第8話 二人の神職

「これで役者は揃ったか」

 男の声は軽く、穏やかに響く。


「そちらのプリンセサは、未だお姿をお見せにならないようですが」

 女は艶やかな、そしてこちらもまた穏やかな声で尋ねる。


「我が方のプリンセサは第二幕より登場、ということで」

 男が人懐っこい笑顔で返す。


 アビラから東に早馬で一日の場所に位置するシグエンサ、その街を見下ろす丘の上に教会がある。一見それらしからぬ厳めしい石造りの建物は、この国、カスティーリャの名の由来である「カスティーリョ」を多く築く必要があったこの地の戦いの歴史を体現している。


 その一室、仄かに揺らめく燭の明かりの中で、僧服を纏った男と異国の装束に身を包んだ女が小さなテーブルを挟む。


 女は白の水干に淡い朱鷺色の袴の装い。

 背に流した漆黒の髪を白い丈長と元結いで一つにまとめる姿は、極東の島国における神職の装いである。


 額を飾る釵子さいしは、控えめな意匠ではあるが混じりけのない黄金で作られており、燭の光を受けて煌めく様子は、その女が高位の神職であることを示していた。


 年の頃は十八、九と言ったところであろうか、その白く透けるような肌はまるで磁器のようで、もし触れたなら手に冷たく感じるのではないかと思わせた。それに加え、形の良い切れ長の眼と細く通った鼻筋が、より冷ややかな印象を与える。


「それにしましても、よく私共の後見人をお引き受け下さいましたね」

 そう尋ねる女の瞳の輝きは、額の金装飾の煌めきをもかすませる。


「そうさせたのはシラユキ殿、貴台ではないか。まるで娘のような歳のお前さんに操られている気がする、それも心地良くな。どうだ、息子の嫁にならないか? わたしの娘になれば大概のことは融通が利く、この国のことがよく見えるぞ」

 男は大きな頭をゆらゆらと左右に揺らしながら楽しげに答える。


 簡素な僧服に包まれた小さな身体の上で揺れる大きな頭。その少しばかり滑稽な様子に加えて、つかみ所のない飄々とした振る舞いから、初対面の者のほとんどがこの男の立場を見誤る。


 しかし、少しでも男と言葉を交わしたことがある者は、その暢気に下がった眉の下に開かれた眼が、この世の全てを見通しているのではないかと感じ、男の正体を聞いたときにも素直に納得するのであった。


 ペドロ・ゴンザレス・デ・メンドーサ。

 カスティーリャの大貴族でサンティリャーナの地を治める侯爵、メンドーサ家の血筋にある。


 家を長兄に任せて教会に入ったペドロは、持ち前の才ですぐに頭角を現し、今はこのシグエンサ教会の司教の座にある。


「お戯れを、カスティーリャ王室の覚えめでたきグランデの称号を冠するメンドーサ家への輿入れなど畏れ多く」


「いや、戯れではないぞ。それに我が家は分家筋なのでそれほど敷居は高くない。シラユキ嬢は西方の、私は東方の地縁と知識を得る。悪くない話だと思うが」


「黄金の国ジパングへの足掛かり……ですか」

 シラユキと呼ばれた女が笑顔で返す。


「ははっ、シラユキ殿には敵わんな。正直に言うとそれもある。いままで黄金の国などマルコ・ポーロの世迷い言と思っていたが、貴台と言葉を交わすうちに我が心中でジパングが見るみる形を成してきてな、いまではそこで暮らす者達の姿まで目に浮かんで来るのだ」


「まぁ、私などにジパングの姿を重ねていらっしゃると見誤りますよ。我が国は神代より続く不思議に溢れる国、神々の威光の陰で魑魅魍魎が跋扈する闇も深うございます」

 シラユキは扇で口元を隠し、眼を細める。


(いやいや、洗練された装いと所作。その裏側に潜む底知れぬ機知、この娘こそジパングを映す鏡……確かに一筋縄ではいかんわ)

