第9話 探り合い

「この国で使われる毒について教えていただけますか」


 ペドロはシラユキの問いに頷くと、あらかじめ話の流れが分かっていたかのように、またもや懐から折りたたまれた紙を取り出し、広げて見せた。


「薬学は専門外でな、余り詳しくはないが、この辺りではカンタ……いや、危ない危ない、名前は言えんが、これがよく使われる。無味無臭で気付かれにくく、処方により速攻毒にも遅効毒にもなる。症状は、腹痛、嘔吐、発熱、そして死に到る…… ここに詳しいことは書いておいた、持って行くがよい」


「ありがとうございます」

 シラユキは微笑みながら紙を受け取る。


「なにやら楽しそうに見えるが」


「はい、楽しゅうございますとも。卿とお話をしていると我が師匠といるようで」


「ほほぅ、シラユキ殿の師匠とな、私に似ておるのか?」


「はい、特に話の導き方などそっくりでございます。して、これが噂に聞く、の一族の毒ですか……」

 女は薄らと笑みを浮かべ紙に目を通す。


「ほう、彼の一族を知っておるか。その通り、この場で名前を口にすることはできぬが、例の者達が使うとされている毒だ。あくまで噂ということになってはいるがな……まさかとは思うが、この毒を防ぐことができる、のか?」


「いいえ、私の手には余ります。しかし、我が姫であれば……」


「なんと、そちらの姫君は毒の知識をお持ちか?」


「はい、我が姫は、幼少のころから国手と謳われる名医に師事し、医学を修めておりますゆえに、毒にも通じております」


 シラユキは、しばらく口元に扇を当てて何かを考え、そして答えた。

「……とは言え、やはり毒を盛られる前に防ぐのが確実かと」


「そうか……そうであろうな、となると対応は難しい。毒などいつでも何処でも簡単に盛れるからの、ましてや毒味役もいない状態では」

 ペドロはそう言うとちらりとシラユキの様子を伺う。


 シラユキの表情が少し陰ったかのように見えた。が、それは燭の揺らめきのせいかもしれない。


 女は真っ直ぐに男の目を見ると、ふと思い出したかのように全く関係のない話を始めた。

「メンドーサ卿、先ほどお話しした我が師匠ですが、もちろん卿には及ばぬまでも、それでも聡明で徳のある方なのです。ただ……」


「ただ?」

 ペドロは訝しげに眉を寄せる。


「困った癖を持っておりまして、なぜかいま、それを思い出しました」


「ん、困った癖? それはどのような癖なのだ?」


「何と言いましょうか……すぐに人を試したがるのです」


「人を試す? どのように?」


 シラユキは半ば折り畳んだ扇を口元に、少し考えるような素振を見せ、そしてペドロの瞳を覗き込む。


「たとえば、あえて大切なことを伝えずに、その人間がどのように動くかを見て楽しむ……」


「――ほう、それは確かに困ったものだ……」


 初夏とはいえ、高地に位置するシグエンサの夜は、むしろ涼しいほどである。しかし、ペドロの額には薄らと汗が浮かんでいた。


「えぇ、先達てはメンドーサ卿がそんな我が師匠に似ておいでなどと申し上げてしまい大変失礼いたしました……由緒正しいカスティーリャ王国の高貴なる御仁がそのように人が悪いわけがございませんのに」


 シラユキは申し訳なさげに深々と頭を下げた。

 額の釵子さいしがきらりきらりと静かに揺れる。 


「――あぁ、自分で言うのもなんだが、私はそれほど人は悪くない……と思うぞ。安心してくれてよい。だが、ほら、そなたの師匠は軽い冗談のつもりであったのではないか?」

 ペドロは左手の指輪を撫でながら答える。


「そうであれば良いのですが、以前、人の生き死にに関わる事柄においても人を試そうとしたことが……そのような冗談などあろうはずもございません」


「なるほど、それは冗談ではすまされんな……」


 しばらくの間、無言で頭を垂れていたシラユキは、顔をすっと上げ、ペドロに微笑みかけた。


「ところでメンドーサ卿、弟王は騎士達の鉄壁の守りの中にいるはず。にもかかわらず、先程、毒などいつでも盛れる、毒見もいないとおっしゃっていましたが、それが何を意味するのかご説明いただけますでしょうか」

 シラユキは薄い微笑みを浮かべ、じっとペドロの目を見つめている。


 その問を聞くやいなやペドロは声を上げて笑い出した。

 その笑顔は心底楽しげであった。

(この僅かなやりとりで気付きおったか……それとも全てを知った上でこちらを試しているのか、いずれにしても恐ろしく切れる娘だ)


 核心を突くシラユキの問いかけに、ペドロは気をよくし、悪びれた様子もなく答える。

「身内に敵を抱えておると言うことだ」


「まぁ、驚きました。弟王の敵は兄王だけではないのですか?」

 シラユキは表情一つ変えずにペドロの目を見据えている。とても驚いている様には見えない。


「あぁ、そうだ。兄王の他にも敵がおる」


「では、その敵が弟王を狙う理由を教えていただけますか」


 ペドロは軽くため息をつく。

「担ぎきれなくなったのだ、神輿を」


「思いのほか神輿が重かったと?」


「そうだな、担ぐときにはいかにも軽く見えたものが、その実、考えていた以上に重かった、と言ったところか。シラユキ殿は弟王、アルフォンソのことをどれほど知っておるか?」


「兄王、エンリケ四世の異母弟でポルトガル王家の血を引く、若干十四の少年であるとしか」


「先王が亡くなられてから幽閉に近い形で王宮から離されておってのぉ……王家とは思えぬ清貧の中、厳格な母の教えを受けて姉のイザベル王女と二人、王侯貴族の策略や駆け引きに染まることなく真っ直ぐに育てられた。それはもう生ける正義とも言えるほどにな」


「それでは私利私欲にまみれた担ぎ手の思う方向には動きませんね」


「そのことは担ぐ側も薄々は感じていたはずなのだが、たかだか十代の少年のこと、何とでも言いくるめられると考えておったのであろう。しかし、弟王の方が上手であった」


「そのような背景がございましたか、初耳でした」


(本当に知らなかったのか、とぼけておるのか全く分からんな。この女狐めは)ペドロはそんな思いを表に出すことなく、笑いながら返す。


「疑問に思うことがあれば遠慮せずに何なりと訊いてくれて良いのだぞ」


(本当にとうの叔父様にそっくり、この古狸さん)シラユキも笑顔で返す。


「ではお言葉に甘えまして。まずは此度のトレード討伐のきっかけについてお聞かせ願えますか」

 シラユキはそう言うと、柔らかな視線をペドロに向けた。

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