第14話 王の命令書

 姫と呼ばれる少女は部屋の奥まで進むと、ゆっくりと振り返りハビエルの眼をじっと見据えた。


 その漆黒の瞳に魅入られて唖然と立ち尽くしていたハビエルだが、赤彦の声で目を覚ます。


「ハビエル殿、我があるじ、太田の初姫様だ。東の果ての小国の姫だが、古くはミカドの血につながる由緒ある家柄の出だ」


 ミカドという言葉の意味は分からないが、姫と呼ばれる少女から溢れ出る気格から察するに、彼の国にとって特別な意味を持つ存在なのであろうと感じた。


 我に返ったハビエルは、優雅な身のこなしで片膝をつきこうべを垂れた。


 次男坊とは言え、そこは流石に有力貴族の家系といったところか、幼い頃からの躾で身に付いた儀礼が反射的にハビエルの身体を動かす。


「初にお目にかかります、私はカスティーリャ王国、アルフォンソ王近衛隊所属、ハビエル・ヒメネス。先程は怪我の治療をしていただき感謝申し上げます」


「美しい所作であるな。だが騎士殿、おもてを上げてくれまいか、我は堅苦しいのは苦手でな。国の皆にはナンテンと呼ばれておるゆえハビエル殿もそう呼んでくれればよい」


(あれっ? 普通の声だな……やはりあれは気のせいだったのか)

 街道で耳にしたあの不思議な声を心のどこかで期待していたのだろう、ハビエルは少し落胆している自分に気がついた。


「畏まりました……プリンセサ・ナンテン」


 姫は小さく頷いた。

「ではハビエル殿、しばらく世話になる」


「――はっ?」

(えっ……なに、世話になるってどういうこと?)


 心中混乱しつつも、そこはそれ騎士のさがなのか、姫と呼ばれる存在の言葉に無条件で従ってしまうハビエルであった。


 半ば混乱の心持で顔を上げたハビエルは、何かヒントはないかと周囲を見回し、入口のあたりに立つイグナシオの姿を見つけると、視線で状況を問うてみたが、イグナシオは肩をすくめ両手を上げて見せるばかりだった。



◇◇◇



「さあ、イグナシオ、説明してくれ」

 宿屋を出てアルカサルの門に向かう裏通り、ハビエルはイグナシオを問い詰める。


 その後ろを、アビラ守備隊の若手が二人、一輪の手押し車で何かを運びながら追いかける。

 何を積んでいるのか、安定感のない手押し車は、重そうに右に左にヨロヨロと蛇行している。


「そう責めるなよ、俺だってよくわかってないんだ。お前が宿屋で怪しい者を捕まえた、と宿屋の娘さんが駆け込んできたと思ったら、次は伝令がそれを持って来た。」


「これかぁ……」


 ハビエルは丸まった羊皮紙を両手で引き延ばし、内容を確かめる。

 これで四度目だ。


 しかし、何度読んでも書いてあることは変わらないし、理解できない。

 いや、書いてある内容は分かるのだが、その理由が分からないのだ。

 

 それは、若き君主アルフォンソ王からの命令書だった。そこにはただ、東方からの客人がカスティーリャに滞在している間、護衛をせよとだけ書かれてあった。


 なぜこのトレード遠征という大事な時に、近衛として守るべき王の傍から離れなくてはならないのか、なぜ自分に命令が下されたのか……全くわからない。


 そもそも、自分が守るように命ぜられた人物の素性がよくわからない。

 東の果ての、とある国の姫であるとしか聞いていない。それが如何ほどの重要人物だというのか……


 ただ一つ、確かなことは、その命令書が本物であると言うことだ。

 イグナシオの手から渡された命令書には、あろうことかアルフォンソ王直々の署名が記されてあった。


「ねぇ、イグナシオ」


「ん、なんだ?」


「代わってくれない? これ」


「馬鹿言ってんじゃないぞ、王直々の命令なんて光栄な話じゃないか」

 イグナシオは口元を隠して答える。

 声を潜めてはいるが、語気は強い。


「光栄か……じゃあ、代わって」


「――あのなぁ、俺だったらその命令書を額に入れて飾るぞ、家の一番目立つ所にな……いや、子供部屋かな? 最近上の娘が俺の言うことを聞かんのだ、これを見せればお父さんのことを見直して……」


