第10話



 私は猫である。この代わり映えのしない駅に暮らす住人である。


 最近はまた独りである。実際はピアノとコンクリートに置かれた猫缶が私と一緒にいてくれているが、猫が他におらず独りであるということだ。


 ここ数日は雪が降っていたのにもかかわらず、まるでけろっとしたような冬晴れを見せている。しかし、寒いのには変わらないのだ。ちなみに、けろっとして去っていったマカロンは、ついには戻って来なかった。


 私は連日のように入り浸る女の子に尻尾でピアノを叩き、よく弾かせているのだが、彼女の音は乱暴なままである。


 鍵盤が何度も痛いと悲鳴をあげていたのだ。鍵盤は私と同じで決して喋ることはないのだが、そんな感じがしている。猫にしかわからない意思疎通なのだ。


 今日も日向ぼっこを終えて、ウィーンと機械的な音が鳴る扉の向こうへと入っていく。

扉の向こうにはピアノが置かれているので、ここが国際コンクールの会場ではないかと錯覚してしまう。もちろん冗談なのだ。


 そして、ピアノの前には見慣れた黒い髪の女の子がうつ伏せている。


 私はいつものようにピアノのイスの余りに飛び乗る。この座るだけで精一杯の狭い場所が最近の私の特等席である。


 私がイスに飛び乗ると見慣れた黒い髪の女の子が気がついたようで、頭はうつ伏せたまま顔をこちらに向けた。


「どこに行ってたのさ。小さくたって一人前じゃないんだぞ」


 それはショパンではなく、コパンである。それとショパンはウィーン出身の作曲家ではないのである。


 彼女の思考はどこか私に似ており、私が部屋に入って来た時に、同じような思考をしていたのだろう。


「にゃー」


 腫れた目の彼女の顔を見て、私は“今日も泣いていたのか?”と鳴き声で尋ねてみる。


「生意気だね、ショパン」


 だから、コパンである。それと私はコパンではなく、猫である。


 彼女もなかなかしつこいのだ。


 彼女に私の言葉が伝わったのかわからないが、彼女はどこか疲れた笑みを浮かべると、私の頭をコシコシと撫でる。


 そんなにコシコシしちゃダメである。ハートの匂いがついてしまうのである。


 私のくだらない言葉に彼女は聞く耳も持たず、私の頭から手を離した。

くだらない言葉が彼女に伝わっていないだろうがね。


「今日も弾くかい?」


 彼女は伏せていた頭をあげて、ピアノの蓋を開ける。彼女の目は鍵盤に向いており、その目は鍵盤を見つめていなかった。


 どこか遠く、遠く、どこを見つめているのだろうか。

鍵盤の向こうには、何か光でも見えるのだろうか。

それとも、強い思いでも届けているのだろうか。


 私は自分自信の悪ふざけに嫌気がさす。


 彼女の作る雰囲気に慣れてきてしまっている。私自身も彼女のピアノが辛いものであり、娯楽に飢えてしまっているのだろう。


 どうやったら彼女を元気にする事が出来るだろうか。


 私は彼女にいつまでも落ち込んでいて欲しくないのである。


 ピアノの音はしばらく、辛く、痛いモノしか聴いていない。


 私はそこまで考えてハッとした。私は今まで気持ちが伝わるような事をずっと聴いていた。


 鍵盤を見つめて動けないでいる彼女を見つめた後にピアノを見る。


 これから見せるのは猫の演奏である。私の演奏が今から始まる。


 私は高く前足をあげると後ろ足でイスを蹴り、白い歯のような鍵盤に前足を降ろす。その後に後ろ足で鍵盤を蹴り、前屋根へと飛び移る。


 ギャン!ギャーン!


 踏まれた猫のような音がピアノから飛び跳ねる。


 振り向けば、目を丸くしてパチクリと瞬きをする彼女が私を見ていた。


 私は自慢げに彼女を見ると、さらに瞬きを2回する。


 どうであるか? 猫踏んじゃったから猫が踏み返しちゃったのだ。積年の恨みはピアノに八つ当たりでチャラにしたのだ。いつも猫を踏んじゃいやがって。


 私は再び、鍵盤に飛び乗り、身体が重力に逆らう事なくイスへと、さらに飛び移った。


 ギャッギャーン!


 またもや、痛がる音がピアノから飛び跳ねて、駅舎から叫び声として出て行く。


 あれ? 痛そうってことは彼女と同じようにピアノを弾いているのか? ピアノは優しく、赤ちゃんの頭を撫でるようにとお母さんから聞いた事がある。

 いや待て、うちのお母さんは子育てで忙しくて、ピアノを教えてくれなかった。いつも暖かいアスファルトの上で寝てた。……いろいろと嘘ついたのである。


 ともかく、私はイスに座り直すと彼女に身体を向けた。


「わっははは!」


 彼女の豪快な笑い声な待合室に響く。


 私の演奏で彼女は元気になったようだ。


「そっか! 今日は君が弾くんだね。そもそも、君も演奏家であったのか!」


 そうである。私も演奏家なのである。君のように、人を笑顔にする演奏だ。


「にゃーん」


「ふふ、なにその表情。ドヤ顔ね」


 ドヤ顔なのである。どうであるか? 元気は出たのであるか?


 そんなことは訊くまでもないのである。

彼女の鼻歌交じりの楽しそうな笑顔が、元気がないようには思えないのだ。


「君が演奏家なら、私も演奏家だ。私の演奏でも君を元気にしたいな」


 イタズラに笑う彼女は私の演奏を理解する。


 ピアノが彼女を元気付けたいと伝えてくれたのだ。


「私も演奏家だからな。負けられない」


 そうか。私も彼女も演奏家。だから、ピアノを通じて会話できたのであったか。


 なんて、私が演奏家だったのは今日だけであるのは秘密なのだ。絶対にバレない秘密なのだ。


 彼女はピアノを弾き始める。


 その音は懐かしく、彼女の弟が弾いていたのを思い出す。あの時はたどたどしい演奏であったが、今日の演奏はしっかりとした音色を響かせていた。


 ああ、今日も猫は踏まれるのだ。


 ここはピアノのある駅。私はここの住人。

私はこれからもこのイスの上でピアノの音色を聴くのであった。

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