第10話 獅子身中の虫

「ひと月ほど前のことだ、トレード市より弟王のもとに使者が来た」

 シラユキは軽く頷くと、ペドロを見つめ、話の先を眼で促す。


「弟王、アルフォンソはその使者が携えたトレード市からの陳情を蹴ったのだ」

「と言いますと?」


「トレード市の自治体は、商売で幅を利かせているユダヤ商人を市場から占め出そうと常々考えていてな、この機に乗じてユダヤ人排斥に乗り出した。つまり、弟王に協力する代わりに、街からユダヤ教徒を締め出すよう弟王に交換条件を持ちかけたのだ。しかし……」


「弟王はその要求をのまなかったと」


「うむ。単純に損得勘定をすれば利のある交換条件なのだが、アルフォンソには全く筋違いの話に思えたのだろう。今回の争いとは関係のないユダヤ商人への迫害を許すことはできなかったのだ。怒りをもって使者を追い返したと聞いている。その結果、トレード市の自治体はアルフォンソ王に反旗を翻し、エンリケ四世の側に付いた。それを叩くための遠征と言うわけだ」


「なるほど……弟王は確かに真っ直ぐな方のようですね。しかし、側近の中にはトレードと通じる者、ユダヤ教徒排斥に賛同する者がいたと」


「その通り。そやつらからしてみれば担いでいた神輿が突然反対の方向に進み出したようなものだ。さぞかし慌てたことだろう」


「それで神輿が邪魔になったということですね、しかし、神輿がなければ彼らは単なる反逆者、大義名分を失いますが……」


「もう答えは分かっておるのだろ? この先どう転ぶかシラユキ殿の考えを聞かせてくれんか」


 シラユキは微笑みながら応じる。

「答えは最初に卿が仰っていましたわ」


「さて、何と言ったかの…… 」

 ペドロはとぼけるように顎をさすりながら答えを待つ。


「そちらのプリンセサは二幕から登場と」


「ははっ、そこから分かっておったのか。では答え合わせといこう、続きを聞かせて貰おうか」

 ペドロは一つ膝を打つと話の続きを促す。


「神輿は下ろせない、であれば挿げ替える他はない。挿げ替えるならば正当な王位継承権を持つ御方、すなわちイザベル王女殿下」


「ほう……」

 ペドロは感心したように嘆息する。そして、思わず息をのんだ。


 シラユキは背筋を伸ばして真っ直ぐにペドロを見つめている。その姿になんら変化は見られない。しかし、ペドロはシラユキの纏う空気が変わったのを感じていた。


 シラユキの声が低く静かに響く。

「卿は弟王を見殺しにされるおつもりか」


 その言葉はまるで冷気を帯びているかのようだった。

 しかしペドロは、その重々しく冷めた言葉を軽くいなすと、飄々と返す。


「私は下手に動けぬ身の上でな、シラユキ殿であれば気付いておるだろう、私が貴台らを客人として迎え入れた理由に――それはそうと、人を試しているのはそちらの方ではないかな、ん?」


 シラユキはそれを聞くと両手を膝の上に揃えて頭を垂れた。

「誠に失礼いたしました、平にご容赦を。我が姫は罪なき者が命を奪われるようなことを決して許しません。もし卿がそのようなことを是とされる御仁であったならば姫の協力はかなわないでしょう。そのため、ことが動き出す前に卿の真意を確かめさせていただきたかったのです」


「我がメンドーサの一族は、兄王エンリケ四世が正当な王であるという立場にある。私もその一員であるのだが、だからと言って弟王に非があるとも考えてはいない。王の威光を道具としか考えぬ者共に担ぎ上げられているだけなのだ。その命が奸物共の都合で断たれるのは勘弁ならん。アルフォンソは近年稀にみる王の器だ、大切に育てれば良き王になるであろうものを、それをあやつらは……」

 その言葉からは今までの飄々とした軽さは抜け、重い怒りの念が込められている。


 メンドーサ卿は大きく一つ呼吸をすると、穏やかに言葉を続けた。

「しかし、弟王はその正しさ故に敵を作りすぎた。私もできる限りの手を尽くしてはいるが、このままでは遅かれ早かれ命を落とすであろう。それはなんとしてでも防がねばならん。いまは王位のことは忘れて、とにかく穏便に舞台より退場いただくのが先決ということだ。そして……」


 シラユキは頷き、言葉を待つ。


「イザベル王女を神輿ではなく、正当な王位継承者として次幕より登場させたいのだ。それが私の想いだ。力を貸してくれるか」


「卿のお考え、しかと心得ました。違えることなく我が姫に伝えましょう」


 シラユキはそう答えると、水干の懐から小さく折り畳まれた紙を取り出し、机の上に置いた。


「では我が姫が動くに当たり、まずは獅子身中の虫を明らかにいたしたく。とはいえ、この場で首謀者の名前を口に出すわけにもいきませんので、正誤のみをお示し下さいますか」


 ペドロは訝しげに紙を覗き込むと、その大きな眼をさらに見開く。

 そこには「Juan Pacheco(ファン・パチェコ)」という名前が書かれていた。


(この国に入ってまだ三週間程度だと言っておった。この短期間でここまで調べ上げるとは、よほど優れた手の者を連れておるに違いない……)


 ペドロはすぐにその紙を裏向けると、蝋燭の上にかざして用心深く全体に火を回す。卿の大きな瞳に映り込んだ炎が静かに揺らぎ、徐々に小さくなる。

 暫くして紙が残らず灰になったのを確かめると、顔を上げてゆっくりと頷いた。


「シラユキ殿、正解だ。だがこの男は手強いぞ」


「卿ほどの御方が表立って動けないということから相当の実力者と理解しております。しかし、我が姫には利するところがあります」


 そう答えるシラユキの声は自信に満ちていた。

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