第5話 豆腐と雪女

「「豆腐を作る」」


 赤彦が部屋を出て行くのを見届けると、少女は唐突に言い放った。

 それまでの話とは何の脈絡もない。

 しかし、いつものことなのであろうか、黒丸は特に驚く様子もなく言葉を返す。


「姫、残念ですが豆腐はしばらくの間我慢なされよ」

 相変わらずの無表情だが、その言葉には少し申し訳なさそうな響きが含まれている。


「「なぜじゃ? ここは川も近い、清い水も手に入ろう。黄之助きのすけから大豆も苦汁にがりも届いておるのであろう?」」

 少女は少し首を傾げる。


「確かに黄之助より物資は届いております。しかし、白雪祈しらゆきより豆腐を作るのは暫く我慢するようにとの指示が出ております」


「「なんと……その指示とやらを見せよ。理由を聞くまで納得せぬぞ!」」

 先程は、賊の襲撃にも眉一つ動かさなかった少女の頬が、少しふくれて見える。


「こちらに」

 黒丸の差し出す来簡を、小さな手で半ばひったくるように受け取ると、さらりと投げるように開き、大きな瞳を上下させて眼を通す。


 透きとおる程に薄い雁皮紙には、流れるような筆跡でこの国の政治情勢が述べられた後、確かに豆腐作りを控えるようにとの一文が記されている。理由はと探すと、最後に一言こう書き添えられていた。


 『姫の大好物を断つのは心苦しい限りではありますが、その理由は追って明らかになるかと存じます。暫しのご辛抱を』


「「理由は追って明らかにじゃと? なるほど……黒丸、理由を述べよ」」


「追ってと書いてあるでしょうに、何を読んでおいでか……姫、あまり無茶を言って下さいますな、分かっていればお伝えしております。まぁ、思い当たる節がないわけではありませんが……」


「「では、その思い当たる節というのを話してみよ。この期において勿体ぶって良いことなど何一つないぞ」」


「姫も見当が付いているのでしょう? 私に当たるのは止めていただきたいものですな」


「「人の口から聞かねば収まりがつかぬのじゃ、早く述べるがよい。それにしてもあの雪女め、あやつの謎かけ好きは何とかならんのか……」」


 それは、黒丸が常々思っていることでもあった。

 白雪祈を雪女と揶揄する姫の口調は穏やかではあるが、黒丸の心中はそれほど平坦ではない。


 白雪祈はよく謎掛けをする。

 それが、ただの戯れであればどれほどよかっただろうと黒丸は思う。


 白雪祈の謎掛けは警告である。

 ひそんだ危機に注意を向けさせる報せの鈴だ。

 白雪祈が付けた鈴の音は冷気にも似た緊張をもたらし、その場の空気を凍らせる。雪女とはよく言ったものだ。


 黒丸はいつもと変わらぬ表情で嘆息し、言葉を続けた。

苦汁にがり、でしょうな」


「「ふむ、やはり苦汁が必要になるやもしれんということか、何処の国にもたわけがおるようじゃな」」

 少女はつまらなさそうに呟いた。


「それはそうと姫、白雪祈の文によると、この国の騎士が一人、姫の護衛として派遣されるとのことです」


「「お目付け役か?」」


「まぁ、それもあるでしょう……しかし、白雪祈が言うには我らの味方となる者らしいですぞ。若いが剣術の腕が立ち、騎乗に関しては並ぶ者はいないと書いてありますな……はて、どこかで聞いたような」


「「あの者か!? ということは……あの黒馬アオが手に入るということじゃな!! 隼太郎はやたろうと呼ぶことにする、どうだ、良い名であろう」」


「あれだけの騎乗をする者はそうはおらんでしょうから、十中八九は先程の若武者のことでしょう。と言いますか、人の馬に勝手に名前を付けないように。手にも入りませぬ。それよりなにより人の方を気にしてあげてください」


「「あぁ、わかっている。そうじゃな、黒馬アオより、その持ち主の方に気を遣わねばな」」


 馬上で手綱を引いているかのような態勢で、遠くを見つめる主人の緩んだ顔を見ながら、黒丸は心の中で溜息をついた。

(また白髪が増えそうだ……もはや白丸だな)

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