけど」


「イッサ様はご冗談がお好きですね」


 もしかして馬鹿にされてる? と一茶は思ったが、シルフィアの笑みは純粋無垢なものだった。


(しかし……そうか、そういうことか)


 シルフィアの説明を聞いて、一茶は自らの過ちに気づいた。


(この世界では、人間が直接戦うことはないのか……っ!!)


 先程の戦闘を思い出す。

 通りでシルフィアや山賊が驚いていたわけだ。

 一茶は額に手をやって、深々と溜息を吐いた。


「あ、あの、どうかされましたか? イッサ様?」


「いや……その、一応訊きたいんだが、この世界には魔物とか魔王がいるんだよな?」


「はい。魔物は人間の命を脅かす危険な存在であり、魔王はその親玉のことです」


「……人間は、どうやって魔物を倒しているんだ?」


「それは勿論、精霊術を使っています。人間の力だけでは到底、太刀打ちできませんから。魔物と相対するのは精霊の役目。私たち人間は、その後方で精霊に指示を出します」


 なんてこった。――なんてこった!

 世界観を間違えた!!


 一茶は頭を抱えて蹲る。

 ここは自分の望んだ世界だと思っていた。だが――微妙に違った。ここは確かに弱肉強食で、確かに「強さ」が物を言う世界だ。しかし、鍛え上げた己の肉体が役立つ世界ではない。ここは「強さ」が脚光を浴びる世界だが、一茶の努力が報われる世界ではなかった。


 どうやらこの世界では、精霊を使役して魔物と戦うらしい。

 そうとは知らず、一茶はひたすら自分自身を鍛えていた。


「だ、大丈夫ですか!? 何か薬を……ああ、でも精霊に効くようなものなんて」


「いや、大丈夫……大丈夫だから」


 なんとか平常心を取り戻した一茶は、慌てるシルフィアを宥めた。

 文句を言ったところで仕方ない。一茶は自らの勘違いを認めた。


(できれば……シルフィの勘違いも直したいところだが)


 流石にいつまでも精霊扱いされるのは困る。だがシルフィアは華奢で儚げな見た目とは裏腹に、強情な考えの持ち主だった。


 その時、一茶の脳筋に電流走る。

 本物の精霊に誤解を解いてもらえばいいのでは?


「シルフィ。さっき呼んだ精霊、もう一度呼べるか?」


「? はい、可能ですよ。イッサ様のお陰で消耗が少なかったので、すぐに《召喚》できます」


 そう言ってシルフィアは両手を前に突き出す。

 黄金の輝きと共に、先程、山賊たちと対峙していた翼を生やした精霊が現われた。

 ヴァルキュリアと呼ばれたその精霊は、一茶の姿を見るなり――地面に片膝をつく。


「……え、なんで跪いてんの?」


 殆ど初対面の精霊にいきなり跪かれて、一茶は困惑した。


「ヴァルキュリアも、イッサ様の力を見抜いているようですね。……プライドの高いヴァルキュリアが、他の精霊に頭を下げるなんて。やはり、イッサ様は只ならぬ品格の持ち主であるご様子。私も跪いた方がよろしいでしょうか」


「いや止めて。マジで止めて。流石に王女に跪かれるのはマズいって」


 ヴァルキュリアに倣って、跪こうとするシルフィアを一茶は全力で止める。


「あ、あの、シルフィ。ちょっとこの精霊と、二人だけで話してもいいか?」


「はい、構いません。……ヴァルキュリア、イッサ様に失礼のないように」


 シルフィアの指示に、ヴァルキュリアは「言われるまでもない」といった様子で頷いた。

 一茶としては、そこは寧ろ拒否して欲しいところだった。


 一茶はヴァルキュリアと共にシルフィアから少し離れる。一茶のことを精霊だと思い込んでいる彼女が傍にいると、事情の説明が難しいと判断したからだ。


「えーっと、ヴァルキュリアさん?」


 シルフィアの精霊ヴァルキュリアは、無言で一茶の方を向いた。どうやら声は出せないが、言葉は通じているらしい。


「単刀直入に訊くけど、俺、人間だよな?」


『……?』


 ヴァルキュリアは「え、何言ってんの?」とでも言いたげに首を傾げた。


「いや、首傾げるなよ。ヴァルキュリアさん精霊なら分かるでしょ。俺、人間だよな? 精霊じゃないよな?」


『……』


「え、なんで何も答えないの。話は通じてるよな? 首、縦に振って欲しいんだけど」


『……っ』


 少し語気を強くして言った一茶に、ヴァルキュリアは恐る恐るといった様子で首肯した。


「そうそう、そうやって反応してくれないと分からないって。じゃあさ、俺が精霊じゃなくて人間だってことを、シルフィに教えてやって欲しいんだ。なんか俺、誤解されてるみたいだからさ」


