第13話 カスティーリャの騎士

 ハビエルは鼻腔に甘い香りを感じ、深く息を吸い込んだ。

 遠退いていた意識が戻り、重い瞼を持ち上げる。

 回る天井に何度か目をしばたかせていたが、突然身体を跳ね起こした。


「いっ!」

 しかし、一声呻くと脇腹を押さえて再びベッドに倒れ込む。


 ハビエルの脳裏に先程の戦いが蘇る。

 紙一重でかわし切ったと思ったジャンビーヤの刃先が、僅かに肌に触れていたようだ。しかし、浅い傷にもかかわらず痛みが尋常ではない。ハビエルは顔をしかめる。


(くそっ、情けない! 死角から突然切り付けられたとは言え、なんと未熟なんだ!! 痛がっている場合じゃないぞ、とっとと立てよ!)

 ハビエルは自分の迂闊さに強い怒りをぶつけ、その怒りで痛みを追いやると、再び身体を起こした。


「まだ寝ておれ、かすり傷だが毒で腫れておる」

 太い声のする方に顔を上げると、部屋の入り口で赤い男が腕を組んで立っている。


「賊は、短刀ダガーの男は?」


 ハビエルは、枕元に目をやり、ベッドに立て掛けられた己の剣の位置を確かめつつ尋ねると、赤彦は無言で視線を床に落とした。


 その先には、両腕を後ろ手にきつく縛られ、猿轡をされた賊が横たわっている。まだ気を失っているようだ。


「他に仲間がいたのでは?」


「三人程いたが追い払った。一人は足に手傷を負っている」


 ハビエルはそれを聞くと、ほっと一息ついてシャツをたくし上げ、自分の脇腹を確かめた。白い布がきつく巻かれている。その布越しに痛む箇所に触れてみると、確かに少し腫れている。


 傷の深さはほんの薄皮一枚、にもかかわらずこの腫れと痛み、それに気まで失うとは……これ程までに強力な毒は見たことも聞いたことも無い。

 ハビエルは、自分が知らない、何か大きな力が陰で蠢く気配を感じ、顔をしかめた。


 眉間にしわを寄せて、しきりと傷口を撫で回すハビエルに赤彦が声をかける。


「大丈夫だ、毒は抜いた」


「治療はあなたが?」


「いいや、姫だ」


「――姫!?」


 姫という言葉にハビエルは慌てて辺りを見回すが、部屋には赤彦と床に転がる賊の姿しかない。


「我があるじだ、間もなく戻る。それまで寝ていろ」


「いや、もう大丈夫、助太刀に治療までしていただき感謝します。私はハビエル・ヒメネス。カスティーリャ・レオン王国のアルフォンソ王に仕える騎士です」


 ハビエルは慌ててベッドから下りると、赤彦に向かい礼を述べる。


「赤彦だ」


「アカヒコ……とにかく助かりました。ありがとうございます」


(家名を名乗らない、ということは貴族ではないのか? いや、この風貌にあの体術、それに姫に仕えていると言った。ただ者であるはずはない。彼の国の風習か、はたまた仮の名か)

 ハビエルは、普段とは勝手が異なる応答に戸惑いながらも礼を述べる。


「……」


 目の前の男は無言で頷くだけだ。


(――間が持たないよ)

