第8話 記憶の邂逅①



 悲鳴が聞こえる。


 駅までの栄える大通りには似合わない悲惨な大声。むごたらしい衝突音。辛苦に満ちた号泣。


 何が起きたのか私にはわからない。声のする方向に目を向けようと振り返った瞬間だった。私の耳元で大きな衝突音がした。


 何が起きたのか私にはわからなかった。気がつけば目の前は真っ青な空が広がっていた。


 あー、今日の空はこんなにも綺麗であったか。


 そんなどうでもいい事を思ってしまう。それほどに朧げで綺麗な空であった。


 止まない悲鳴が耳につんざく。泣き声と人の尋常でない喧騒が止まない。


「大丈夫ですか!? 聞こえますか!?」


 ぼーっと空を見上げていると視界の端っこに黒い人影が見える。誰だろうと注力していたが、誰だかわからない。だから、声から誰かを察していく。


 あぁ、この声はハルコさんか。なんでこんなところにハルコさんがいるのだろう。


 ぼやける人影が誰かに話しかけるように叫ぶ。なんと言っているのか聞き取り忘れてしまった。


「救急車は呼んだ」


「救急車が来るまで身体を下手に動かしちゃダメだ」


「声をかけ続けよう」


 どこからか声が聞こえる。やたら声が近く感じるが、どこにいるんだろう。


「は、はい! 大丈夫ですか!? 聞こえますか!?」


 ハルコさんが私には話しかける。もちろん、彼女の声は聞こえている。

私が身体を起こさないのは、この体勢が心地よいからである。


 あれ? いつの間に寝っ転がったっけ? まあいいか。


 私はハルコさんの頬に手を当てて大丈夫であると伝えようとする。

しかし、私は腕が動かしている感覚がない。それに視界に私の腕が見えない。

そうならば、言葉で伝えようとする。今、声出すのは辛かったが、仕方がない。


「---」


 私は言葉を出したのか自分の声が聞こえなかった。しかし、視界の彼女は聞こえたのか私の顔を見る。


「聞こえてますか!? 何か見えてますか!?」


 彼女に聞こえていたことに安心した。私を呼びかける声がどういう意味があるのかわからないが、とにかく安心した。


 あれ? そういえば、ハルコさんと目を合わせているのだろうか。ハルコさんの顔が見えない。

そういえば、今日は暑かっただろうか。風を感じない。それに身体も感触がない。


 あぁ、俺は目を開けられてないのか。それに頭が痛い。眠気も襲って来ている。


 このまま、眠ってしまおう。


 心地の良い微睡みに吸い込まれるように意識を手放した。


 これが私の死に際であった。


 目を覚ましてみれば、猫であった。


 猫であることに違和感がなく、記憶も初めはなかった。徐々に思い出していき、記憶が全て戻ったのもこの間であった。


 私はピアノの音を聴くたびに記憶が少しずつ戻っていったのだ。


 懐かしく、胸が高鳴るように、何かが胸に突っかかるように、ピアノの音を聴くたびに苦しくなっていた。


 苦しいのに懐かしくって思い出すのをやめられなかった。


 なんでこんなに懐かしいんだ。なんでこんなに苦しいんだ。


 思い出せば楽しかった事も苦しかった事も全部思い出して、懐かしくって仕方がないのだ。


 思い出したくなくても思い出して、それが全て懐かしくって良い思い出なのだ。


 ピアノの音を聴くたびにそんな事しか考えてしかなかった。懐かしくって、懐かしくって、仕方がない。


 全部、思い出したい。


 そう思ったんだ。


 私は全部思い出して、人として在りたかった。


 人で在って、ハルコさんの夫で在りたい。ハルコさんの夫で在って、ナツキとアキトの父親で在りたい。近所に住むお義父さんとお義母さんと一緒に子供達の成長を見守って在りたい。そう思っていた。


 でも、私は猫である。この駅に暮らす住人であったのだ。


 猫は人の言葉を話す事は出来ない。気持ちは伝わらない。

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