第4話
私は猫。この優しい時間の流れる駅に暮らす住人である。
最近、外はずっと雨ばかりなのだ。だから、一匹駅舎の中でひたすらに雨が止むのを待っている。
駅の外屋根の下で、上から落ちてくる雫をじっと見つめる。
先日に作業服を着たオッチャンが雨を見ながら、このまま涼しくなっていけばなあ、と呟いていた。
私もオッチャンと同じく涼しくなってほしいと思っていた。
「まもなく、西唐津行きの電車が参ります。ご乗車の方はホームへお並びください」
のんびりと雨音に耳を傾けていると駅舎の中から駅員の大声が聞こえる。
ここの駅はいつもこうやって乗客に声をかけている。
4つほど離れた駅では機械的な場内アナウンスがされているのに、ここはどこかノスタルジックだ。
古い駅舎の中に戻り、待合室のイスに飛び乗る。
今日はピアノのイスには座ってあげないのだ。
理由はこの濡れた脚で昇ってしまうとイスの上が泥だらけになってしまうのだ。
それだけはお気に入りのイスにしたくはない。
今日も気がなく、大口を開けて欠伸をする。
前脚に頭を乗せて、これから来る電車を待つのだ。
この時間だと1時間に2本の電車が左右からやって来る。
細かいことは覚えていないのだが、そろそろ学生服を着た人たちが帰ってくる頃である。
外屋根からイスに移ったのは彼らの通りの邪魔にならないようにと、彼らに触られないようにするためである。
遠くで車輪の音が聞こえる。地鳴りを轟かせ、ガスが抜けるような音と共にガタゴトと何かが開く。
ざわざわと人の話し声が聞こえて、待合室を通り過ぎて人波が去っていく。
たまに待合室で迎えを待つ人間といるが、今日はどうやらいないようだ。
再び、くわっと大きな欠伸をすると私の目の前に黒い誰かが立つ。
「猫。猫か」
黒いズボンに襟の詰まった学ラン。
男子高校生が迎えを待つように、ここへとやってきたようだ。
猫である。何かようなのか、男子高校生。
私は頭をあげて彼を見つめる。
彼は私と目が合うと左手を伸ばして、私の頭を静かに触る。
「猫。今日も学校疲れたよ」
気のない彼の声が誰もいない駅舎の中にこだまする。
そうであったか。疲れたのであったか。私を撫でて癒されるといい。
私はこの間、身につけたハッピースマイルを見せる。
「何それ。笑ってるの?」
彼は鼻で笑う。
どうやら私の笑顔に彼は癒されているようだ。
「猫。少しだけ話を聞いてくれ」
男子高校生は撫でていた手を離すと私の隣に腰をかけた。
私は仕方がない、と身体を起こし、彼の方に向いて座る。
雨はまだザーザーと降っており、駅員は駅舎の事務室で明かりをつけて新聞を読んでいる。
明かりのついていない待合室で彼はどこか一点を見つめていた。
「俺、今日の学校で父親がいないことを話したんだ」
私は男子高校生が何か遠くを見ているのだと感じながら、彼の視線の先に目をやった。
「聞かれなきゃ話す必要ない話だし、今まで聞かれたことがなかったんだ。でも、今日はたまたま運がなかった」
男子高校生は肺に溜まった息と共に溜まっていたものを吐き出す。
どこか憂鬱そうに、活気のない口調で言葉を続ける。
「たまたま父親のことを聞かれて、死んだから知らないと言ったら謝られた。これって謝られることなのか?」
男子高校生は猫を見る。どこか困惑した様子で私を見る。
「俺が生まれて3年後に父親は死んだ。転勤してた父親との記憶なんて俺にはほとんどない」
私は困惑した彼の視線からどうしたら良いかわからなくなってしまう。
今すぐにでも目をそらしてしまいたい。猫だから許されるだろうか。
でも、ここで目をそらしてはいけないと、私の中の猫心が訴えてくる。
「父親がいないなんて、俺には当たり前で。父親を知らないだけで、他と違うように見られるのが気持ち悪くて。それでもって謝られたら、逆に俺がそいつに悪いことをしたように感じたんだ」
かける言葉がない。猫は喋れないが、彼は迷っている。
そして、私もかけるべき言葉を迷っている。
私には両親との記憶がある。私は父親も母親も顔は知っている。
父は自由な猫でふらふらとしていたから、私は母にべったりだった。
迷子にならないようにと必死にくっついていた。
父はたまにやってくると、私に美味しいお土産をくれた。
だから、父親との思い出なんてほとんどなく、お土産をくれる印象しかなかった。
「父親がいないだけで、他と違うって見られるんだなって実感した。いや、実際に他とは違う」
男子高校生の悲哀の表情に私は顔を下げた。
たしかに片親の子であると他の人とは違うと見られる。
それは、どこかおかしな理屈で、正さなければならないけれど、どうしても難しいこと。
人は猫と違って、お母さんとお父さん、それからもっとたくさんの人に喜ばれて生まれてくる。
君はお母さんとお父さんに喜ばれて生まれてきた。それだけは他の人と何も変わらないのに。
私は気がつけば歩きだし、彼に頭をぶつけた。
そのまま、ぐりぐりと押し付けると彼の温かな手のひらが頭に乗る。
そんなに悲しい顔をしてほしくはないのだ。
「俺は他とは違うんだ」
落ち着いた、低い声で彼は震えながらごちる。
私の気持ちは通じない。私の言葉は届かない。
「まもなく、佐賀行きの電車が参ります。ご乗車の方はホームへお並びください」
次の電車が駅にやってくる。
彼はその駅員の声を聞くと、カバンを肩にかけ直して駅舎から出て行った。
今日はピアノの音は聴こえなかった。
ここはピアノのある駅。私はここの住人。
今日は誰もいなくなった駅舎で、ここからでは見えない天を仰いだ。
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