「だったら、ほら代わってあげるって」


「だから、それはお前に与えられた仕事だって、いい加減に観念しろ。なんでそんなに嫌がるんだ?」


「そりゃ嫌だよ、近衛の使命は王を守ることだよ?」


「その王の命令だ」


「そりゃそうだけど……でも、あの姫さまにはもう護衛が付いているじゃないか」


「あぁ、あの赤いのか、しかしたったの1人だぞ」


「イグナシオ、お前もわかってるんだろ? アレはヤバイ、ヤバすぎる」


「まぁな、確かにありゃ只者じゃないが……」


「僕の出る幕なんてないよ、ついて行っても退屈なだけさ、きっと」


 そう言うと、ハビエルは大きく一つ伸びをして命令書を懐にしまう。


 イグナシオも首を回しながら、腕の筋を伸ばしている。そして後ろで荷車を押す二人に向かって大声で言った。


「おい、それ落とさないでくれよ、の前に怪我はさせたくないからな」


「はい、分かってます、隊長!」

 その元気な返事とは裏腹に、ふらふらと進んでいた荷車はさらにふらつきを増し、遂には通りの真ん中でひっくり返ってしまった。


「すみませ〜ん、隊長。荷車が壊れてしまいました〜、動けませ〜ん」

 二人の隊員が大声で報告する。


「そうか〜それは仕方ないな〜、新しい荷車を取りに行ってくれ〜」

 呆れるほどの棒読みでイグナシオが返す。


 ハビエルは、そのわざとらしさに苦笑しながら立ち止まり、後ろを振り返る。


 そこには、荷車から投げ出された荷物が石畳の上に転がっていた。布で包まれた荷物はモゾモゾと動いている。


 荷車を押していた二人組が、何やら目配せしながらハビエルの横を通り過ぎて門の方へ駆けていくのを軽く目で送ると、ハビエルとイグナシオは荷物を挟んで背中合わせに立った。


バシッ!

 突然イグナシオの横で何かが弾かれるような音がした。すぐにハビエルの側でも同じ音が続く。


 二人の足元には、折れた矢が二本落ちている。


「射手は二人」

 いつのまにか剣を抜き放っていたイグナシオが呟く。


「屋根の上と、路地」

 同じく剣を構えたハビエルが応え、ぺろりと唇をひと舐めするその口の端は楽しげに上がっている。


「「ヒュッ」」

 続いて二か所から同時に矢が放たれる。

 射線からみて、最初の矢は荷物を狙ったものであったが、この矢は明らかにイグナシオとハビエルに向けて射られたものだ。


 二人は自分の正面で軽く矢をはたき落とすと、次に備える。


「もう一射か?」

「それとも打ち出て来るか?」


 剣を構える二人の姿に気負いはなく、悠然と敵の出方を待つ。

 

「「ヒュッ」」

 また矢が放たれる。しかし、今度はそれと同時に、建物の影から男が二人飛び出してきた。湾曲したダガーを顔の前にかざし、低い体勢で一直線に飛び込んでくる。


 ハビエルは、剣の側面で難なく矢を逸らすと、流れるような動きで切っ先を迫りくる男に突き出した。


 男はその素早い剣先の動きを避けきれず、肩を削られる。だが、それでも怯むことなく、そのままの勢いで路上に転がされた荷物に、ダガーを突き立てようと迫った。


 切っ先を掻い潜られたと見るや否や、ハビエルは素早く剣を持つ手首を返し、柄頭を男の顎に当てる。


 軽くかすっただけのように見えた。

 しかし、顎の先端にピンポイントでカウンターを食らった男は、大きく脳を揺らされ一瞬で意識と短刀を手放し、そのまま頭から路上の荷物に突っ込んだ。


「うぐっ!」

 布に包まれた荷物が声を上げる。


「ほいさ」

 一方、イグナシオは矢を払うと同時に、同じく低い体勢で突っこんできた男の顔を、気の抜けた掛け声とは裏腹な、強烈な勢いで蹴り上げた。


 ブーツのつま先が見事に顎を捉え、男の上半身がのけ反り、突進してきた勢いはそのままで仰向けに宙を舞うと、こちらは尻から荷物の上に着地した。


「ぐっ!」

 布に包まれた荷物から再び声が漏れる。


 二人は射手の潜んでいた方に身体を向けて次の攻撃に備える。

 矢は飛んで来ない。


「あ、そりゃ」

「ガキン!」


「ほい」

「キン!」

 その代りに二か所から剣戟の音が聞こえてきた。矢が放たれた辺りからだ。


「イグナシオ……あれはなに?」

「ん、あれって? 作戦通りだろ? うちの兵士たちだ」

「いや、そうじゃなくって、掛け声だよ。変だよ、あれ」


 ハビエルはそう言いながら気の抜けた掛け声のする方を指さすと、その路地から兵士が勢いよく転がり出て来た。


 先程、荷車を押していた兵士の一人だった。

 替えの荷車を取りに行くと見せかけて、そのまま弓の射手の背後から攻撃を仕掛けていたのだ。


 兵士はすぐさま立ち上がると、剣を構え、再び敵に向かって駆け出そうとした。


「おーい、追わなくていいぞぉ〜」

 イグナシオがそれを止めると、兵士は遠ざかる敵の背中を名残惜しそうに睨みながら剣を収めた。


「すみません、逃げられました」


 ドサッ!