『……』


「だから、なんでそこで黙るんだよ。反応しろや」


『……っ』


 思うように説得できず、一茶は無意識のうちに刺々しい口調となった。

 途端、ヴァルキュリアは顔を蒼白く染め、全身をガタガタと震わせる。


「黙ってたらいいとでも思ってんのか? あぁん? もう一度言うぞ、俺が人間だって説得して来い。いいな?」


『っ!!』


 ヴァルキュリアは必死に頭を縦に振る。


「ったく、最初からそうやって素直に頷いときゃあいいんだよ。ほら、さっさと説得して来い」


 流石は精霊と言ったところか、ヴァルキュリアは秒速五回くらいのペースで首を縦に振った後、大急ぎでシルフィアの方へと向かった。


『――!』


「え? イッサ様は精霊ではなく人間? もう、ヴァルキュリアまで冗談を言わないでください」


『っ! ッ!!』


「冗談ではなく本当に? そんな筈ありません。人間が精霊を倒せるわけないですし…………ところで、どうしてそんなに必死なんですか?」


『ッ!! ――ッッ!!』


「え? まだ死にたくない? 何をそんなに怖がって……あ、頭を下げないでください! 私を説得できないと死ぬって、どういう意味ですか!? ヴァルキュリア!? 貴女ちょっと泣いてませんか!?」


 ヴァルキュリアがちらりと一茶を一瞥した。

 一茶は「早く説得しろ」という念を込めてヴァルキュリアを強く睨む。

 ヴァルキュリアは何度も頭を下げながら、必死にシルフィアを説得した。


「あ、あの、イッサ様。失礼ですが……イッサ様は、本当に人間なんですか?」


 やがてヴァルキュリアの説得が上手くいったのか、シルフィアがおずおずと一茶に尋ねた。


『ッッ!!!!』


「ヴァルキュリアはちょっと黙っていてください」


 何度もそう言ってんだろうが! とでも言いたげなヴァルキュリアを、シルフィアは一旦無視する。

 真剣な目をするシルフィアに対し、一茶も真顔で答えた。


「何度も言っているが、俺は人間だ」


「で、ですが、人間が直接、精霊を倒すなんて……」


「鍛えればなんだってできるもんだ」


「いえ…………いえいえいえいえ、そんな、筈は……」


 今、シルフィアの頭の中で、常識というものが破壊されそうになっていた。

 一茶はこの機会を逃したら一生誤解されたままだと考え、畳みかけるように説得する。


「シルフィは今まで身体を鍛えたことはあるか?」


「その、恥ずかしながら、あまりそういった経験は……」


「もしかしたらシルフィも、本気で鍛えれば俺と同じようなことができるかもしれない」


 シルフィアの後ろでヴァルキュリアが「いやいや」と手を横に振って否定する。

 一茶はそれを無視して説得を続けた。


「俺は決して特別ではない。俺はただ誰よりも直向きにトレーニングを積み重ねてきただけだ。俺と同じくらい努力すれば、誰だって素手で精霊を倒せるようになる」


「そ、そう、なのでしょうか……」


「ああ。人間の肉体には、無限の可能性が秘められているからな」


「人間の肉体には……無限の可能性が……」


「筋肉は無限大だ」


「筋肉は、無限大……」


 シルフィアは放心した様子で、一茶の言葉を繰り返した。

 やがて少女は、その碧眼に理解の色を灯す。


「……失礼しました。イッサ様は、人間だったのですね。私は……筋肉を、見くびっていたのかもしれません」


 よし、うまく説得できたぞ。

 一茶は安堵に胸を撫で下ろす。だがここに心理学の専門家がいれば、間髪を入れずに突っ込んだに違いない。これは説得ではなく洗脳である。


「取り敢えず、様を付けて呼ぶのは止めてくれ。どうも落ち着かない」


「わかりました。では、イッサさんで」


 柔らかくなったシルフィアの態度に一茶は朗らかに笑う。

 その時――大きな爆発音がした。


「なんだ!?」


「追手が来たようです……っ!」


 シルフィアが焦燥に駆られた様子で言う。

 先程倒した山賊の仲間が、また集まってやって来たらしい。


「どうする……また俺が倒すか……?」


「いえ……いくら一茶さんが強くても、相手は強大な精霊を何体も使役しています。このままでは敵いません……」


「なら、どうすれば……」


 一茶が警戒を露わにして呟く。


「一つだけ、方法があります」


 シルフィアが神妙な面持ちで告げた。


「一茶さんが、精霊と契約するんです」


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