第11話 外交

「我が姫には利するところがございます」

シラユキはそう言った。


 利するところ、即ち強み……それよ、それこそがこの者たちを招き入れた理由なのだ。とペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサは思う。


 まあ、最初はほんの興味本位だったのだが……


 ペドロはシラユキが現れた日のことを思い起こしていた。

 思いもしなかった希望の光が射したあの日のことを。


 つい一週間ほど前のこと、何の先触れもなく、見も知らぬ異国の者から面会の申し入れがあった。なんでも自国の姫の遊学先にこの国を選んだとのことで、滞在の際の後見人になってくれと言ってきたのだ。


 なぜこの国なのか?

 なぜ王都ではなくシグエンサの教会に現れたのか?

 疑問は尽きなかったが、ペドロはとりあえずその使者とやらに会ってみることにした。



◇◇◇



「このたびは謁見の機会を頂き誠にありがとうございます」


 ペドロが来客用の部屋に入ると、見慣れない衣装に身を包んだ娘が、ゆっくり、深々と頭を下げる。


 そのたおやかな動きは、仄かに異国のこうが漂う空気を乱すこと無く、ただ、ひたいを飾る金細工を僅かに揺れ動かしただけだった。


 彼の国の礼儀作法なのであろう、その単純ではあるが洗練された所作からは、相手に対する敬意と同時に、侵しがたい尊厳が伝わって来る。


(なんと……)

 ペドロは息をのむ。

 見慣れた部屋にいるはずが、まるで異国に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。


 あらためて、訪問者を観察する。

 肌を晒すことのない純白の装いと、凜とした清楚な佇まいから、ペドロは、この娘が自分と同じ神職であると判じた。


 ペドロは常々、この世の中の全てのものにメッセージが込められていると考えている。それに気が付くか否かによって、人の行動、ひいては生き方までもが左右されると。


 ペドロは、この娘の一見なんでもない立ち居振る舞いの中に込められたメッセージを見て取った。


 互いの考えを伝え合う手段としては言葉というものがある。巧みに使えば想いまでをも交換することが出来る人間の知恵であり、言葉を使うことで、ある程度の関係であれば相手を選ぶことなく築くことが出来る。


 しかし、目の前の異国の娘は、その装いと香り、そしてただこうべを垂れるという所作にだけで、言葉では語りえない自国の威厳をペドロに伝えてきたのだ。


 このメッセージに気が付かない者にとっては、ただの異国の使者が挨拶で頭を下げた、としか映らないであろう。しかし、ペドロにとっては、異国の王からの書簡と同様の意味を持っていた。


 それは、「受け手の見識を試す」という、対等、またはそれ以上の立ち位置からの行いでもあった。


(相手を選びはするが、外交の初手としてはいい線をいっておる)

 ペドロは感心した。


 その娘は垂れていた頭を上げると、ペドロの大きな瞳を覗き込み、そして微笑んだ。


「お会いできて光栄です、ペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサ卿。東の果ての島国、その中の一国、ムサシの国から参ったシラユキと申します」


(若い、この年で外交を任されているのか……しかし、堂々としたものだ、どこで学んだのかカスティーリャの言葉も流暢だ)


 ペドロは、目の前の娘の評価をさらに上げながら、あらためてシラユキの様子を観察する。


「よくいらっしゃった、シラユキ殿。ペドロ・ゴンザレス、このシグエンサで司教をしています。まあ、お掛け下さい」


 ペドロは椅子に掛けるよう手で促し、その時初めてシラユキの後ろに控える男の姿に目が向いた。


 従者であろうか、小柄だが丸々と肥えた男が細長い包みを胸の前で抱え、笑顔で立っている。


 服装はこざっぱりとはしているが、目にも鮮やかな黄色に染め上げられており、こちらは神職という感じでは無いなと、ペドロは考える。

 柔らかくふくよかな手にはペンが似合う、文官か……商人の雰囲気もある。


「そちらの方も、どうぞお掛けになって」


 その男の腰に下げられた大きな紙の束に目をやりながら、ペドロは椅子を勧めた。


「申し遅れました、こちらはキノスケ、我らが一行の者です。言葉はわかるのですが、声が出せぬため口頭でのご挨拶はできません。ご容赦のほどを」


 シラユキの紹介を受けたキノスケは、太陽のような笑顔でペドロに向かってぺこりと頭を下げる。そして、抱えていた包みを大切そうにシラユキに手渡すと、腰の紙束を手に取り、ぺらりと捲ってペドロに見せた。


 そこにはカスティーリャの言葉で「お会いできて光栄です」と書かれていた。そして、次に「私はキノスケです。お見知りおきを」と書かれた紙を見せると、満面の笑みでキノスケという文字と自分の顔を交互に指さしている。


「キノスケ殿、ようこそおいでくださった、こちらこそお会いできて嬉しいですぞ」

 キノスケのなんとも人懐っこい笑顔につられてペドロも微笑む。


 すると、キノスケは笑顔のまま紙束を胸に抱え上げると、その裏表紙をペドロに向けた。そこにはこう書かれていた。


“お客様がお望みならどこでも駆けつけます。よろず流通販売、黄金こがね屋”


(こやつ、商人であったか。それにしてもこのような外交の場で宣伝を打つとは……とんでもない奴、思わず覚えてしまったわ、黄金屋……)


 キノスケのあまりに場違いな振る舞いに、開いた口が塞がらないペドロであったが、不思議なことに怒りの感情はなく、只々呆れと笑いが込み上げてくるばかりであった。

 そして、どこでもこの調子で商売をしているのかと思うと、どんな無理難題を吹っ掛けても何とかしてしまいそうな期待感が湧いてくる。


(シラユキにキノスケ、何とも不思議な魅力を持った者たちだ)