 男はそんな思いを口に出すことなくただ微笑む。


 ここに異なる国の、異なる教えを守る二人の聖職者が対峙している。

 しかし、その様子は至って穏やかで、あたかもゲームに興じている親子のようにも見える。


「そうそう、山の老人の登場にも驚いたのぉ。いままでマルコ・ポーロをほら吹き呼ばわりして悪かった。さて、シラユキ嬢、奴らは次にどう動くと見る」


 シラユキはその問いかけに、微かに眉を寄せた。

 瞳に映る燭の火が揺らぐ。


 男の語り口は相も変わらず和やかだった。

 しかし、その問いかけはカスティーリャ語ではなく他国の言葉で投げかけられたのだ。


(なぜ他国の言葉で?)

 シラユキは、微笑みをそのままに思考を巡らせる。


(こちらを試している、いえ、それだけではない。先程よりも燭の火の揺れが大きい……隙間風? 間者ですか……なるほど。言葉が分からない振りをした方が後々有利? いいえ違いますね、この方にそんな腹芸は通用しない。それに、話を先に進めるための条件として提示されているわけですから、ここは素直に乗るが吉ですね)


 瞬きを一つする間に考えをまとめたシラユキは、まるで何事でもないかのように、問いかけられたものと同じ国の言葉で即答してみせた。


「アビラでの待ち伏せが叶わぬとなれば、その手前で動かざるをえないでしょう。ときにメンドーサ卿、この言葉であれば話は漏れぬと?」


 ペドロ・メンドーサの口の端が僅かに上がる。

 カスティーリャ王家は古くより欧州各国の王族と繋がりが深く、当然のことながら、王の側近や高位の貴族の中には外国の言葉に長けている者がいる。ペドロはその中でも群を抜いて他国の文化や言語に通じていた。


 その第一人者が惚れ惚れとするほどの流暢さで、いくつもの国の言葉を操る異国の娘が目の前にいる。


(もしやとは思ったが、ついてくるか……それにしても全く底が知れぬな、この娘は。言葉を換えた理由についても気が付いている。常よりそのような世界で生きていると言うことか)


 ペドロは心中を表すことなく、ゆっくりと顎を撫でながら答えた。

「うむ、奴が使う手の者にはこの言葉は分からぬ。で、次の動きについては私も同感だ」


「では、やはり襲撃はアビラ入場前の宿泊地でとお考えで」


「シラユキ殿の台本通りに役者達が演じていれば、今頃は街に伏せている連中は刈り取られているであろう。そうなると、アビラでの襲撃はあきらめて、その前に仕掛けてくる可能性が高い」


「卿は弟王が泊まられる場所をご存じなのですか」


「だいたいの見当はついておるぞ……」

 男は懐から折り畳まれた地図を取り出した。


 旅人でもなければ常に地図などを持ち歩くことなどない。ペドロには始めから話の流れが見えていたのであろう。

 その意味を知ってか、シラユキは楽しげに微笑む。


 ペドロは地図を広げると、アビラのすぐ傍を南北に流れる川に沿って指を動かし、ある一点で止めた。


「この辺りの少し開けた場所に村がある。その周辺に兵を野営させて、王と側付きは村に泊まるであろう」


「村に泊まられるのですか? その際の警護体勢と規模はどのようなものでしょうか」


「それは厳重なものだ。治安の良い街中での滞在とは異なり、村での宿泊となると騎士団の精鋭が王の周りを十重に二十重に固める。外部からの武力突破はまず無理であろう」


 それを聞いたシラユキは暫く眼を閉じ、そして尋ねる。

「となると、敵は攻め方を変えてくるでしょう……卿、少しばかり剣呑なことをお尋ねしますがよろしいですか」


「剣呑なこと? 私に分かることなら何でも答えよう」


「ではお言葉に甘えまして……この国で使われる毒について教えていただけますでしょうか」


 揺れる蝋燭の火が、白磁のように艶やかなシラユキの頬を照らし出す。


 ペドロはそこに浮かぶ笑みを目にして、背筋が寒くなるのを感じた。

(いったいどのような世界で生きてきたというのだ、この娘は……)

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