第12話 ナンテン姫

「我が姫は黄金の国ジパングの貴人。しかし、貴国の方々にはその真偽を判断する材料がなく、ただ得体の知れぬ異邦人と映るでしょう。その立場こそが姫の強みとなります」


 シラユキは、悪戯を企む子供のような微笑みを浮かべる。


「まともに取り合うのもはばかられ、さりとて出所が真であった場合、先々の国交の益を考えると無下に扱うこともできない。どの陣営もが扱いあぐねる立場にある我らが姫なれば、何に縛られることなく自由な立ち回りができましょう。姫が動き、卿が望まれる道をひらいて御覧に入れます」


 己のあるじを微塵も疑わぬ娘の言葉に、男は一筋の光を見出す。


「うむ、まさにそれこそが我が望み。少しの隙でよい、それを作ってもらいたいのだ。貴台らはこの国の政治を正道に戻し、弟王の命を救う流れを作ってもらいたい」


 ゆっくりと頷くシラユキの額に釵子さいしが煌めく。


「して、そちらのプリンセサのお名前はなんとおっしゃったか」

 ペドロは、少しの間の後、会話を他国の言葉からカスティーリャの言葉に戻すと、この聡明な娘が主と仰ぐ存在について説明するよう促した。


 これは我が姫の名を宣布する機会、シラユキはその意図を違わず捉えると、同じくカスティーリャの言葉で返す。


「太田の初姫、城下の者達にはナンテン姫と呼ばれ親しまれております」


「プリンセサ・ナンテン…… 」

 ペドロが呟くように繰り返す。


「その呼び名には”難を転じて福と成す”、窮地を好機に転ずるという意味が込められています」


「窮地を好機に、逆転のナンテン姫か、是非ともお目にかかりたいものだ」


 シラユキは姿勢を正すと、すっと息を吸い、透き通るような声で告げる。まるでそこにいる何者かに申し伝えるかのように。


「我があるじナンテン姫は、黄金の国ジパングにてイニシエより語り継がれる鬼退治の英雄の末裔。一口イモアライ坂稲荷様の加護を受け、死地より三度蘇った怪物。何人たりともその行く道を阻むことはできぬでしょう」



◇◇◇



「「くしゅん」」


 アビラの宿屋にて、たすき姿で薬研やげんを転がし、何やら薬を調合していた少女は、突然手を止めると小さくくしゃみをした。


「姫、もう一重羽織りますか? 外に比べると部屋の中は随分と涼しいですからな」


「「大丈夫じゃ。おおかた誰かが我の噂をしておるのであろう」」


「また白雪祈めが、姫のことを好き放題に喧伝しているのかもしれませぬな」


「「あれか……あれは勘弁よ、誰の話じゃと聞いておれば我のことであったと言うことがよくある」」


「まあ、真実なのでよいのでは」


「「ふむ……確かに嘘はついておらぬが、人を怪物呼ばわりはいかん」」


「確かに。人を怪物呼ばわりは感心しませんが……」


 少女の眼が細められるのを見た黒丸は、続けようとしていた言葉をのみ込んだ。


 すると、どこからともなく白雪祈の声が響く。

 その声はどこか楽しげであった。

「怪物を怪物呼ばわりして何が悪うございましょうか」


「「黒丸、いいかげんにせよ」」

 少女は溜息交じりに言った。


「ところで姫、薬の方は用意できましたか」

 すかさず話を変える黒丸。


「「……うむ、出来た。後は量の調整だが……」」


よわいは十四、体重は十六貫(約六十キログラム)」


「「であれば、この程度か」」


 少女は、木の匙で薬研から茶色い粉を掬い出すと、天秤の皿に敷いた赤い和紙の上に乗せる。目から下を布で覆っているため表情はよく分からないが、その眼差しは真剣そのものである。


「いつになく慎重ですな」

 興味深そうにその様子を見ている黒丸が尋ねる。


「「この薬……いや、毒というべきか、これはとにかく匙加減が難しい。半匙少なければ全く効かず、半匙多ければ命を落とす」」


 少女は、量を調整した薬を慎重に天秤から下すと、器用に薬包を折り上げていく。


「それを飲むとどうなるのですかな?」


「「まず、呼吸が止まる」」


「……なるほど」


「「次に、心の臓が止まる」」


「……ほぅ」


「「そして、瞳孔が開く」」


「……それはもう死んでおりますな」


「「うむ、そこでこれじゃ」」


姫は袂から青い薬包を取り出して黒丸に見せる。


「「呼吸が止まってから半刻はんときの内にこれを飲ませれば息を吹き返す。それより遅れたならば……本物の仏さまになれる」」


「……笑えませぬ」


「「まぁ黒丸は分かっておろうが、倒れている間も本当に死んでいるわけではない、仮死状態というやつじゃ。ほんの微かだが息もしておるし血も巡ってはいる。ただ、脈も取れぬほどであるがな」」


 黒丸はその話を聞きながら、少女の医術に関わる知識と技術にあらためて感心していた。


 毒などという物騒なものは、裏側の世界のものである。

 その世界の住人である黒丸は、当然その道に通じているのだが、その専門家の目からしても姫の創り出す毒は、その効用の幅広さと確かさにおいて、従来の物とは一線を画す。


 そして何よりもの違いは、姫の創り出す毒は、常に解毒の手段も用意されているということだ。


 何事でもそうだが、壊すのは容易い。

 毒を用いて体の組織を崩し、血の巡りを滞らせ、呼吸を止める。

 それらの方法は数多あり、数え上げればきりがない。

 人を殺めたいのであれば、ただ毒を盛り、そのまま放っておけばよい。

 誰にでもできる。


 しかし、毒によって一度壊された身体を、元の状態に戻すことがどれほど困難なことか……


 それを知る者の目には、今、目の前の少女がことも無げに行なっていることは、まさに神の御業として映るであろう。


「効果を見てみたいですな、とりあえず赤彦で試して見ますか」

 黒丸は、陰のある話で少し重くなった空気を振り払うように冗談めかして言う。


「あやつには効かん……」

 姫は顔を覆っていた布を解き、ぽつりと返す。


「……まさか、もう試されたので?」

 

「「人聞きの悪いことを言うでない、あやつが勝手に食べたのだ。国を発つ前のことじゃ、効き目を比べるために用意しておいた五種類の毒団子を全部食らいよった」」


「五つ全部……ですか」


「「あれだけの毒を食らえば、たとえアユタヤの象でもただではすまぬであろう……直ぐに解毒と排出を、と焦ったが、ぴんぴんしておった。毒が効かぬ体質らしい。怪物とはあのような者のことを言うのじゃ」」


「まったく感心しますな、赤彦の怪物ぶりには、はは……」

 黒丸があきれた様子で虚ろに笑う。


「ところで姫、そろそろ騎士殿が目を覚ます頃ですかな?」


「「うむ、そろそろじゃ。宿屋の者に言って町の守備隊を呼んでこさせるとしよう」」


 机の上に広げられた調薬の道具一式を小さな行李こうりに順序良く仕舞い込むと、姫は窓の外を見やる。そろそろ夕刻だと言うのに、まだ日は高い。


「「日が長いのは助かる。捕り物は明るいうちにやらねば厄介だからな」」


「全くです。暗くなると相手に有利……と、姫? その腰の刀は何ですかな? いつの間にそんな物を……わかっておいででしょうが、絶対に手出しはされぬように。絶対ですぞ」


 ナンテン姫は、しぶしぶ腰から刀を外すと、それを黒丸に渡した。

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