第4話 思考放棄パンチ!
異世界に来て一ヶ月が経過した。
一茶は異世界に来てから、日が登るたびに日数を数えていた。今日で丁度、三十日目の筈だが……途中、山の獣と日を跨ぐほどの激戦を繰り広げていたため、もしかするともう何日か経過しているかもしれない。
「最近、山の動物が妙に大人しいんだよなぁ……」
理由はわからないが、最近、山の動物が自分を見ても襲ってこなくなった。
狩猟が楽になって助かるといえば助かるが、これでは修行にならない。
「お、異世界熊」
食糧を調達するために一茶が山を登っていると、近くで異世界熊が通りかかった。
『ギャウ(敬礼)』
異世界熊は二本の足で立ち、どこか凛々しい表情で敬礼をした。
以前は目が合うだけで襲いかかってきたほどの獰猛な生物だ。それがどうして、こうなってしまったのだろう。
「丁度良かった。食糧を探しているんだが、何か知らないか?」
『ギャウ!?(戦慄)』
一茶が訊くと、途端に異世界熊は震え上がった。
『ギャウ……(逡巡)』
異世界熊が懊悩している素振りを見せる。
『ギャウ(諦念)』
やがて異世界熊は、腹を上にして倒れ、「ひと思いに殺ってくれ」と言わんばかりの目で一茶を見た。
「いや……流石にそれは、ちょっと」
食糧の在り処を訊いただけで、「お前を食ってもいいか?」とは訊いていない。
ここ数日、異世界熊はどれもこんな感じで一茶に対して抵抗しなくなっていた。
一茶は覚悟を決めた異世界熊を放置して、山を更に登る。
「うーん。最近いい修行相手もいなくなったし、そろそろ山を下りるか……?」
山の頂上に辿り着いた一茶は、ぐるりと周りを見渡して考える。
「……いや、驕るな。まだまだ俺には、やれることがある」
そう呟き、一茶は筋トレに励むことにした。
異世界に転移してからも、一茶は日課の筋トレを続けていた。
望んだ世界に辿り着いたことを身体も喜んでいるのか、筋トレのペースは日に日に増している。
祖父に、女神に、そして己の肉体に。
一茶は自分なりに恩を返そうと思い、真剣に筋肉と向き合った。
一日一万回。感謝のスクワット。
最初は腕立て伏せをしていたが、最近本気で腕立て伏せをすると地響きが凄いことになるのでスクワットに変えた。スクワットでも気を抜けば足元の地面が割れてしまう。
「ハムストリングは重要だからな」
顎から汗水を垂らしながら、一茶は腿の肉が鍛えられていることを実感する。ハムストリングは足腰を支える重要な筋肉である。老後もこれさえ鍛えていれば最低限の運動機能を保持できるらしい。
『ふむ。山の獣が妙に騒ぎおるから、久方ぶりに下界を眺めてみたが……中々、面白い逸材が現れたようだな』
その時。
正面から、妙に厳しい声が響いた。
「誰だ!?」
一茶は正面に向かって叫ぶ。
木々の間から、ぼんやりと老人の顔が浮かんだ。首から下の身体はない。老人の顔は薄緑色に淡く光っており、煙のようにゆらゆらと揺れていた。
『我が名は大精霊グランジオ。この山、霊峰グランジオの主である』
この山は霊峰グランジオというのか。
一茶はまず、その事実を頭に入れた。
『強靭な魂を持つ人の子よ。喜べ、我は貴様が気に入った。契約を結ぶことを許そう。……くくくっ、大精霊である我が、人の子と契約するなど、いつぶりであろうな。三世紀、いや四世紀ぶりか』
老人は何やら勝手にわけのわからない話を進めていた。
契約。大精霊。何を言っているのかサッパリ分からない。
しかし一茶は、そういう得体の知れない存在に、心当たりがあった。
「そうか。――お前が魔物だな!」
『は?』
老人が間抜けな表情をした。
『何を言っている。魔物ならここ数日、貴様がひたすら倒してきた――』
「喰らえ魔物!」
『ぐおおおおおおっ!? な、何をするッ!!??』
一茶は老人の魔物(?)を殴り飛ばした。
しかし、魔物(?)は一度霧散したかと思いきや、すぐに元の形に戻る。
『……愚かな』
魔物(?)が低い声で言った。
『人間如きが、この私に傷をつけられるとでも――ゴフッ!?』
不意に、魔物(?)が呻き声を上げる。
『ば、馬鹿な……人間が、精霊である私に傷をつけただと……?』
「筋肉は嘘をつかない」
一茶は堂々と告げた。
『じ、実態がない私に、どうやって干渉したというのだ』
「……筋肉は嘘をつかない」
『思考放棄するな!!』
自称精霊のグランジオは一つ間違っていた。
脳筋の一茶は、戦闘が始まると一切頭を使おうとしない。
つまり最初から思考なんてしていない。
「うるせぇ!」
『ぐあああああああっ!?』
一茶の放った思考放棄パンチは、魔物(?)には効果抜群だった。
今度こそ、老人のような魔物(?)は姿を完全に消した。
「……なんとか、魔物を倒すことはできたな」
女神の話を思い出す。
一茶が倒すべき相手は魔王である。魔物は恐らく、魔王の配下にあたる存在だろう。
今回の相手は恐らく、弱い部類の魔物だったため無傷で倒せたが、次もそうとは限らない。
一茶はそこで、自身に足りない力を自覚した。
(そう言えば、まだ俺は魔法を使えないな)
この世界には魔法がある筈だ。
女神も言っていた。その魔法を行使しなくては、魔王は倒せないと。
誰もいなくなった山の頂上で、一茶は麓の景色を一望する。
坂を下りた先には、街へと続く舗装道路があった。
「……街に行けば、魔法の使い方がわかるかもしれないし。そろそろ山を下りるか」
一茶はゆっくりと下山を始めた。
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