第11話
私は猫である。この冷たい風が厳しい駅に暮らす住人である。
私は屋根の上でお日様に当たり、丸まっているのだが、とても寒いのだ。
最近は雪も降っておらず、綺麗な青が空に限りなく広がっている。そうであっても、外の温かさは感じず、毎日を寒々しく過ごしている。
ああ、寒いのだ。これは修行なのだ。
暖かい部屋はある。しかし、部屋にこもってばかりでは、気持ちもこもってしまうと、私は毎日外に出ている。
こんなにも寒いのに外に出なければならないとは、私も物好きなのだ。感覚で言えば、ランニングと同じなのだ。スッキリする感じなのだ。
くわっと大きく欠伸をして、眠い身体をさらに縮こませる。
冷たい風の中でも日なたは、ぬくぬくとしている。眠たいのが促進される。安心しているのもあるのだろう。
私の心配事であった彼女は、あれから徐々に来る回数が減ってきた。しばらく顔を見ていない。
それは彼女が元気な証拠。
私に話しかける時は、だいたい不安になったときであったから。
だから、私は安心していいのだ。安心して幸せに眠るのだ。
目を閉じて、身体をゆっくりと休める。
身体がポカポカとしてきて、風が厳しくなってきた頃。私は群青色の空を見上げて、今日の終わりを知る。
駅舎の屋根の上から外屋根に飛び移ると、人の出入りがないのを見計らって外屋根から地面に飛び落ちた。
身体をバネのようにしならせて着地をすると、人の気配のする駅舎の中へと入っていく。
そう、人の気配がするのはピアノの音がするからである。
屋根の上にいた時は僅かにしか聴こえなかったピアノの音が、駅舎の中に進むほど大きくなる。
機械的な音の鳴る扉を開けて、中に踏み込めば、ピアノの生音がピンっと立った耳に入ってきた。
なんとも綺麗な音である。柔らかく、包み込むような温かさ。ふわふわと浮かぶ雲が太陽から温かさを受け取って、その上で眠っているような気持ちだ。
思わずウトウトとしてしまう。先ほどまで、あんなにも怠けていたにもかかわらずだ。
私はピアノのイスから離れて、待合室にある木材で作られた長イスの上に飛び乗った。ピアノを弾く婦人を眺めながら、身体を寝転ばせて、前脚に頭を置く。
ご婦人は私の存在に気がつく事なくピアノを弾き続ける。
穏やかな曲。柔らかく、どこか懐かしくなるような温かさ。
これは誰のぬくもりなのだろうか。
いったい、誰の優しさなのだろうか。
懐かしくって思い出せない。
でも、思わず口に出てしまうのは、母さん、の一言なのだろう。
そんな優しさと柔らかさ、強さを音が教えてくれる。
知らない間に、とても強い人になった。
口ずさみたくなるが、猫は喋れない。だから、代わりに大きく欠伸をする。
猫は喋れないまま、ご婦人のピアノを聴いていると、1時間に数本と、数の少ない電車が駅のホームへと駆け込んできた。
ご婦人はそれに気がつくと、ピアノを止めた。
そして、私には目もくれずに待合室から出て行ったのであった。
残されたのは、私とピアノと機械的な扉の閉まる音。
眠気に誘われるまま、口を大きく開いた。
私は欠伸のしすぎで、目から少し涙が零れた。
ここはピアノのある駅。私はここの住人。
この寂しく暮れる日の中で、独りぼっちに欠伸をしたのだった。
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