第2話 時をかける胸筋

 何もない真っ白な空間だった。

 地面は雲のように柔らかく、頭上からはかすかに陽光のようなものが差し込んでいる。


「藤村一茶さんですね」


 美しい金髪の女性が言った。

 対し、一茶は――上半身裸で腕立て伏せをしていた。


「71、72、73……」


「あ、あの。なんで腕立てしてるんですか?」


「126、127、128……」


「早っ!? え、今、時間飛びました!?」


 幼い頃から筋トレを続けてきた一茶にとって、腕立てはもはや息をするよりも簡単なことだった。残像が出るのは当たり前。本気でやれば震度3の地震が発生する。


「ん、誰だ?」


 一茶がその女性の存在に気づいたのは、腕立て1000回を終え、腹筋を始めようと思った時だった。


「やっと気づいてくれましたね。はじめまして、私は女神です」


 女神と名乗る女性は、なるほど、確かに神々しい雰囲気を醸し出していた。柔らかな白いローブを纏っており、背中からは純白の翼が広がっている。


 一茶はポカンと口を開き、女神をまじまじと見つめる。

 その様子に、女神はクスリと子供に向けるような笑みを浮かべた。


(どうやら、女神であるこの私に見とれているようですね……)


 女神はそんなことを考えていたが、一茶の心境はそうではなかった。

 むしろ一茶は女神を観察した後、小さくため息をこぼした。


「……上腕二頭筋が貧弱だ」


「どこを見てるんですか貴方は!?」


「あと、ブカブカの服で隠しているようだが、腹が弛んでいる。さては最近、運動してないだろ」


「や、ちょっ、見ないで下さい!!」


 一茶の言う通り、女神は最近お腹の弛みを気にしていたので激しく狼狽した。

 これ以上、自分の堕落しきった身体を見抜かれないよう、女神は早々に本題を切り出すことにする。


「藤村一茶さん。貴方は異世界転移の抽選に当たりました」


「なんだそれ? どういうことだ?」


「今、地球上には『異世界に転移したい』と願っている人々が数多くいます。私たち女神は、その中から抽選で一人選び、実際に異世界へ転移させているのです。勿論、ただでというわけではありませんが」


 女神はそこで言葉を止める。

 一茶が、わなわなと全身を震わせていた。


「や……」


「や?」


「やったー! 異世界だ!!」


 一茶が大きな声で喜んだ。


「そ、それってあれだろ!? 魔物とかいる世界なんだろ!?」


「は、はぁ。まあ確かにいますが」


「それで俺が、その魔物を倒すんだろ!?」


「そ、そのつもりです。貴方には異世界に転移してもらう代わりに、魔物の親玉である魔王を倒してもらう予定でした」


「よっしゃーーーーーッ!!!」


 YES! 来たぜ! 俺の時代! などと吠え、一茶は喜びに喜んだ。

 そのあまりの喜びように、女神は少し不安になる。


「あの、何か誤解しているかもしれませんが、転移するからといって特殊な力が手に入るわけではありませんよ?」


「でも、どうせその転移する世界って、あれだろ? 剣と魔法のファンタジーな異世界」


「そうですけど」


「十分だ! 俺はそういう世界を望んでいた!!」


 狂喜乱舞しているが、一茶は別に頭がおかしくなったわけではない。

 ただ本心から喜んでいるだけだった。


 むしろ一茶の様子に女神が困惑し始めた――その時。一茶の身体が、再び白く発光しだした。


「そろそろ異世界への転移が始まります。一茶さん、先程も説明しましたが、貴方にはこれから魔王を倒してもらいたいと思います」


「ああ」


「貴方が仰った通り、転移先の世界には魔法みたいなものがありますから、それを用いて魔王を倒してください。ただし、魔王も同様の力を行使してきますので、いきなり戦いを挑むのではなく、まずは自分自身を鍛えることをおすすめします」


「修行を怠るなということだな。わかった」


 一茶の身体が更に輝く。

 後少しすれば異世界への転移が始まってしまう。


「もう時間がありませんね。ええと、他に言い残したことは――あっ! そうでした! 転移先にあるのは、厳密には魔法ではなく精霊術と呼ばれるもので、その力を使うにはまず精霊と出会う必要が――」


 一茶の放つ輝きが大きくなる。

 説明が間に合わない。そう判断した女神は、物凄く要約した一言を告げた。


「よ、要は、ポケ○ンみたいな世界です! それでは頑張って下さい!」


「ああ、任せろ!!」


 返事をして、すぐに一茶はその場から姿を消した。

 やがて一茶は、広大な森の中で目を覚ます。


「ここが異世界か……よし、まずは修行しないとな」


 転移した先が森であったということは、ここで修行しろと暗に告げているのかもしれない。

 そう解釈した一茶は、早速、修行を始めることにした。


「ところで、ポケ○ンってなんだ?」


 一茶はポケ○ンを知らなかった。


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