「こほん……メンドーサ卿、まずはお近づきの印に、我が国よりの手土産をお納め下さい」


 軽い咳払いでペドロとキノスケのやり取りに段落を付けると、シラユキは細長い包みを恭しくテーブルの上に置いてペドロに差し出す。


「いやいや、困った人を助けるのも教会の仕事、気を遣わずに、気を遣わずに。それより、貴国の話を聞かせて貰えませんかな」


 キノスケの宣伝の呪縛からようやく抜け出したペドロは、鷹揚に手を振りながら答えると、椅子に腰かけた。


 その言葉に笑顔を向けながら席に着いたシラユキは、テーブルに置かれた包みを、細くしなやかな指で優雅に解きはじめる。


「メンドーサ卿、我らは協力を問いに来たのであって、救いを乞いに参ったわけではございません」


 艶やかな絹布の上に、長さ一尺三寸(約四十センチ)ほどの細長い白木の箱が現れる。

 シラユキが箱の蓋をゆっくりと持ち上げると、そこにはペドロが見たことも無いような、精緻な細工が施されたが納められていた。


「私共はこの国のことを学びたく、そして卿には我らが国のことを知って頂きたいと考えております。これはただの土産ではありません、我が国に住まう者のが形を成した物です。是非お納め下さい」


 とはまた大げさな物言いだと、ペドロはシラユキの口上に誇大な印象を持ったが、はったりや虚勢も小国ならではの生き抜く知恵なのであろうと考えることにした。もちろんそんなことはおくびにも出さない。


「ほぅ、これは見事な……手にとっても?」


「是非、手に取ってご覧下さい」


 ペドロは僧服の袂より白い布を取り出し、その棒状の物を優しく包むと、少しだけ持ち上げ、前かがみに顔を寄せる。


 見も知らぬ小国からの手土産を、それがまるで宝石ででもあるかのように大切に扱うペドロの姿にシラユキは目を細める。


 カスティーリャ程の大国になると、有力な人物はそこそこ存在する。その中からペドロを身元証明人に選んだ理由の一つはここにあった。


 ペドロには偏見がないのである。

 広く深い知識により醸成された、公平な価値観を持つ彼は、事実を偏りのない目で見ることを自分自身に強いている。この男には自国のあるがままの姿を伝えるだけでよい、とシラユキは考えた。

 シラユキは母国に揺るぎのない自信を持つているのだ。 


 その棒は思っていたよりも重く、手になじむ形をしていた。全体が艶のある黒漆で塗られており、ペドロは、映り込んだ自分の顔が少し驚いたような表情をしていることに気付き、素顔に戻す。


 その艶やかな黒を背景に、様々な草花が咲き乱れる様子が、金の蒔絵で繊細に描かれている。彼の国の豊かな自然と穏やかな気候が伺い知れる意匠だ。


 ペドロは暫くの間、その繊細でありつつも生命力に溢れた絵柄を堪能すると、今度は反対の面を確かめようと手の中の棒を裏返した。

 そして、思わず息を呑む。


 そこには、七色に輝く螺鈿らでんで、禍々しい異形のものの姿が刻み込まれていた。長く伸びた爪と下あごから上に向かって突き出た鋭い牙、そして頭には二本の角が生えている。これは彼の国の悪魔に違いない。


 その悪魔の顔をまじまじと見ていたペドロは、首の辺りに一筋、目を凝らさなければ気付かないほどの細い線が入っているのを見つけた。


 これはもしやと思い、少し力を込めてその線を中心に棒を両側に引っ張ると、鬼の首と胴体とが離れ、その間から鉄肌が覗く。


 やはりそうかと、ペドロはそのまま鞘を払い、刀身を目の前に翳した。

 それは短刀であった。


 刃渡りは僅か一尺に満たない、ただ、その鏡のように磨き上げられた刀身と、刀紋が美しく波打つ研ぎ澄まされた刃先を目にしたペドロは、それだけで、その国が歩んで来た険しい道のりと、その道程で培った高度な物作りの技術、そして洗練された美意識を見て取った。


「国に住まう者たちの……」


 確かにその通りなのかもしれない。ペドロはもう、シラユキの言葉に誇大な印象を受けることはなかった。


 刀は人の命を奪う戦いの道具だ。

 しかし、同時に鉄の加工技術を誇示する工芸品であり、その国の文化を示す美術品でもある。そして、こしらえの表に描かれた豊かな自然と、裏に埋め込まれた悪魔の姿。


(味方に付けば益多く、敵対すれば危機を及ぼすと言うことか)

 ペドロは、手土産に込められたメッセージをこのように読み取った。


「貴国は東の果てにある島国と仰っていたが、もしや……」


「はい、古くよりジパングと言う名で知られております。私共は日本と称しておりますが……その地より参りました」


 この時すでにペドロはこの娘の術中にはまっていた。

 その心には、最早この申し入れを断るという気持ちは微塵もなかった。


 遥々東の果てから来たというその娘は、ペドロが断れるはずもない手土産、黄金の国「ジパング」という夢を携えて来たのだから。


 そして、このシラユキという娘と言葉を交わすうちに、こう思えてきたのだ。この者達はカスティーリャの行き詰った現状を打開するカギになると。


ペドロはこの極東から来た異邦人が、この国において自由に動けるよう、後見人を引き受けることにした。



◇◇◇



「メンドーサ卿……ペドロ様、どうなさいました」


 シラユキの声に引き戻されたメンドーサは、良い夢見の後のように穏やかな表情をしている。


「これは失礼。いや、少し考え事をな……ところで、シラユキ殿、貴方の姫が持つ強みについて聞かせてもらえるかな」

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