 ハビエルは困った。


 この赤い男に訊きたいことは山ほどある。しかし、恩人に対していきなり尋問のように問い詰めるのも憚られ、かといって赤彦が自分から進んで話をするような者には見えない。


「……」

「……」


「ちょっと賊を調べようかな……っと、それからイグナシオに報告に行かなきゃ」


 息が詰まりそうな沈黙に耐えかねたハビエルは、独り言のように呟くと、とりあえず床に転がる男を確かめることにした。


 まだ少しふらつきはするものの、はっきりとしてきた頭を擦りながら屈み込み、賊の様子を伺う。


「ほぅ」

 赤彦の口の端が上がる。


 ハビエルは、賊が縛られているにもかかわらず、男から十分な距離を置いて膝をついた。その位置はまた、赤彦の一足一刀の間合の僅かに外でもあった。


 このカスティーリャの若い騎士には油断が無い、そして無意識のうちに相手との間合いを見切っている。その様子に赤彦の眼が細められる。


 間合いとは、その空間に立ち入れば互いに害し合うことが出来る距離と言うことだ。


 立ち会い、居合いにおける彼我の距離、間合いの見極めは一朝一夕で身につくものではない。

 剣士は相手に悟られないように自分の間合いを隠し、偽る。

 戦ってもいない相手の間合いを見切るということは、なかなかできるものではないのだが、それをこの若者はごく自然にやってのけている。


 それは、この騎士が若さに似合わず豊富な実戦経験を積んでいるか、しくは類い稀な天賦の才に恵まれているか、またはその両方であることを示していた。


 ハビエルの姿を見つめる目が楽しげに細められる。

 そんな赤彦の視線を気にする様子もなく、ハビエルは賊に見入っていた。


 先程剣を交えたときには、顔が布で隠されていたため人種すら判然としなかったが、いまははっきりと分かる。褐色の肌、堀が深く精悍な顔つきは東方の民族だ。


「やはり山の老人の手の者か……」

 ハビエルは呟くと、賊の顔をより深く覗き込もうと赤彦に背を向ける形になった。


 その瞬間、赤彦が音もなく足を半足前に出す。

 すると、ハビエルは背を向けたまま赤彦から半足離れた。


 赤彦が半足引く。

 ハビエルが元いた位置に戻る。

 その目は床に倒れる賊に向けられたままだ。


 赤彦がそんなことを二、三度繰り返していると、ハビエルはふと顔を上げ、窓際に目を向けた。


 少し鼻を動かし、首を傾げる。

 部屋には気つけの作用がある香が焚かれている。

 気絶したハビエルを引き戻すために、姫が特別に調合したものだ。

 その香りの中に、僅かに残る血の匂いを感じたのであろう。


(この国の騎士というのは、なかなかのものだな)

 赤彦はニヤリと笑うとハビエルに声を掛けた。


「一つ手合わせをせんか」


「――へっ?」


 一瞬、意味が分からず、ハビエルは呆けた表情で赤彦を見やると、この男はなぜか満面の笑みを浮かべている。


(手合わせ?)

 その言葉を何度か頭の中で反芻し、どうやら赤彦が剣術の試合を望んでいるらしいことを察すると、ハビエルは慌てて手と首を横に振り盛大に断った。


「いや、むりむり、突然何言い出すの。訳がわからないよ」


 そう答えながらハビエルは赤彦の腰の物に目をやる。

 反りを持つ刀の形状から、切れ味に強みを持つ武器だろうと考える。

 細い刀身ゆえの剣速は侮れないが、圧力はそれほど感じられない。

 鎧と盾で斬撃を受けきることができれば、押しの一手で何とか勝ち目が出てくるのではないかと思えた。


 では、この場で戦えばどうなるか……


 抜刀と同時に、目にもとまらぬ早さで踏み込む赤彦、その姿がハビエルの脳裏に浮かぶ。


 考えられる太刀筋は三つ。


 まず上段。アカヒコの上背と腕の長さだと、剣先が天井の梁に掠めるだろう。この筋は消していい。


 次に中段。抜きざまに横に薙ぎ払う太刀筋、読みやすい。しかし、下手に引けばそのまま壁際まで追い詰められてしまう。前に出て受ける、その後は力比べ……だめだ、鎧なしでは全く押し切れる気がしない。


 そして下段。はすに切り上げてくる太刀筋、これは下手に受ければ身を削る。まずは太刀筋に身体を残さぬよう初撃を躱す、そして足運びから次の太刀筋を予測……っと、できない。


 ハビエルは赤彦の袴を見つめていた、足元まで布で覆うあの風変わりな衣装、これでは足の運びが読めない。


(いやいや、戦うこと前提の衣装とか、どれだけ好戦的な民族だよ……こんなのと立ち合えば命がいくつあっても足りないなぁ)

 ハビエルは苦笑いしつつ、それでも、初撃を交わすと同時にを使えば勝機はあると考えていた。


 勇名を馳せる家に生まれ、その中でも剣術の天賦の才を持つと言われるハビエルにとって、この誘いに惹かれないわけではない、いや、むしろ、まだ見ぬ異国の剣術に興味津々で、剣を交えたい気持ちは強い。

 戦いに生きる剣士とは、そう言う生き物だ。


 しかも、目の前の男は間違いなく手練れだ。千載一遇のチャンス、この好機を逃せば二度と技を確かめ合う機会はないかも知れない。


 そんな思いに後ろ髪を引かれつつも、いまが、すなわち一族に伝わる奥義を披露すべき時ではないことは明らかである。ここは断りの一手と判断して後ずさる。


 そのとき、入口の扉が音もなく開いた。

 そこに立つ人物を目にしたハビエルは思わず呟く。

「うん、知ってた……」


 ハビエルには予感があった。

 街道で出会った不思議な少女、彼女にはまた近々会うことになるであろう、という予感が。


 前に見かけたときは、頭から腰のあたりまでを市女笠と垂れ衣で覆い隠して正体が見えず、まるでキノコのような珍妙な様子であったが、今、目の前に佇む少女は、その小さな姿に溢れんばかりの気格を満たした、姫と呼ばれる存在そのものであった。


 所々に金糸で花文様の刺繍が施された、目にも涼やかな桔梗色のを一重まとい、その細やかな織り目から透ける襦袢の純白は、自らが光を放っているかのように輝いている。


 腰まで真っ直ぐに垂らされた黒髪は、まるで絹糸のように艶やかに輝き、瞳は黒曜石の如き深い光を湛えている。

 ハビエルはその眼差しに縛り付けられた。

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