 もう一人の兵士が屋根の上から降ってきた。受け身は取っていたが、流石に痛そうである。顔をしかめながら報告する。

「す、すみません、こちらも逃げられました」


「怪我はないか?」

 イグナシオが二人を見やる。


「「はい!」」


「二人ともよくやった! お前達が射手を止めてくれたおかげで、こいつらを捕らえることが出来た」


「「はっ!」」

 二人は、満足げな笑顔を見せるイグナシオの前に並ぶと、胸に手を当てて誇らしげに答える。


 よく鍛えられている。

 規律正しく、志気も高い。

 イグナシオが守備隊長に抜擢されてから、アビラの守備隊の評判は高まっている。いい隊長っぷりだなと、ハビエルは感心した。


 地方都市の守備隊は、そのほとんどが地元出身の平民達だ。

 それをここまで鍛え上げている。

 賊に逃げられたとは言え、手練れの暗殺集団を相手に手傷も負わずに追い返すだけの力量がある。まぁ、掛け声はあれだが……


「ありがとう、助かったよ」


「「お役に立てて光栄です。ヒメネス様」」


 ハビエルの言葉に2人の兵士は嬉しそうに答える。

 尊敬する守備隊長の友人であり、若くして武勇の誉れ高いハビエルは衛兵たちの憧れであった。

 その様子を頷きながら見ていたイグナシオは思い出したように言った。


「そういえば掛け声がどうとか言ってたな。ハビエルよ、気合ってものは入れりゃいいってもんじゃない。下手に気負うと力んで動きが鈍る。だから程よい力加減で戦えるように柔らかい掛け声にしているんだ。そうだよなっ? おまえたち」


「「はい、その通りです!」」

 手際よく賊を縛り上げ、荷車の上に乗せ終えた兵士たちが応じる。


「なるほど、そういうことなら……」

 貴族の家に生まれ、幼い頃から騎士としての振る舞いというものを自分の中心に置いて生きてきたハビエルだが、実戦を通して、時にはそれよりも優先すべきものがあるということは知っている。


 まして、衛兵たちはほとんどが平民の出だ。

 窮屈な型にはめないイグナシオの指導方針にここの警備隊の強さの理由を見たハビエルは深く頷いた。


「それよりお前の方だ、ニヤケ顔で真剣を振り回すのは何とかならないのか? ありゃぁかなり危ないさまさまだぞ」


「えっ……そう? そんなに変?」


「気付いてないのか……それはそうとハビエル、そろそろ剣を仕舞ってもいいんじゃないか」


「あぁ、もう攻撃はなさそうだね」

 荷造りをする隊員たちを守る位置にいたハビエルは、もう一度周囲を見回してから剣を納めた。


「しかし、あの姫さまの言った通りだったな……」

「あぁ、人数まで言い当てた……」

 イグナシオの言葉にハビエルが頷く。


 二人はナンテン姫の言葉を思い出していた。

 先程宿でイグナシオとハビエルが、逃げた賊の対処を話し合っていたところ、それを耳にしたナンテン姫が言葉をかけてきたのだ。


「こやつを生かしたまま運べば、奴らは口封じに来る。そこを押さえればよい。相手は四人、弓手きゅうしゅもいるので気を付けて掛かられよ」


 など、少女の口から語られるような言葉ではない。二人は驚いたが、それゆえに妙な説得力を感じ、その知恵を借りることにしたのだ。


「よほど優れた目と耳を持っているのだろうな」

 イグナシオはさりげなく見晴らしの良さそうな建物の上に目をやる。


「考えてみれば、姫さまのお付き人がたった一人のはずがないよね」


「あぁ、今も見られているな……で、どうするんだ? この仕事、俺に譲るか?」


「いや、イグナシオはアビラを守らなきゃ。これは僕の仕事だ、なんといっても王直々の命令だからね」

 これは面白いことになりそうだ、と見るやいなや掌を返したハビエルは、さも重々しげに答えた。


「ハビエル、お前……ニヤケてるぞ……」

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